会話が歌になるのなら

森里ほたる

会話が歌になるのなら

 そう、いつも私は周りが気にしないような些細な事が気になってしまう。だから今日も向かいの席に座る男の子に話しかける。


「ねぇ、歌と会話ってさ、どうやって区別しているのかな?」


 机に向かいながら真剣に数学の問題を解いていた彼、森本がゆっくりと頭を上げて私の方を見てきた。どうもリズムに乗れて勉強が捗っていたタイミングで私が話しかけたようで、若干煩わしそうな顔でこちらを見ている。


「え? どういう意味? 歌と会話って何のことだ?」


 そんな森本は、私の説明が一切ない問いかけに質問で返してきた。……まあ、当然だよね。こんな風に私は説明を端折って唐突に話をする癖がある。直さなきゃなーと思いながらも、森本相手には結局そのまま話してしまう。


「んーとね、普段私たちって普通に会話もするし、歌も聞くし歌うでしょ。その時に、それが会話か歌かって誰かに説明されなくてもわかるよね。でも、それってなんでなんだろーって思って聞いてみたの」


 森本は私の話を聞いて質問自体は理解した表情になった。だけどもしかしたら、またいつものちょっと面倒な質問かと呆れているかもしれない。今さらながらまた意味不明な質問をしてしまったことに若干後悔した。……うん、これは早めに引き下がろう。そう思い、やっぱり気にしないでと告げようとした途端、森本が口を開いた。


「……そうだな。明確な答えは分からないけど、リズムやテンポとかが影響するかもしれないな。同じ言葉を使っているんだから差が出てくるのはそれ以外の要素だと思う」


 それは冷たい拒否でもなく、呆れた非難でもなくて、真摯な優しい答えだった。



 ずっと森本は変わらない。それは小さい時から。ちょっとぶっきらぼうな所があるけれど、いつも森本は私の話をちゃんと聞いてくれる。突き放さないでいれくれる。そして私にちゃんと寄り添ってくれる。


 なんだか胸がむずむずする。私の中のナニカが暴れだして溢れそうになる。だからなのかもしれない。返事をする時の声が少しうわずってしまったのは。


「……た、確かに! リズムがあるだけで、もう"歌"って感じになるもんね。」


 私は森本の意見にする。しかし、すぐに違う疑問がふと浮かんできた。


「あっ、でもスポーツとかを早口で実況している人って独特なリズムがあるけど歌ではないんだよねー。ただリズムがあるだけじゃないのかな。んー、そうなると、どうなんだろう? ……あれ、よくわからなくなっちゃった」


 私が自問自答で混乱していると森本は目をつぶりまた少し考えこみ始めた。私はそんな森本の顔をじっと見つめた。


 力強そうな少し太い眉。まぶたを開けると見えてくる凛々しい目。鼻は一般的な人よりは高くて、すじもきちんと通っている。組んでいる腕も剣道部で鍛えているからか硬そうで太い。私の腕の何倍なんだろう。


 きっとこんな腕に抱きしめられたら、私は簡単につぶされそうだろうな。でもそれぐらい強く抱きしめられたらきっと暖かくて嬉しくて私の心は満たされるに違いないと思う。


 ……なんて言っちゃうと変な子と思われるのを知っている。それでも我慢しないとその願いがいともたやすく口から出ていってしまいそうなんだよね。ダメだな、私。


 どれくらい時間が経ったのだろうか、そんな風なことを考えているといつの間にか森本は目を開けてこちらを見ていた。


「おい、今井。大丈夫か?」


 私がぼーっとしていたので、声をかけてくれた。いつも森本は私に気を遣ってくれて声をかけてくれる。……なんでこんなに優しいんだろう。私にだけなのかな、こんなに優しいのは。


「んー、大丈夫だよ。それで、どう? なにかアイディア思いついた?」


 思っていたことを見透かされないように、表情はきっちりポーカーフェイス。私の得意分野だ。


「ん、ああ、出たぞ」


 自信満々に答える森本。そんな顔もいいなと全く違うことを考えてしまう。まずいまずい、また自分の世界に入ってしまう。それを避けるためにも森本に問いかけた。


「へー、どんな?」


「つまりな、言葉って言うのは会話でもあり歌でもあるんだ」


 ……ん? 言葉は短いのに頭の中が疑問符だらけになる。


 言っている事がわからない。私の頭が足りないのかな。確かに森本は成績はとても良いし、私はお世辞にも良いと言えない。確かに会話は言葉で出来ているし、歌も言葉で出来ている。


 だけど、意味が分からない。恐らくこれは私だけではないはず。……だと、信じたい。


 というかコイツはそんな意味不明な事をよくも自信満々に言えたものだ。メンタルが強すぎやしないか。


「あー……、ごめん! ぜっんぜん意味わからない。どういうこと?」


 ちょっとドヤ顔でこちらを見ながら話始めようとする森本に少し引きながらも耳を傾ける。


「簡単に言うと、言葉の受け取り方によっては同じ言葉で同じリズムでも会話になったり、歌になるんじゃないかと思ったんだ」


 それは受け取った側が勝手に決められるって言うことなのだろうか。ケースバイケースというか、私がこれは歌だと思ったから歌になるということなのかな。そういうこと?


 例えが浮かんできそうで、浮かんでこない。そう言えば、この前、テレビで日常会話からキーワードを拾ってきて歌を作り上げるみたいなことを言っていたアーティストがいたような気がする。そんな感じなのかな。


 分かったような分からないような、私が答えにスッキリしていない表情がありありと出ていたらしい。


「まあ、そんな顔をするなよ」


 森本はそう言うとまた机に向かい数学の問題と遊び始めた。私は置いてきぼりだ。



 

"同じ言葉で同じリズムでも会話になったり、歌になる"。




 森本の答えは上手く分からなかった。でも、その言葉がずっと頭の中に残り続けている。


 もう森本の意識はこっちに向いていない。テストが近づいてきているから勉強にお熱なのだ。私はワイヤレスのイヤホンをつけてスマホを操作する。よし、今日は周りの席に誰も座っていない。


 私は迷惑にならないように小さく鼻歌を歌い始める。勉強はイマイチでも歌にはちょっと自信がある。数少ない自分で自分を誇れるポイントだ。


 しかしとても残念なことに、私の素敵な鼻歌が届いても森本は机に齧りついている。


 ふーん、そっちがその気なら私も譲らない。私は森本に見えないように右手を少し強く握り込んだ。その力で小さい恥ずかしさを追っ払う。そして大きめの深呼吸をした。見てなさい。


 それから、周りに響かないようにでも伝えたい相手には届けと願いを込めて小声で歌い始めた。



「〜♪」



 お父さんやお母さんや友達だけじゃなくて、見知らぬ人からも褒められた私の歌。ただ、その時はビックリして怖くなって森本に引っ付いていたな。



「〜♪」



 何度も何度も聞いた曲。色々な人にカバーされて何年も語り歌われ続けてきた曲。多くの人に愛されてきた曲。



「〜♪」



 歌詞の意味を知って心から好きになったこの曲。どうしても届いてほしいと人生で初めて思った曲。この曲を歌うために、歌が少し上手く歌えるんじゃないのかとすら思っている。


 だから、歌わずにはいられなかった。届けずにはいられなかった。そして、ラストのフレーズ。




「〜In other words, I love you (つまりね、大好きなんだよ)」




 そして静寂が降りる。もちろん歌い終わったところで拍手喝采も花束贈呈もないし、感想の一つももらえないだろう。


 でも私の心は達成感で満たされている。




 だってさ、会話やただの言葉でも歌になるんだもん。だったら歌だって会話にも言葉にもなるよね。これが私の会話なの。私の想いを伝え方なの。




 きっと目の前の鈍感な男の子には届いてはいない。だけど今はこれだけでいい。ただ、一歩進むために頑張れた自分を褒めよう。今日はちょっと高級なチョコを二粒食べよう。ご褒美だもん。


 その瞬間、数学とお友達になっていた目の前の石像が動き出した。






「俺も好きだよ」






 呼吸が止まった。


 そして森本は続けて少し照れたようにはにかむ。


「うーん、でも曲名忘れちゃったな。本当にこの曲好きなんだけど。結構有名なやつだよな、それ。なんだっけ?」


 そして呼吸がゆっくりと再開した。……まぁ、そうだよね。


「好きならそれくらい自分で調べてよ。もう結構良い時間だし、そろそろ帰ろうよ」


 果たして私のポーカーフェイスはどのくらい保てているのかな。手早く帰りの準備を始める。そこで森本が言った。


「ん? 今井、顔赤くないか? 大丈夫か?」


 心の底から"誰のせいだ!"と叫びたいがそういうわけにはいかない。というより、マスクで顔がよく見えないはずなのになんで気がつけたんだろう。


「うっさい、早く帰るよ」




 今決めた! いつか絶対に私以上にその顔を赤くさせてる! その時になって反省してもすぐには許してやらないんだから! この時の私の気持ちを理解してもらうまでは!

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

会話が歌になるのなら 森里ほたる @hotaru_morisato

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ