Phase.7 婚約者




     7





「ナンセンス! 信じらんない! 二年よ! 二年も家に顔出さずに! こんなところで別の女とデートしてるなんて!」

「別の女って……」


 押し問答の末、ロンドンへの帰路は三人と一羽になった。

 黒髪をさっぱりと短く切り揃え、必要最低限の装飾と動きやすい乗馬服を身につけた淑女は、普段は陽気な性格だが、その頑固さもあって今は不機嫌そうに腕を組んでいる。

 突然加わった見知らぬ同行者に、リジルはただ委縮するばかりだった。


「だから、何度も言ってるだろ。こいつは仕事の関係で……」

「面倒見ることになったって? そんなの、信じられない! 大体、あんた普通の女になんか興味な……」


 そう言いかけて、バーバラははっと目を開いた。汽車の一室だというのに、少女は飾り帽を目深く被ったままだ。


まさかオウ・ゴッド……」


 バーバラは神に祈る思いでその帽子に手を伸ばす。

 リジルは身構えるが、抵抗しなかった。当然、そこには人ならざる獣の耳が現れる。


「……っ」

「リジルちゃんって言ったわね。……こっちに来なさい」


 獣人の血が混じっているとバレてよかったことなど、これまでに一度もない。

 嫌な予感が脳裏をよぎるが、予想に反してバーバラは子どもを庇うように優しく抱き締めた。必死に弁解しようとする武器商人をキリッと睨みつける。


「この……変態パーバートっ! ついにやったわね! 誘拐? どうせどこぞの娼館から攫ってきたんでしょう!」

「ち、違……」

「大丈夫だった? カネトリに変なことされてない?」

「…………。えっと……」


 リジルは答えに困った。当然、その沈黙を是と受け取るしかなく、バーバラは口角泡を飛ばして毛だらけ男ファーリー・ジェントルマンに掴みかかる。


「カネトリ……っ!」

「誤解だ! リジル、なんとか言ってくれ!」

「はい! 耳をぺろぺろ舐めたり、尻尾や毛皮の匂いをすーはーすーはーしたり、全身をくまなく洗ったりしてました!」

「おいーっ!」


 白カラスの突然の告白に、カネトリは頭を抱えて絶叫した。


「……クロー、それ、本当なの?」

「うん。白カラス、嘘つかない」

「…………」

「いや、その……ほら、ちょっとした……」


 バーバラに絶対零度の視線を向けられ、カネトリはたじたじになった。

 全身から嫌な汗が噴き出している。久しく感じるこの感情は、長年蓄積されてきた幼馴染に対する恐怖トラウマだった。


「ちょっとした……なに?」

「えっと……」

「…………」

「…………」


 二人は向かい合ったまま静止した。一瞬だけだった。


「ナンセンス!! ナンセンス、ナンセンス、ナンセンスッ! ……お仕置きが必要なようね、カネトリ……」


 バーバラは手持ちのウォーキング・パラソルを取って大きく振りかぶった。


「ちょっ……やめろよ、バーバラ。こんな狭いところで……」

「問答無用!」


 バーバラがカネトリを打とうとしたその時、リジルが石突きフェルールを掴んで止めた。


「ちょっと、止めないで!」


 パラソルの握りを引こうとするバーバラを真っ直ぐに見据え、リジルはようやく口を開く。


「あ、あなたは……一体……」

「あたし? ああ、そう言えば紹介が遅れたわね。バーバラ・アンダーシャフト。……まあ、簡単に言うと、こいつの婚約者フィアンセよ」

「えっ……」


 リジルは目を見開いて固まった。

 その単語の意味は知っていたが、信じられなかったのだ。遅れてその言葉の重要性と意味を理解し、じろりと男を睨みつける。


「うっ、視線が痛い……な、なあ、バーバラ。その話は……」

「ナンセンス! カネトリ、昔の約束を忘れたとは言わせないわよ! 乙女のいたいけな心を傷つけて……」

「…………。カネトリはバーバラ……さん、と結婚するの?」


 二人に問い詰められ、カネトリはぶんぶんと首を振った。


「い、いや……。これはだな……」

「はあ!?」

「――まあまあ!」


 楽しんで傍観するには少しヒートアップしすぎたらしい。ばさばさと羽毛を散らして割って入ったのは、この状況を作り上げたといっても過言ではない白カラスだった。


「そもそもバーバラと結婚するって話は、今のアンドリュー・アンダーシャフトが孤児だったカネトリに自分の事業を継がせたいからだったよね?」

「ええ。アンダーシャフト家は代々、孤児を迎え入れて教育を施し、『アンドリュー・アンダーシャフト』の名と家業の大砲工場を引き継がせてきたから……。それこそ、ジェームズ一世の治世からね」

「でもさ、それってカネトリの意思とは関係ないよね? 確かにロンドンの路地裏から拾って育ててもらった恩はあるけどさ、結婚とはまた別の問題じゃないかな?」

クローの助け舟に感謝し、カネトリはうんうんと無言で頷いた。

「でも、それはお父様が……」

「バーバラ、昔みたいにアンドリューの言いなりになったままでいいの? それが嫌だったからブリトマート夫人は別居したんでしょ?」


 それを聞いて、バーバラはしゅんと項垂れた。それまでと一転して、コンパートメント内が水を打ったように静まり返る。がたごとと、機関車の振動がやけに大きく響いた。

 短い沈黙の後、幼馴染の少女はパラソルを下ろして上目遣いに視線を向ける。


「カネトリは……あたしのことが嫌いになったの?」

「い、いや、そうじゃない。ただ……」


 カネトリは口ごもった。

 幼い頃から活発だったバーバラには振り回されてきた。同じ家で同じ教育を受けてきたとは言え、カネトリは養子だ。その力関係はお嬢様と従者のようなもので、これまで兄貴のようにかいがいしく世話してきた。

 家を出てからサンドハースト王立陸軍士官学校に入り、武器商人として一人立ちするまで、どちらかと言えば、かわいくて厄介な妹と認識していたのだが、二年前に恩人であるアンダーシャフトに結婚を提案されてからは、どう接したらいいのかわからなくなったのだ。

 この二年間、英国に帰らずにアフリカや中東での行商に没頭していた理由の一つがこれだ。現地で美獣人を抱けるという利点も捨てきれないが。

 途端に弱々しくなった幼馴染に対して、なんと言葉をかけていいか迷う男に、バーバラは首を傾げて核心を問う。


「じゃあ、その……結婚してくれる? お父様から言われたからじゃないの。私がそうしたいのよ、カネトリ」

「…………。……い、いや、それはまだ早いんじゃないか?」

「あたしたち、もういい歳よ? これ以上は待てないわ」

「ま、まあな……」


 はっきり言うと、好みではあった。人間の中では・・・・・・

 ただバーバラと結婚するということは、必然的にアンダーシャフト社を継いで、カネトリが次のアンドリュー・アンダーシャフトになるということであり、同時にブリトマート夫人側のスティーブニッジ伯という称号を得て貴族になることを意味する。

 普通に考えれば、こんな好条件は他にないが、飛びつくにはカネトリは社交界というものを知り過ぎていた。大砲工場の経営者ともなれば、これまでのように自由に外国を旅したり、紳士の活動・・に精を出したりすることは不可能になる。


 それに、一番は――。


「…………」


 カネトリは固唾を呑んで見守るもう一人の少女と目が合い、思わず視線を逸らした。


「ねぇ、カール・・・……あの時の約束、覚えてる?」

「……ああ」


 カネトリは昔と同じ名で呼ばれ、頭を掻いて座席に腰かけた。


「子どもの時の話だ。俺たちは、あまりにも幼かった」

「私はずっと好きだったわ」

「…………」

「…………」


 再びの沈黙。今日で何度目かわからない長めの間の後、バーバラははぁーっと長いため息を吐いた。


「この甲斐性なし」

「うっ……ひ、否定はしない」

「……まあ、今答えを出さなくてもいいわ。無理して結婚されてもたまらないしね。それより、今夜パーティーがあるの。カネトリも顔出しなさいよ。数年ぶりにお父様が来るらしいわ」

「えっ、アンダーシャフトさんが?」

「ええ。明日にはロイアル・アスコットもあるし……その前祝いみたいなものね。サラやスティーブン兄さんは来ないけど、私はいくわ。久しぶりにお父様とも会いたいし」

「アンダーシャフトさんは知ってるのか? その、ブリトマート夫人が武器規制委員会とかいうのに所属してるってこと」

「お父様だもの。なんでもお見通しの上で、好きにさせてるのよ」

「確かにな……」


 カネトリは頷き、大英帝国を裏から操る大胆不敵な男の顔を思い出し、せめて面倒なことにならないようにと祈った。








―――――――

星の数ほどもある物語の中から、本作をお読みいただきありがとうございます!

この先も『UNDERSHAFT』は続いていく予定ですが、やはり反応が皆無だと小説が面白いのかどうかも判断がつきませんし、モチベーションに繋がりません。

なので、もし小説を読んで面白いと感じた方がいれば、いいねやフォロー、コメント、評価などよろしくお願い致します!

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何卒、よろしくお願い申し上げます。(*- -)(*_ _)ペコリ

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