Prologue. 1896年の空

Prologue.1




「ねぇ、知ってる? パスカルってフランス人が言った言葉。『クレオパトラが獣人・・だったら、歴史はもっと変わっていただろう』って。……本当に変わってたと思う?」


 今しがた戦闘が終わった戦場には、ぽつぽつと雨が降り出していた。

 英国籍の武器商人――カネトリの視界いっぱいに広がるのは、荒涼とした南アフリカの荒野に転がる夥しい数の骸の山。身体に小さな穴を空けた獣人と黒人たちは折り重なるようにして死んでおり、この距離から見ると土のう袋が列になって延びているようにも見える。

 傍らの鳥かご・・・から発せられた問いに、カネトリは少し考えて答える。


「歴史は必ず間違っている。初代英国首相、ロバート・ウォルポール卿の言葉だ。……たとえ歴史が今と少し変わっていたとしても、これが答えだろ」

「確かにねぇ」


 トランスヴァール共和国の農民兵たちはすでに撤収の準備と死体の処理を始めていた。

 陣地構築用の掘削ガーニーで適当な塹壕を掘って、そこに纏めて放り込むのだ。獣人は人間に比べて身体が大きいので、全員を埋めることはできない。大抵は放置したままだ。


「ねー、それより肩こっちゃった。できれば出してくれるとありがたいんだけど」

「自分で出られるだろ」

「えー、面倒くさいし嘴が痛くなるからやだ」

「まったく……」


 カネトリはため息交じりに留め金を外そうとして、


「いやあ、いい映像が撮れましたよ!」


 後ろからフランス訛りの上機嫌な声が聞こえた。

 最新式の動画撮影機シネマトグラフを携えた従軍カメラマンは、興奮交じりにカネトリの手を取る。


「ああ、確か、リュミエール・カンパニーから派遣された……」

「はい、ロンドン駐在員のジョルジュ・メリエスです! 最新式のヴィッガース銃でしたか、機関銃を見るのは初めてだったんですが……いや、すごい威力でしたな! マキシム卿もさぞ鼻が高いでしょう」

「ええ……。ただ、今では兵器開発から舵を切って航空機の発明に本腰を入れているので……本人はもう機関銃のことは忘れているかもしれません」


 カネトリは苦笑し、男の抱える機械に目をやる。


「それが例のシネマトグラフですか……。どうやら、既存の蒸気駆動画キノトロープとは仕掛けが随分違うようだけど」

「お、見てみますか? ちょっと、ここを覗いてみてください」


 カネトリがフィルムの覗き口に目をつけると、メリエスは防水布を上げて、ハンドルを軽く回した。連なるフィルムが残像となり、先ほどの光景が映しだされる。

 黒と白の画面に映し出されるのは、暗黒大陸ブラック・アフリカの大地を流れた大河。竜獣ドラギノに跨った数百の獣人、そして彼らと同盟を組んだマタビリ人がときの声を発し、もうもうと赤土を巻き上げながら突撃していく様子だ。

 隊列を成して迎え撃つのは、トランスヴァール共和国の農民兵。カネトリがセールスにきた新製品で構成された人工堤防。連なる機関銃と散発的なボルトアクション・ライフルが戦士の命を刈り取っていく一部始終をベスト・アングルで捕らえていた。

 当然ながら音も色もついてないが、カネトリはその様を鮮明に思い浮かべることができる。


「どうでした?」

「これは……すごいな」


 カネトリは素直に頷いた。フィルムの尺は一分にも満たないが、映像には力があった。


「彼らの目を見たか? 戦士たちのあの力強い瞳孔を」

「目ですか? いや、それは遠くからでよくわかりませんでしたが……でもまあ、これはもう大ヒット間違いなしですよ! ロンドンでの公開が楽しみです」

「そうか……」


 今や歴史となった彼らは、ニトロセルロースの中で死に続ける。彼らがこの地に生きていた証は商業的に複製され、そして欧州中に拡散されていくのだ。

 カメラマンが足早に去ると、雨はとうとう本降りになりだした。カネトリは鳥かごを抱えて近くの天幕に避難する。


「……これはしばらく止みそうにないねー」

「ああ」


 降りしきる雨は丘の輪郭をぼやけさせ、早くも肌寒い空気が漂い始める。テントは雨漏りが酷かったが、それでも何とか鳥かごが濡れない立ち位置を見つけた。


「……商人サン、スミマセンガ、ココノ天幕ハ、有色人種カラードト獣人・亜人用デス。白人用ハ、少シ先ニアリマス」


 しばらくすると、一人の獣人下士官がオランダ移民のボーア訛りのある英語で言った。

 雨の音で少しぼーっとしていたカネトリは、初め何を言っているのかよくわからなかったが、ふと我に返ってボーア人たちが推進している人種分離政策についてだと思い当たる。


「……ああ、アパルトヘイトってやつか。そうだったな」

「ソウデス。白人用ノ天幕ハモット丈夫ナノデ、ドウゾソチラヘ」

「だが生憎、俺は英国人だ。ボーア人の法律なんかクソ食らえだね。大体、ばかばかしいとは思わないのか? 人種ごとに使う場所を分けるなんて。それに、もともとここは『ズールー・ランド』……君たちの土地だったんだぞ」


 その言葉に下士官は面食らったようだったが、それでも伏し目がちに頼み込むように言う。


「……デスガ、ソレデハ私タチガ困ルノデス。ドウカ、白人用ノテントヘ」

「…………」


 カネトリは腕を組んだまま憮然としていた。下士官の死んだような瞳が気に入らなかったこともあり、もう一言二言付け足そうと思って口を開くが、そこで周囲の視線に気づいた。

 この地に生きる獣人や黒人にとってはこれが普通で、むしろ白人の顔をしたカネトリこそが、この場においては『異物』なのだ。

 その事実にやり場のない怒りを覚えつつ、若き武器商人は獣人兵士がうやうやしく差し出す傘を手で退けて、鳥かごを持って土砂降りの中に出る。


「まさか、この雨で追い出されちゃうなんてね」


 鳥かごの相棒は思わず苦笑した。白人用テントとやらに足早に向かいつつ、どんより曇った南アフリカの空を仰いだ。


「……女王陛下万歳ゴッド・セイブ・ザ・クイーン!」


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