死せる少女と迷走する男達
西玉
第1話 誘拐された少女を追って
五寸釘レオは、中学3年生にして、誘拐犯のアジトに踏み入った。しかも、誘拐犯人の仲間としてである。
東京都郊外の古びた倉庫だった。周囲に人家はあるが人気は少ない、うらぶれた街の一隅である。
「どこの小僧だ?」
扉を開けて第一歩を踏み込んだのと同時に、レオに対して好意的とは思えない声がかけられた。動きやすそうな作業服に、革の手袋をした男だった。武器こそ所持していないが、侵入者に襲い掛かるのを躊躇するようには見えなかった。
「なんだって?」
レオの背後から、レオを仲間として招き入れた男の、頓狂な声が上がった。
「僕のことを忘れたんですか?」
前後を強面の男達に挟まれながら、レオはほがらかに答えた。
「……誰だったかな……」
途端に、凶悪だった男の顔に戸惑いが浮かぶ。レオはほくそ笑んだ。
ただの誤魔化しではない。レオの問いかけに相手が応じれば、操作するのは簡単だった。レオは普通の人間ではない。肉体と精神を操作する能力を持つ、中級魔法使いと呼ばれる存在である。
「ちょっと合わなかっただけで、忘れるのは酷いな。それより様子はどうだい? 娘はどうしている?」
「……ああ、済まない。忘れたわけじゃない。見間違えたんだ。娘なら二階だ。大人しくしているよ」
「わかった。様子を見てくる」
「ああ」
男は道を開けた。倉庫の奥には、二階へ上る錆びた階段があった。一階の天井に押し上げ式の扉がついているため、二階の様子は見ることができない。
レオが階段に向かうと、背後で男の声が聞こえた。
「これから、一人上に行く」
話した相手は無線機のようだ。レオは緊張しながら耳をそばだて、不自然ではない足どりで階段に急いだ。
『誰だ?』
無線機の声はスピーカーをとおしてはっきりと周囲にも聞こえていた。レオが階段にたどり着く。
「仲間だ」
『誰だ? 名前は?』
「えっと……悪い、名前を忘れた」
後半の言葉はレオに向けられていた。レオは階段を上り、跳ね上げ式の扉に手をかけたところだった。
「奇遇だね。僕もおじさんのことなんか知らないよ」
やはり、簡単にはいかない。レオは状況を理解できずにぽかんと口を開けた男に舌を出し、扉を押し開けた。
五寸釘レオが二階に顔を出し、まず目に入ったのは鋭い刃物の切っ先だった。友好的な歓迎であるはずがない。
刃物を持つ男の向こうに、奥で椅子に腰かけた男が見える。その隣に、縛り上げられ、目隠しをされた少女レイカがいた。
「殺せ」
奥で座っている男が、鋭い声で命じた。目の前のナイフが動く。
やっぱり、こうなったかと思いながら、レオは首を倒した。
レオは普通の人間にはない能力を有している。会話を交わすことができる相手であれば、会話を通して勘違いをさせることができる。つまり、会話を成立させられない状況では通用しない。
鋭利なナイフがレオの顔をかすめた。
眼球に傷を負うことは避けられたが、顔の皮膚を傷つけ、突き出た腕がレオの頬を殴った。
突き出された男の腕をレオは掴み、後方に引いた。
押し上げ式扉の戸口が狭いため、男は顔面で二階の床板を破壊することになった。
傷つけられたレオ自身の顔も痛んだが、無視することもできた。一気に二階に上り、奥にいた男に向かおうとした時、レオの足が止まった。
椅子に座り成り行きを眺めていた男が、目隠しをされた少女に向かって腕を伸ばしていた。腕の先に、黒い塊が握られていた。拳銃に見える。本物かどうかはわからない。
「動くな」
「その子を殺したら、身代金は入らないぞ。オレは代わりの人質には向かないぞ。オレの家は貧乏だ」
男は答えなかった。ただ冷笑を浮かべた。レオは右手を握りこんだ。飛び道具を準備するためだった。握りこんだ手の中で、中指の爪をはがす。痛みに耐え、肉体を武器とすることを、レオは得意としていた。
背後で男が立ち上がった。二階の床板が破壊されるほど強く打ち付けたはずだ。首が折れても不思議はないほどの怪我のはずだが、丈夫な男らしく立ち上がった。
しかも、階段の下から上ってくる音が聞こえていた。精神の操作はちょっとしたきっかけで破られる。
レオは振り返らなかった。少女と男から、目を離してはいけないと感じていた。
少女に向けられていた拳銃の先端がレオに向かう。その瞬間をレオは見逃さなかった。手の中に握りこんだ中指の爪を親指で打ち出す。男は顔を抑えてのけぞった。
レオは床を蹴った。同時に背後から殴られた。体勢を崩したが、振り向きもせず足を動かし続け、前方に向かった。
発砲の轟音とともに、少女が悲鳴を上げる。目隠しをしたままだったので驚いたのだろう。拳銃はレオに向けられており、レオの太ももに銃弾が食い込んだ。
二発目が撃ち込まれる前に床を蹴る方向を変え、レオは男に達する直前で縛り上げられた少女に向かった。少女の柔らかい体に腕を回し、抱きかかえた。突然のことに少女の体が硬直したのがわかった。
「レイカ、オレだ」
すぐに少女の体から力が抜ける。
「レオ?」
答える暇はない。勢いを殺さず、少女を抱えたまま直進した。目の前には、倉庫の壁が見える。肩が痛んだ。銃弾が撃ち込まれたのだと理解した。
倉庫はプレハブだったが、鉛の板だ。生身で壁に突っ込んだところで、突破できるはずがない。レオは少女の頭を抱きこむように抱え、足の筋肉を限界以上に酷使した。頭部と肩の皮膚を硬化させ、同時に痛覚を遮断した。
重い衝撃とともに壁に激突し、硬化した皮膚を血まみれにしながら、プレハブの壁を破壊した。レオは抱えていた少女もろとも、倉庫の二階から落下した。
倉庫の壁を破り、五寸釘レオが助けた少女と共に落下を始めた直後、少女の鋭い悲鳴が響いた。レオの腕の中である。目隠しをされているため状況がまったく理解できていないところで突然落ち始めたのだから、驚くのは当然だ。
レオの体に、少女の腕がきつく絡みついた。地面が迫る。少女の頭を抑え、レオは自分の腕の中に抱きこんだ。
下の地面は幸いにも土だった。
激突する肩と頭、衝撃を受ける首の筋肉と皮膚を硬化する。少女が悲鳴を上げ続けている。
少女が舌を噛まないよう、手を少女の口腔に突っ込んだところで、落下が終わった。地面に激突したのだ。
刺さった杭が倒れるかのように、少女とともに地面に倒れる。レオが少女に覆いかぶさる形になった。
地面に伏せた姿勢で、少女の目隠しを強引に剥ぎ取る。
「大丈夫か? 怪我は?」
答えはない。少女の口には、レオの手が突っ込まれていた。少女が口を開ける。レオの手に、少女の歯形がくっきりと残っていた。
「レオなの? どうして?」
「詳しい事情は後だ。今は、ここを逃げないと」
「うん……レオ、怪我をしているの?」
レオが体を起こし、少女が地面に座った。レオは右足と左肩に銃弾を受け入ていた。血が流れている。少女はレオの心配をしたが、誘拐され丸二日が経過していた。レオには、少女が意識を別のことに向け、思いだしたくない経験を封印しようとしているのだろうと感じた。
「こんなの、大した怪我じゃない。オレは人間じゃないからな」
「また、そんなこと言って」
一つ年下の幼馴染である少女に、レオは昔から親しみを覚えていた。常人とは異なる力を持つレオは、自らを人間とは別の生き物だと考えていた。
少女はレオの傷に顔を近づけるが、レオは頭上の破壊された倉庫の壁から、男の顔が見下ろすのに気づいた。銃を持っている。倉庫の中から足音が聞こえた。レオが精神を操作した男達も、すでに正気に戻っているのは間違いない。
レオは急いで周囲を見回した。郊外の人気のない一画にある古びた倉庫だ。まばらに家はあるが、人が住んでいるかどうかはわからない。住んでいたとしても、銃器を持ち歩くような男達相手に、助けを求めるわけにはいかない。
「レイカ、歩けるか?」
「うん。大丈夫」
「走るぞ」
「えっ? 走れるかって聞かなかったじゃない」
少女を一人で逃がすわけにはいかなかった。誘拐犯人は複数で、しかも確実にレイカを狙うはずだ。レイカを一人にして襲われたら、もはや助けにいくことはできないだろう。
状況がはっきりと飲み込めていない少女の反応を待つことができず、レオは少女を強引に担ぎあげた。
「冗談よ、レオ。ちゃんと走れるから」
少女はおどけた声を出したが、レオは取り合わなかった。気が動転しているはずだ。少女の言うことを真に受けているわけにはいかない。
遠くで、乾いた音がした。
尻に熱い感覚があった。レオの目の前に、ブロック塀があった。壊れかけ、人家の一部を構成するブロック塀だ。その人家に居住者がいるとは思えなかった。
銃で撃たれ、しかも体内に弾丸が残っている。レオが普通の人間なら、動くこともできなくなる重症である。
レオは歩みを止めず、ブロック塀の影に飛び込んだ。少女を抱えたままである。ブロック塀の影に飛び込みざま、少女を抱き替える。周囲から隠すように、塀のそばに少女を下ろした。
五寸釘レオは、自らが大量の血を流していることに気づいた。レオは自分の血流ぐらい操作できる。出血を止めつつ、耳に意識を集中させる。レオが手を放すと、地面に座らされた少女は肩を抱いて震えはじめた。
誘拐されていた間にどのような目にあったのか、レオは知りたくもなかった。何もされていなくても、されていた可能性を想像して震えているのかもしれない。
耳に意識を集中し、建物の中から男達が出てくるのが聞こえた。その数は四人、レオのことを仲間だと思いこませた男も、二階の床にめり込んだ男もいる。足音で判断がついた。しかも、全員まっすぐレオと少女が隠れている塀を目指してくる。隠れたところが目撃されていたのだろう。
「レイカ、できれば、これから先のことは見ないでほしい」
「……変身でもするの?」
震えながらでも、少女は軽口を叩いた。そうしていないと、精神を保てないのかもしれない。
「いや。変身はできないが、頼む。レイカの記憶を消すようなことはしたくないんだ」
「わかった」
少女の返事と同時に、レオは少女を隠すようにブロック塀に寄り添った。同じタイミングで、男の一人が顔を出した。
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