心に音があるというならば

夏目綾

第1話

 恋愛という感情は絵描きの作品にいい影響を与えるから、どんどんすればいいという人がいる。

 でもそれは私にとってただ厄介な感情に過ぎなくて、随分と長い間避けてきた。

 だから、今回こんな実に厄介な状況に追い込まれることになるなんて、やはり恋愛感情というものはただの気の迷いから生じる作品障害・・・いや人生障害でしかないのだ。と再び強く思い直した。

 「私は厄介者なの?」

 私の心を読んだかのように隣で藍がそう言う。

 「・・・どうして?」

 「戀(れん)さんの眉間のシワと止まった絵筆がそう物語ってる。」

 本心を見透かされたのだからここは本心を言わざるを得ない。

 「だってそうじゃない、貴女がいなければ・・・。」

 そう言おうとしたとき、唇を塞がれた。

 「いなければ・・・何?」

 「・・・こんなことにならなかった・・・。」

 「こんなことって、何。」

 そう改めて言われ口ごもる。わかっているくせに、この子はわざとそういうことを聞きたがる。嫌な女。

 「離れてよ、美紀が帰ってくる。」

 「今日は遅いって。ねぇ、だから・・・。絵、描くより楽しいこと・・・しよ?」

 そう言って藍はまた私の唇を塞ぐ。抗えばいいのだけれど、おかしな病に侵されてもう頭までおかしくなったのかもしれない。そのまま藍を押し倒した。

 窓の外の雪景色が嫌に曇って見える。

 目がかすんでくる。なのに藍だけがはっきり見える。凍てついた外に反しての熱い部屋。頭までぼんやりとしてくる。それは部屋の温度差のせいなのか、このおかしな感情のせいかもうわからない。

 こんなこと、ほんの一か月前には考えられなかった。

 そう、すべては一か月前に始まったのだ。


 一か月前。

 今日も外は雪が降っている。今日は心なしか一段と寒い気がする。

 私は、今描いている雪の風景画のイメージを膨らませたくて外に出かけた。

 私が住んでいるところは、片田舎で平日の昼間なんて誰も出歩いていない。雪で閉ざされているこの季節はなおさら。

 若者はそんな土地に嫌気がさして出ていくけれど、私はこの殺風景な土地が嫌いではなかった。

 広大で何もない土地に降り注ぐ雪は作品のインスピレーションを掻き立ててくれるし、何より煩わしい人々の群れからも離れられる。私にとっては最高の場所だった。

 何も考えずにただ雪景色の中を歩く。それが好きだった。誰もいない静まり返った景色の中で、しんしんと降る雪がそれをいっそう静かにさせている。私はそんな中にいると不思議と寒さなど忘れていくらでも歩けてしまう。

 そして今日はなんとなく気が向いて、あまり電車が来ないことで有名な駅舎に向かった。しかし、それがいけなかった。

 丁度、私が着くと珍しいことに電車も着いたところらしく、人が降りてきた。

 電車が着くことがあっても人がこの時間降りてくるなんて余計珍しい。

 私がぼうっとそれを眺めていると、一人の人物が手を振っている。振り返ってみてみたが、誰もいない。どうやら私に振っているらしい。

「すみませーん!!」

 近づいてくると、どうやら若い女だ。短髪の阿呆そうな・・・もとい、元気な女で、なぜかスーツを着ていて、その上からこの土地には不似合いの薄いコートを羽織っていた。大きなキャリーケースを引っ張っているところを見ると旅行者だろうか。

 そして、その後ろにも一人の女がいた。こちらは、先ほどの女と違って線の細い若い女でダウンジャケットをしっかり着込んでおり、所在なさげにあちこち眺めている。

「なんですか?」

「あの、泊まれるところありません?ここらへんで!」

「泊まれるところ?」

 考えてみるが思い当たらない。近隣の町でもないだろう。なにせ何もないところだ。

「思い当たりません。N町あたりならあるかもしれませんが。」

 そう言って元気印女がちょうど持っていた地図を指さしてやる。すると元気印女はあー、と額に手を当てて困った顔をした。

「N町かぁ、それはちょっと・・・遠いなぁ。」

 そしてちらりと私を見る。

「あの・・・ちなみに、貴女のご自宅って・・・泊まれたりしません?」

 初対面の人物に何を突拍子もないことを言うんだろう。そう驚いていると、横にいた女が短髪の女を揺さぶっていう。

「ちょっと!美紀ちゃん、何言ってんの!!あー!!どーすんの!ノープランで来すぎなんだよ、だから嫌って言ったじゃん!!」

「なによ!旅行みたいって喜んでたじゃない!」

「だって、それは・・・!!」

 なにやら私の前で喧嘩が始まる。こういう展開は苦手だ。

「あの・・・失礼ですけど、ここに何しにきたのですか?」

 そう問うてみると、元気印女は苦笑いをして答える。

「いえ・・・ね。仕事がきまったんです。この町で。中々決まらない中で決まって、先方にすぐにこれるかって言われたもんだから私調子にのって、ハイって言っちゃったんですよね~。家も何も決まってないくせに。まぁ、ホテル暮らしすればいいかなーって思ってて。でも来てみたら予想以上に田舎っていうかなんていうか・・・。」

 今どきの若者はみんなこうなのだろうか。私は呆れながら口を開く。

「で、路頭に迷っていると。」

「そうなんです。ね?可哀想だと思いません?」

 可哀想だとは思わないが、連れの女には同情する。どういう関係か知らないが、こんな女と一緒に来てこの有様はさすがにちょっと。

 だからといって、厄介ごとを引き込むのはごめんだ。そう思っていると、連れの女が上目使いで私に話しかけてきた。

「すみません・・・。失礼かもしれないけど、やっぱりこんなところで凍死するの、嫌です。一日だけ。一日だけでも泊めてもらえないでしょうか?」

 栗色の髪の毛が風に揺れる。大きな瞳が悲しげに訴えかけてくる。

「頼みます。」

 元気印女も懇願する。

 何、この展開は。

 ここで断ったら極悪非道な女に成り下がるのではないかというところまでなぜか追いつめられてしまっている。

 確かに一軒家で私以外は住んでいないのだから、泊めるのには条件はいい。

 厄介はごめんだけれど、ここで路頭に迷われて彼女たちの後先が気になって眠れぬ夜を過ごすのもごめんだ。本当に厄介なのは自分のそういう矛盾した性分なのかもしれない。

 私はため息をつくと、渋々了解してしまった。

「ホテルのように快適な暮らしは約束できないけれど。」

 そう言うと、二人は手を合わせて喜んだ。さっきまでの謙虚さが嘘のように、「やった!」と笑い合っている。なんとも都合のいい女たちだ。

 かくして、私は見ず知らずの女二人を預かることになってしまったのだった。


「すっごーい、家、大きいですね!!これで一人暮らしとかすごくないですか?」

「ねー!!ホテルよりか断然よさそう!!」

 家に案内してやると、先ほどの路頭に迷いそうな弱り切った気持ちなどなんのその。修学旅行生のようにはしゃいでいる。

 確かに古い家だけど、一人で暮らすには大きく、使っていない部屋も何部屋かある。田舎の家によくありがちなことだ。

「部屋は・・・、二部屋用意したほうがいい?」

 そう聞くと、女は首を振って言った。

「いえ、そんな。一部屋で十分です。」

「そうか・・・えっと。」

 名前を呼ぶにも誰かわからない。そう思っているとそれを察したのか元気印女が、あぁと言って手を差し出した。

「私の名前は、神木美紀。こっちは、鈴代藍。名前で呼んでもらっていいですよ。」

「・・・私の名前は、早坂戀。」

 私は美紀の手を取って呟くように言った。

「戀!かっこいい名前ですね!」

 美紀は笑いながら言う。が、こういう時どういう反応をしていいか分からなく、私が困っていると藍が横から口を出してきた。

「戀さんが困ってる。調子に乗るのやめなよ。」

「あ、すみません。」

「いや・・・。それより早く中へ。」

 私は玄関を開けて二人を中に通した。

 そして、二人を部屋に案内する。

「夕食は・・・。」

「あ、なんか、テキトーに食べますから気にしないでください。」

 美紀は笑顔で言う。

「いや、ついでだから作るよ。言っとくけど、この近くにコンビニなんてないから。」

「うへぇ!!す、すみません、じゃあお願いします。」

 ・・・全く面倒なことが増えた。

 しかし、ここまで案内して突き放すのもどうか・・・。自分らしくもないが、世話を焼く羽目になってしまった。

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