第15話 赤い屋根の兄弟(6)
「す、住む? 住むってここに? 手伝い?」
「はい」
動揺するノアを余所に、どこから取り出したのか、店主はコウとスイにおやつをあげていた。
「ここの二階ってお家なの?」
「なに呑気な事言ってるんだマシュー!」
いい考えの内容がこれだとは。店主の考えていることがちっとも分からなかった。
「この前、ノアさんに聞きましたよね。あなたのご両親は、この国の方ですかと」
「……うん」
「実は僕も日本出身なんです。」
「え……」
何を考えているか分からない、表情が変わらないこの得体の知れない店主が、母と同じ国で生まれたということに困惑する。身近な日本人は母しか知らない。そもそもルーナシアには日本出身の人たちがあまりいないので、あの優しい母とこの店主が同郷だとは俄かに信じがたかった。それにしても、向こうの世界とはいったいどういうことだ?
「あなたのお母様には不思議な力がありませんでしたか? 例えば……、他の人には視えないものが視えるとか」
「そ、れは」
事実を言い当てられて言葉が詰まる。幼かったころ、母は「あそこには行っては駄目」と言ったり、何もないところを見て顔を歪ませたり、悲しい顔をすることが度々あった。
「そして、ノアさんもそんなお母様の力を受け継いでいますね。同じように視えなかったとしても、そういう類の力をもっているということです。僕の結界をすり抜けるなんて、常人にはまずできない芸当だ」
「けっかい……?」
「気づかなかったんですね。やはり相性が良いようです。もともとこの国出身の人と僕では、魔法の質が違うんですよ」
詳しいことはよく分からないが、とにかく、自分のもっている「力」とやらと店主の魔法が似ているということだろうか。ノアは突然のことに驚いていたが、そういうことだろうと自分自身に認めさせた。
「そういうことで、僕の手伝いをして欲しいのですよ。生活は保障します。マシューさんも……、学校へは、行った方がいいんじゃないんですか?」
「僕は別に行かなくていいけど……」
「! 学校に、行けるのか……?」
まったく興味を示さないマシューに対しノアが食いついた。
「はい。お金なら僕が払いますし。最近できた盲学校へ行けば、マシューさんも魔法が使えるようになるのではないでしょうか」
盲学校。マシューが今まで行っていた学校は普通の学校で、サポートの人がついて勉強していた。しかしそれでも周りの子たちとは差がついてしまっていたし、何よりあの赤い屋根の家に住むようになってからは、マシューはおろかノアも学校に行けていなかった。
このお店に住めば、今みたいなぎりぎりな生活をしないで済むし、なおかつ学校へも行ける。なんとも魅力的な提案だった。マシューの感情を奪ったのは許しがたいが、マシューが自分で頼んだと言っていたこともあり、ここに住まわせてもらってもいいのではないかとノアは思った。
「兄ちゃん、ここに一緒に住もうよ」
マシューがノアの腕を掴む。
「店主さんも悪いひとじゃないよ、きっと。それに、兄ちゃんと一緒だったら僕はどこだっていいよ。このままじゃ兄ちゃんが倒れちゃう」
「マシュー……」
弟の言葉に後押しされ、
「店主さん……。お願いしても、いいですか」
とノアは頭を下げた。
「よろしくお願いします」
「そんな、いいですよ。提案したのはこっちですし。頭をあげてください」
いつの間にかノアの隣に来ていたコウは、お座りをしてこちらを見上げていた。どうしたの、と不思議そうにしている。
「はは。……俺たちも、一緒に住むことにしたんだ。よろしくな」
頭を撫でると、くすぐったそうにしてノアの手を舐めた。弟の手もとって頭を撫でさせる。コウはその手も同じく舐めたので、マシューは驚いて手を引っ込めてしまった。
「では、さっそく部屋の準備をします。ノアさんたちも荷物をまとめてまた来てくださいね」
「分かった、りました。ありがとうございます」
「ありがとうございます!」
もう一度頭を下げてお礼を言った。兄に続き、マシューもお礼を言う。
「マシューさんには前言いましたが、無理に敬語を使わなくてもいいんですよ。僕は、そういう立派な大人ではないので」
「?」
店主のその言葉に僅かに引っ掛かりを感じたが、ノアたちは一度あの家に戻ることにした。
荷物といっても母の遺品以外ほとんど何もないので、準備はすぐに終わってしまった。箒でまた店まで行くのはさすがに無理があったので、少し高いが馬車を呼んで向かうことにした。
「あのお家ともお別れかあ」
「寂しいか?」
「うーん……。ちょっと、寂しいかも」
マシューに、『寂しい』という感情はちゃんとあることにノアはほっとした。丁度雨が止んだ頃森に到着し、すぐに店の前に移動する。
「戻りました」
「ああ、早かったですね。……荷物はそれだけですか?」
「母さんのがあればそれでいいし、自分のものはそんなに持ってなかったから」
「そうですか。では、部屋に案内します」
店主の後を歩いて二階へ行く。廊下は住んでいた部屋より広く、物も綺麗に整理整頓されていた。几帳面な性格なのだろうか。
「あっちがキッチン、あそこがトイレとバスルームです。好きに使ってもらって構いません。ここは僕の部屋です。二人はあの一番奥の部屋を使ってください」
ここは何の部屋ですか、と、ノアは何気なく聞いた。店主の部屋と自分たちの部屋の間にも、一つ部屋がある。
「ここは……、物置なので、普段は使っていません」
「そうなんだ」
奥の部屋のドアを開けると、ベッドがひとつ、テーブル、椅子、本棚、クローゼットと、何ともシンプルな部屋だった。
「もう一つのベッドは今度また用意します。それまで我慢していただくことになりますが、それ以外に必要なものがあれば何でも言ってください」
「そんなに気を遣わなくて大丈夫ですよ。ありがとうございます」
店主は、「それでは店に戻ります」と言って一階へ降りてしまった。
二人は持ってきた荷物を整理し始める。クローゼットには少ない自分たちの服を入れ、本棚にはマシューが大好きだった本や教科書を入れる。テーブルの上には母と3人で撮った写真。楽しそうに笑っている。
片付けがひと段落すると、唐突な眠気がノアを襲った。
「ごめん、マシュー……、ちょっとだけ眠る……」
「じゃあ僕も一緒に寝る!」
二人でベッドに入り、少しだけ仮眠をするつもりだった。しかし。
「……さん、起きてください、ノアさん」
「う~ん……、……えっ⁉ いま何時⁉」
「19時です。お店を閉め終わったので、これからご飯にしようと思って」
「19時⁉ す、すみません……。何かご飯でも作っていれば」
「いえ、いいんですよ。ずっと気を張り詰めててそれが解けたんでしょう。なんならご飯ができてから起こした方がよかったですね。物音がしなかったのでどうしたのかと気になって」
最初は不気味としか思っていなかった店主だが、それは印象だけなのかもしれないとノアは思った。
食事ができ、キッチンへと呼ばれる。料理を口に運び、味わった。
「……これは」
「どうかしましたか」
「次からは俺が料理を作るよ」
「兄ちゃん、これまず~い……」
悪気なく感想を口にする弟の頭を軽く叩く。店主はそんなマシューの言葉にも特に不機嫌にはならず、ノアに「助かります」とだけ言った。
翌日、『感情の雫』は休みだったので、店主は色々手続きを済ませてくると言い残し、街へと行ってしまった。店に残された二人は、特にすることもないのでこの周辺を探索することにした。
「兄ちゃん、店にいようよ~。別に面白いものなんて何もないじゃん」
「いいだろ、何もなくても。……おっ、この前の木の実だ」
念のため籠を持ってきてよかったと、ノアはそれを収穫して中に入れた。確かに面白いものはないが、こうして歩いているだけでも気持ちがいい。しばらく二人で森を進んでいたが、店主が戻ってくる前に戻ろうと思い、道を引き返すことにした。いい運動にもなったし、今日はもういいだろう。
木々の間から店の屋根が見える。
「もうすぐ着くぞマシュー。喉が渇いたな」
弟の手を引っ張って歩いていたノアだが、突然後ろに引き戻された。
「……? どうした? 足でも痛いのか?」
怪我がないか確認するが、どこも大事ないようだ。
「もうちょっとだからな」
今度はちゃんと歩き出す。しかし、店の前に着くとマシューは再び足を止めてしまった。
「どうしたんだよ。具合が悪いならちゃんと言え」
黙って何も言わないマシューを心配し、ノアは少し強めに尋ねた。
「兄ちゃん、僕たち、あの家を出て、ここに住むことになったんだよね」
「……そうだ」
やはりあのぼろぼろな家でも離れるのは寂しかったよな、と胸を痛める。たまにはあそこに遊びに行こう、と言おうとした。
「ねえ、今度の屋根は何色?」
「マシュー……?」
耳を疑った。マシューが、また、色を聞いている。なぜだ? もう好奇心は失ったんじゃないのか? ノアは弟の言葉が信じられなかった。同時に嬉しさも込み上げる。弟が、弟が戻ってきた!
「葉っぱの色は? 今日の空は、何色なの?」
次々尋ねる弟に、ノアは一つずつ丁寧に答えていった。
「今日の空は、
ノアは潤む視界で上を見上げた。
「屋根の色は、
マシューはにこりと微笑んだ。
「そっか。綺麗だね」
地面に膝を着いて、弟を抱きしめる。マシューも一緒に座り込んだ。
「おかえり。おかえり、マシュー」
「ふふ、何言ってるの兄ちゃん。ただいま」
外で泣くなんて何時ぶりだろう。そもそも最近は泣いてばかりかもしれない。ただ、誰にも泣き顔を見られないところは唯一の幸いだった。
「……何してるんですか二人とも」
「なっ、なんでいるんだよ!」
「あ、店主さんもおかえりなさい!」
誰にも見られない……ことはなかったが、もうそんなことどうでもいいや。ノアは諦めて開き直った。
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