第10話「蓬川さんは姫君である」
緊張状態が緩和されない僕はぎこちなくも彼女を先導した。
気の利いた話題が見つからず、周りの喧騒とは対照的に二人の間で沈黙の時間を共有しながら黙々と足を進める。
すると蓬川さんの方から話を振ってくれた。
「でも安心しました。新入生は私一人だけなのかなと思っていたものですから。あきらくんがいて良かった…!」
「他にも仙田って男が入部するらしいよ。今酔いつぶれちゃって先輩が面倒見ているけど」
「まあ!そんなに飲みすぎちゃったんですね」
「もう大変だったよ。パンツ一枚でダンスし始めるんだから。春だけどまだ寒いから絶対に風邪ひくよ」
仙田の話をすると汚い話になってしまうから避けようかと思ったが、セクハラ発言を伏せれば笑い話になるであろうと考え敢えて話した。
しかし、蓬川さんはそれを聞いて引いた様子を見せて気がかりそうに呟いた。
「私、遅くに着いて良かったかも…。雰囲気に馴染めなさそうで心配です…」
しまった。少しでも場を盛り上げようとして仙田を出したのが間違いだった。
緊張しているとどうしても空回りしてしまう。
「だ、大丈夫!あいつも酔っていなかったら変な奴じゃなかったし、友達想いの良い奴だよ!それにいざとなれば僕が蓬川さんを守るよ」
僕は仙田の汚名を拭いつつ自分の株を上げようと軌道修正を試みた。まあ、仙田は酔わずとも距離感を弁えない豪胆な男だが嫌な奴ではないので嘘ではない。
それより、「守るよ」は少々キザな発言ではないか。あとで脳内反省会ものだ。
しかし、僕の心配とは裏腹に蓬川さんは両指を合わせて上目遣いでこちらに目を向けていた。
「あきらくん優しい…。あきらくんは私のナイトさんになってくれるのですね」
「ナイト?」
あまり耳にしない言葉が出てきたので思わず聞き返すとクスっと笑いかけた。
「私を守ってくれるからあきらくんは私のナイトさんです。あきらくんがいるから、私、このサークルでも楽しくやっていけそうです!」
蓬川さんは僕に甘えるようにもたれかかってきた。
その小柄な身体によってジャスミンのフローラルな香りを否応なく堪能させられる。
ルージュのリボンによって結われた艶めく髪が視界にアップされ僕の思考をジャックする。
今、僕は彼女と身体を接触させているのだ。
その事実は僕の脳をオーバーヒートさせて理性を奪い、淫らな考えが僕の脳内で駆け巡る。
目前にあるこの娘の頭を撫でまくりたい。
この娘を思いっきり抱き寄せたい。
隅々まで触れてこの娘の輪郭を味わいたい。
この場合はどこまでがセーフでどこからがアウトなのか。陽キャ諸君に問い質したい。仙田なら何気なく実行できるのか。
「あきらくん?」
蓬川さんはキョトンとした様子で僕を見上げる。彼女の身体は僕から離れていた。
僕はハッと現実に戻る。
危なかった。もう少しで本来の僕なら越えてはいけないと一線を引いているラインを飛び越すところだった。いや、もはや役得として越えるべきだったのかもしれない。しかし、元来慎重で奥手な僕はきっと欲望に身を任せる程度の勇気すら持ち合わせていないから、結局のところ過度な妄想で終わって絶対に手を出さなかったはずだ。
一周目の頃から蓬川さんはこのような言動によって僕を魅了してきた。「えっ?これってもう恋人同士の関係では?きっと彼女は君に告白されるのを待っているんだよ」と誰もが思うであろうこの振舞いは、一周目の失恋から蓬川さんなりの挨拶でしかないことが証明されている。冷静に考えると、初対面でこの距離感って完全に童貞を殺しにかかっている。
しかし、かく言う僕も警戒とラブの割合が二対八であるわけで、どこかで分かってはいても脳は既に洗脳済みで蓬川さんの虜である。
「あぁ、ちょっと立ち眩みして」
僕は適当な理由を付けてその場をやり過ごすことにした。
しかし、蓬川さんは心配そうな目をして僕の顔を覗き込んできた。
「あ…。私のナイトさんになってほしいってあまりにも烏滸がましかったですよね…。私がお姫様みたいで分をわきまえていなかったです…。今の発言は忘れてください」
彼女は悲しげに唇を尖らせた。
不用意な発言で蓬川さんを傷つけてしまったみたいで罪悪感を覚えた。
「いやいやいや、そんなことないよ!僕の方が畏れ多いっていうか…まぁまぁまぁ蓬川さんもきっとサークルを楽しめると思うよ」
ナイトというのはあまりにも大仰な言い回しなので、僕の方が気恥ずかしくなり遠回しに彼女を肯定した。それでも、蓬川さんはいかにも残念そうな雰囲気を醸し出す。
「私のナイトになるの、嫌ですか…?」
蓬川さんの目を見ると、今にも涙が溢れ出ようと潤っていたので仕方がなく観念した。
「えっと…じゃあなります」
「やった!あきらくんが私の側にいてくれるだけで心強いです!頼りにしていますからね!」
彼女はさっきの陰鬱な表情から打って変わってパアアと顔を輝かせ満面の笑みを見せた。
「そ、そうだ。蓬川さんは何を食べるの?」
僕は話を変えることに尽力した。
これ以上この話題を続けると、あまりにも刺激が強すぎるため陰の者である僕の身が焼け焦げてしまいかねないからだ。
過激な言動には
「えーとですね…あ!綿菓子が良いです!」
蓬川さんは顎に人差し指を当てて屋台を見まわした後、彼女にふさわしい綿菓子を選択した。
端の方にある屋台ということもあり並んでいる客はいなかった。
僕たちが屋台のおじさんに声をかけると、にかっと笑って「お兄さんたちカップルかい?ってことは二人分いるな!がっはっは!一人五百円で計千円だ!」と言って綿菓子を用意し始めた。
おじさんにカップルと言われて僕は動揺を隠せるはずもなく顔がリンゴ飴になったが、蓬川さんは「ふふっ、そう見えます?」と思わせぶりに答えた。
蓬川さんは僕の耳元で周りには聞こえないように小さく囁いた。
「私たち恋人みたいですね。それだけ周りからは仲良く見えているってことですよ」
その言葉は僕の脳を溶かして綿菓子のようにスカスカにして頭の中を真っ白にした。
気づいた頃には、おじさんが二人分の綿菓子を僕たちに渡してくれていた。
「はい、千円ね」
おじさんの催促によってハッと我に返る。
蓬川さんが小さなショルダーバッグから財布を出そうとしていた。
しかし、ここは男の僕が出してあげるべきであることは陰キャながら理解していた。
「僕が出すよ。おじさんありがとう」
千円札と引き換えに綿菓子を受け取り、一つを蓬川さんに渡す。
「え、そんな。良いんですか?」
「気にしないで。えっと…ほ、ほら、入部祝いだよ」
訳が分からない奢り文句だが、彼女はふふっと目を細めて笑って綿菓子を受け取る。
「あきらくんも一緒に入部するのですからそれじゃあ奢られる理由にならないですよ。でも嬉しいです。お言葉に甘えて頂きますね」
蓬川さんは早速綿菓子に口を付けて顔をほころばせた。喜んでいる彼女に思わず相好を崩した。
それはそうと、よくよく考えたら何で僕の分まで綿菓子があるんだ。カップルというワードに気を取られてあのおじさんの押し売りを許してしまった。綿菓子など口元がべたべたするから嫌いなんだけどな。
僕も仕方なく綿菓子にかぶりついた。
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