第16話 元軍人の男(1)
あれから店主が様々な手続きを済ませてくれたこともあり、ノアとマシューは無事に学校へ通えるようになった。ノアは学校から帰ってきて宿題を先に済ませると、店主の言う、手伝いのために時折街へとおりていく。
その手伝いの内容とは、人探しだった。
(でもあの人が飛行術を使えないなんて意外だな……)
家事以外ならなんでもできそうなのにと、そんなことを考えながら、マシューは聞き込みを始めた。
――3日前。
「そろそろノアさんには本格的に手伝いを始めてもらおうかと思います」
夕食を3人で囲んでいると、店主がいきなり話を切り出した。今日の夕食もノアが作ったものである。最近は魚を食べていなかったと思いムニエルを作った。偶に学校が忙しいと店主が作ることもあるのだが、お世辞にもおいしいとは言えない。マシューは純粋だからすぐに感想を口にしてしまうので、その癖はできるだけ止めるように、とノアが注意している。店主が何も感じないとはいえ、こっちが気まずくなるからだ。
「手伝いって、何をすればいいの?」
「簡単に言うと、人探しです」
ノアは瞬きを繰り返した。
「えーっと……、それだけ?」
「はい。僕よりもノアさんに頼んだほうが効率がよさそうなので」
想像していたのとは違う答えに拍子抜けする。あれだけ不思議な、見たことのない魔法を使うものだから、てっきりその材料集めだとか、おおよそ使い魔がするようなことをするのかと思っていた。それが人探しとは。別に自分じゃなくとも誰でもできるんじゃないかと、ノアはますます店主の考えていることが分からなかった。
「この男を探しているんです」
店主はすっと写真を差し出した。眼鏡をした優しそうな男だ。
「この人は?」
「医者をしている日本人です。ただし、この世界の免許はもっていない。いわゆる闇医者です」
「やみいしゃ?」
マシューが口を開く。
「なんか怖そう……」
「そうですね。いい人ではないです。この
「でもどうして人探しなんてするんですか? 店主さんはこの人と知り合いなの?」
「この人は、僕に手術を施した人でもあります」
いつも通り一定のトーンで話すので、一瞬なんてことのないように聞こえた。だから思わず「へえ」と済ませてしまいそうになったが、
「……しゅ、手術⁉ この闇医者に手術されたの⁉ なんで!」
とノアは大声を出した。
「当時は御巫が闇医者だとは知らなかったんです。だからそのまま手術を頼みました」
店主は淡々と話す。カチャリ、とフォークを置く音が響いた。
「僕はここの店主なので店を離れるわけにはいかないし、休みの日も人探しだけに時間を割くことができないから遠くへは行けない。僕はできませんがノアさんは飛行術も得意そうです。だから適任だと考えまして」
それを聞いてノアは驚いた。自分が使える飛行術を、店主は使えない。この人なら大抵のことは何でもできそうな気がしていた。でも確かに、店主が空を飛んでいるところをイメージするのはなかなか難しい。失礼だがすぐに落っこちてしまいそうだ。
「僕の使いの者、桔梗にも捜索してもらいましたが、うまく身を隠しているのか見つけられませんでした。それに普通の人には彼女の姿は見えないから、聞き込みもできない」
パチン、と指を鳴らすと女の子が現れる。
「嘘だ……」
「はじめまして」
それ以上言葉が出ないノアに対し、桔梗は丁寧にお辞儀をした。マシューは、「なになに?」と辺りを見回している。
「マシューさんもはじめまして。私、桔梗と申します」
「桔梗……? なんか聞いたことある気がする……、あっ、色だ!」
マシューは好奇心を売ってからというものの、色に対する好奇心は少しずつ戻ってきている。だが他の興味・関心については元には戻っておらず、勉強については面倒くさそうにしている。せっかく通わせてもらっているんだからと一度ノアがきつく叱ってからは、宿題も毎日忘れずにやるようにはなったが。
「そういうことなので、ノアさん。よろしくお願いします」
「はあ……。分かりました」
店主から御巫の写真を受け取る。
「ごちそうさまでした。あ、人探し以外にも、そのうちお店のことを手伝ってもらおうと思っているので頼みます」
この人、働かせる気満々だ……と、ノアはこれからの自分を憂いて背筋を凍らせた。
「カンナギ……? 珍しい名前だねえ。悪いけど、聞いたことはないわ」
「分かりました。ご協力ありがとうございます」
この日も特に収穫はなく、店へと戻ることにした。こんな広い国から、たった一人の日本人の医者を見つけるなんて、いくらなんでも難題すぎる。いつまでこれが続くのだろうかと、気が遠くなりそうだった。
あの店主が手術を頼むなんて、昔はどこか体が悪かったのだろうか。今は全然そう見えないが、聞いてみるにしてもどう話題を切り出そうか分からない。そもそも話しかけること自体あまりしないし(前より少し回数は増えたけれど)、それはとりあえず先の話になるだろう。
「ただいま~」
「兄ちゃんおかえり」
「おかえりなさい」
挨拶が一つ増えたことが嬉しいのはノアの秘密だ。
「今日も特に新しい情報はなかったよ」
「そうですか。……せめてあの男の氣さえ分かればいいのですが……」
「氣って何ですか?」
ノアが尋ねる。新しく聞く用語に、マシューも瞬きを繰り返していた。
「人間なら誰もが
なにやらノアとマシューにとっては次元の違う話だったが、それが分からないから、今こうして苦労しているのだ、ということは理解できた。
「そうだノアさん。明日、マシューさんと少し店番をしていただいてもいいですか?」
「あ、うん。別にいいけど……」
「注文していたベッドが来るので、僕はしばらく二階にいます。まあ、お客さんもそんなすぐには来ないだろうし、ただ座ってればいいので」
「ベッド? えっ、買ってくれたの?」
マシューがさっそく反応する。以前たしかに用意すると言っていたが、本当に買ってくれるとは。幼い弟とすぐ契約し、感情を買い取ってしまった店主のことを、まだ心のどこかで許せないでいたノア。しかし自分たちのことをこうして気にかけてくれる。優しいけれど仕事はどんどん押し付けようとしてくるし、ノアは掴みどころのない、読めない人だと思った。
「ありがとうございます。でも、別によかったのに」
「だってまだ子どもとはいえ、男2人では狭いでしょう」
子ども、という言葉に少しむっとしたが、ここは素直にその優しさを受け取ることにした。
*
次の日、業者の人たちが到着したので店主は店の裏の入口へと移動した。昨日言われた通り、その間は2人で店番をすることになる。
「暇だなあ……」
上でゴトゴト物音がしてからしばらく経った。
簡単にこのお店に業者たちは来れるのかと疑問だったが、「それなら問題ありません。その人たちに対しては結界を解くだけです」とさらりと言うので、もう何も言わないでおこうとノアは悟った。相変わらず、魔法に関しては上級者すぎる。魔法、というより何か別のものに見えるが、店主は一体どうやってそれを身につけたのだろう。呑気にジュースを飲んで、スイに触れあっているマシューとはうって変わって考え事をしていると、
「すみません」
と男の声がしてドアが開いた。コウが吠える。
お客さんは来ないって言ったのに! とノアは心の中で店主に叫んだが、
「い、いらっしゃいませ~」
慣れない営業スマイルで出迎えた。
「『感情の雫』……。ここがそうなのか」
隣のじいさんが言っていた通りだ、とぶつぶつ呟いている。
短髪で引き締まった身体をした男だった。身長も高い。威圧感さえ覚える。それ以上吠えるな、と思ったが、見た目とは相反して優しい手つきでコウの頭を撫でる。こっちを振り返ったコウに少し意識を集中させると、
(いい人だよ!)
と聞こえてきた。
「えーっと、本日は、どんなご用件で……」
今はお世話になった配達屋は辞めてしまったし、接客の経験もいっさいない。それでもノアはなんとか店主が来るまで時間をとろうと努めた。
「君はバイトの子? それにしては若い気もするが」
「あ、まあ、そんな感じです。すみません、まだ全然慣れていなくて……」
変にやり過ごそうとするよりは正直に言った方がいいだろうと割り切った。
「いや、全然いいよ。今日はここの店主はいないのか?」
「もう少しで戻ってくると思うんですが……」
「いらっしゃいませ、お待たせして申し訳ありません」
ノアが話している最中、店主がようやく2階から降りてきた。ノアは心の底からほっとする。
「僕が『感情の雫』の店主です。本日はどうなされましたか?」
淀みなく接客する店主に尊敬の2文字が芽生えた。ちょっと悔しい。
「俺の妻のことで相談があるんだ」
マシューを連れて上に行こうとするが、店主はそのままでいい、と目で訴えてきた。
イーサン・ベルガーと名乗るその男は話を始めた。
俺と妻のラウラは1年前にルーナシアに引っ越してきた。母国――レグラスにいた頃は、軍人をやっていたのさ。13年前に起きた戦争は知っているだろう? レグラスがアンソリスに仕掛けた侵略戦争。俺はそれに参加していた。国を守りたくて軍隊に入ったのに、まさか戦争に駆り出されるとは思ってもいなかった。周りの仲間も、誰も好んで参加する奴なんていなかったよ。強力な魔法が飛び交うあの光景はもう二度と見たくはない。
そして戦争が終わり、幸いなことに俺は生き残った。……死んだ仲間は沢山いた。家に残したラウラも心配だったから、軍に解放されてからすぐ帰ったよ。
でも帰るとラウラどころか家もなかった。俺は避難所から連絡を受けて飛んでいくと、彼女はそこに居た。無事だったことに俺は本当に安堵したよ。だが彼女の毛布をめくると、両足がなかった。医者の話では、これが命を救うためにできる最大のことだったそうだ。
それから車椅子を引いて俺はラウラと仮設住宅に向かっていた。新しい家ができるまでの辛抱だ。俺は体育の教師をしていたラウラに何と声をかければいいか分からず……。道中、2人とも無言だった。それからというもの、あんなに明るかったラウラは表情も暗く、口数も少なくなった。
俺は精一杯のことをしたつもりだった。だがある日、ラウラは俺の目を見て言った。
『殺して』
これ以上この国にいたら、ラウラも、俺も死んでしまうだろう。俺は人を殺したからな。殺した相手と死んでいった仲間の顔が頭から離れなかった。何度も死んでしまおうと思っていたんだ。だから環境を変えて新しい人生を歩もうと、ルーナシアに来たのさ。それでもラウラに変化はない。元の彼女に戻るには、この店に相談するしか手立てはないと考えて来た訳だ。
イーサンはそこまで話すと、深い溜息をついた。
「教えてくれ店主。ここは感情を取引する店なのだろう。俺は、どうすればいい?」
ノアとマシューはイーサンの話を聞いて絶望する。自分たちが生まれる前、まだ小さい間頃に、想像もできない残酷なことが起きていた。
固唾をのんで店主の言葉を待つ。
「それでは――」
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