第7話「男の粗相は需要ない」

 駅から歩くこと十分ほどにある大きな公園は、見渡すかぎり桜が咲き誇っており絶好のお花見スポットであった。僕たち以外にも多くの花見客が宴会を楽しんでおり、その様子を見ているだけでも満足できそうなぐらいだ。


「こんな人が多いんじゃ花見の場所もなさそうっすね」


 途中のコンビニでしこたま買った酒類を両手に、仙田はどうしたものかと呟く。


「いや大丈夫よ。大先輩の伊那谷さんが先に行って場所取ってくれているの」


 天城さんはキョロキョロ辺りを見渡しその大先輩の姿を探す。「あっ」と声を洩らしたかと思うと、彼女が顔を向けた先には完全に酔いつぶれた不潔な男がブルーシートの上で仰向けになって大きないびきをかきながら寝ていた。周りの人たちは迷惑そうな顔で見ている。


「うわーこりゃひどい有り様ね」


 明神池さんは他人事のように長い髪をくるくる指に巻く。いかにも日常茶飯事といった態度だ。


「もう、伊那谷さん!」


 明神池さんと足立さんはいちゃついて知らんぷりという様子だったので、仕方なく天城さんが伊那谷さんに駆け寄って介抱をした。


 伊那谷さんは髪の毛を長く伸ばし髭もあまり剃っておらず、数か所破れたパーカーとジーンズを着ているといった、見るだけで異臭がしそうな身なりをしている。そのため、傍から見ると完全に近寄ってはいけない浮浪者もどきだった。


 天城さんに身体を揺さぶられると、彼は頭を抱えながら起き上がった。


「んん。天城か。どうだ、お前も一杯付き合えよ」


「周りの人たちが見てます!ほら、水あげますから飲んで!」


 彼女によって強引に水を飲まされ、「こりゃ拷問だ!」と吐き捨てた挙句、トイレへと立ち去って行った。


「よし、これで平穏が保たれた、と」


 明神池さんは厄介者が消えたことを確認すると、伊那谷さんがいた場所にアルコールスプレーをかけて消毒して真っ先に座った。釣られるように足立さんも彼女のそばに座ると明神池さんはパタンと足立さんの膝に身を倒した。


「お!じゃあ俺も失礼しまーす」


 仙田も重たそうなビニール袋をシートの上にがさつに置いて寝転がった。


「あたし、ちょっと心配なんで見てきますねー!先始めちゃっててください!」


 天城さんは、仙田が置いた袋から予備に買っておいたビニール袋と2Lの水を取り出して伊那谷さんの後を追った。


「じゃ、僕も一緒に行きますよ」


 天城さんが一人で伊那谷さんの様子を見に行くと言うので、僕もついていくことにした。


 実は天城さんが立ち去った後、酒乱・明神池さん主催の限界飲みパーリーが始まり、僕と仙田は酔いつぶされてしまうのだ。気が付けばすっかり日が落ちていて、天城さんだけが残って僕たちの介抱をしてくれた思い出がある。酔って記憶がないが、途中で蓬川さんも合流していたはずだから、このイベントは完全に省いておきたい。仙田、潰れるのはお前だけだ。


「そうなの、早く戻ってきてねー!じゃ、仙田くん。早速洗礼してあげようじゃないかっ!」


「俺、明神池大神おおみかみに洗礼されるなら本望です!ぜひおなしゃーす!」


「仙田くん、君を二度とまりに近づけないようにしてやろうか」


「足立先輩の洗礼はまじ勘弁っす…」


「まあまあ二人とも、仲良く飲もー飲もー!」


 背後では彼女らの酒宴が繰り広げられようとしていた。


 僕が彼女に追いつくと天城さんは意外そうな顔を見せ遠慮がちに言った。


「あきらくんも心配してきてくれたんだ。でも大丈夫だよ。皆とあっちでワイワイしてきなよ!」


「こっちの方が安全そうなんでついてきただけですよ。なんだか今からあそこが戦場になりそうだし…。それに伊那谷さんは男だから天城さんが中に入って介抱できないでしょ」


「確かに…。じゃあお言葉に甘えて一緒に来てもらおうかな!」


「天城さんも大変ですね」


「あたしって何でも気が回せるデキる女だからね!つい世話を焼いちゃうのよ。将来はバリバリと働いて重宝されるキャリアウーマンかなー」


 天城さんは口角を緩ませて微笑んでみせた。しかし、それは微笑むために口角を緩ませたように見えた。


 伊那谷さんの方に向かっている間、ちょっとした沈黙が生まれたので何だか気まずいような気がして天城さんに二周目の僕なら分かりきっている問いかけをした。


「天城さんはお酒好きなんですか?」


「あたし?あー、嫌いじゃないって感じかな。皆と飲むのは場酔いもあって好きなんだけど一人だったら飲まないかな」


「そうなんですね、じゃああの場に混ざりたかったわけだ」


「まり姉は破天荒だからなー。あたしはそこまでお酒が強いわけじゃないから、あーいうのは見てて楽しいってだけかな」


「僕もつぶれるのは遠慮したいです。もう同じ過ちは繰り返さない…」


「なにそれ、まるで前もまり姉に潰れされたみたいな言い方しちゃって」


「未来の僕が明神池先輩に関わると二の舞になるぞって忠告してくれたんです」


「まーたエスパー使ってる!」


「そんなところです。あぁ…また未来の僕から忠告がありました。天城さんもあの場所で留まっていたら潰れてたそうです…」


「あたしをからかってるでしょ!」


天城さんが「もう!」と笑って小突いてきた。まあ半分本当のことをありのままに言っているわけだが。ループジョークが天城さんにウケて良かった。


 そんな話をしている間に公衆トイレに到着した。


 男性トイレから嘔吐の音が聞こえる。天城さんはあからさまに嫌そうな顔をしていた。


「様子見てきますね」


「うん…お願い。ごめんね、新歓イベントだっていうのに上級生の介抱させちゃって」


 僕は、2Lの水を受け取り、伊那谷さんがいる大便器に入る。


 ドアにロックがかけられていなかったので簡単に開けることができ、中を見ると伊那谷さんが便器に顔を突っ込んでいた。


 伊那谷さんは僕の気配に気づき、顔を突っ込んだまま問いかける。


「誰だ、天城か?」


「天城さんなわけないでしょ。新入生の阿合あきらです。伊那谷さんの様子を見に来ました」


「おお、新入生か。どうだ、サークルの奴らは。あれだけしかいないけど皆良い奴らだから仲良くしてやってく…〇×◆$#△*●◎▼▲」


 彼は丁寧にも嘔吐のご挨拶をしてくれた。僕は伊那谷さんの背中をさする。


 その間の介抱については割愛しよう。蓬川さんや天城さんの介抱をしているなら話は別だが、汚れた男の介抱の一部始終など需要は極めて低いだろう。


 兎にも角にも、数十分かけて伊那谷さんを二日酔い程度のステータスまでに回復させることができた。一周目の天城さん、本当にお疲れ様です。


 伊那谷さんは、一言僕たちに感謝の言葉を告げた後、タクシーを呼び止めてさっさと帰っていった。


「あきらくん本当にありがとうね!もう伊那谷さんったら、ファーストコンタクトだっていうのに痴態を見せてくれちゃって…」


「大丈夫ですよ。というより、天城さん、本当にお疲れ様でした&ご迷惑おかけいたしました」


「ん?お疲れだったのはあきらくんの方でしょ」


「いえ、こっちの話です。それより、先輩たちのところに戻りましょうか」


一周目の労いをどうしてもしたくなったのでつい言ってしまった。天城さんだから妙な勘繰りはしないだろう。


明神池さんたちの酒宴会場へ足を踏み出そうとすると、天城さんは僕の手を引いて止めた。


「待って。あきらくんにお礼しなきゃ。ほら、あっちに屋台がいっぱいあるから、何か買ってあげるよ」


「そんな、悪いですよ。それにさっきのは僕がしたいからしただけであって…」


「ふっふっふ。あたしは君の先輩になるんだよ。せんぱいめーれー!あたしに奢らせなさい!」


「えっちょっと!」


 天城さんは新歓のときと同じように、僕の手を引っ張って屋台へと向かった。


 全く、天城さんは強引なところがあるな。しかしそこが彼女の魅力の一つであり僕を惹きつけるのであった。


 屋台が連なって並んでいるゾーンに入ると家族連れだったりカップルがごった返しにいた。


 僕たちも他人からするとカップルのように見えるのか、と考えていると天城さんは子供のようにはしゃいで僕に訴えかけてくる。


「あれ見て!!トルコアイスだよ!トルコアイス作っている店員さんって面白いんだよー!アイスを渡してくれるかと思ったらヒョイと下げてきたり、全然渡してくれないんだ」


「それはかなり迷惑ですね。文化の違いとは嘆かわしいものだ」


 僕がマジレスで返すと天城さんはプクっと膨れっ面をした。こういう一面は美人ではなく、可愛いって感じだ。


「もう!そのパフォーマンスを楽しむんだよ!あっきーって無粋だな!」


「あっきー?」


「ああ、くん付けは呼びにくいからそう呼ぶね!あ、あっきー見てアレ!」


 天城さんから早くも「あっきー」呼びを頂くことができた。意図せず好感度を上げることができたみたいだ。それにしても自然に呼称を変えるテクニック、僕には真似することができないな。


 タピオカ、いちご飴、バナナジュース…天城さんは興味がある屋台にどんどん目移りして、子供以上に屋台を楽しんでいた。本来僕に何か奢ってあげるという口実だったが、本当はただ純粋に屋台を見て回りたかっただけだな。


「あのー、僕に奢ってくれるって話でしたよね…」


「え?あっ!そうだそうだ!そうだったね、何が食べたい?」


 彼女はさっき言ったことであるにもかかわらずすっかり忘れていた。


 正直何でも良かったが、ちょうど目の前にあった好物のフランクフルトにすることにした。余談だが、運動会のときなどに食べるタコさんウィンナーがとても好きでいつも楽しみにとって最後に食べていた。小さい頃の好き嫌いは今に至っても脈々と受け継がれ、小腹が空いたときにコンビニに立ち寄ってフランクフルトがあれば必ず買う程度には好物である。ウィンナーとフランクフルトには細かい違いがあると言うがそんなことはどうだっていいのだ。


「じゃ、あそこのフランクフルトで」


「あー!良いじゃん良いじゃん!ちょうどあたしもフランクフルトが食べたいと思ってたんだ」


「本当ですか?さっきはタピオカとかバナナジュースが良いとか言ってましたが」


「さっきはさっき!今は今なの!…でもバナナジュースも買おうかな…」


「太りますよ」


「ほんっとデリカシーないね君は!バナナジュースは幸福ホルモンが何ちゃらで身体に良いの!」


 天城さんは持っていたトートバッグで振り回して僕を殴ってきた。


「うぐっ」


 思ったより痛かったので僕はつい声を洩らす。もしかしたら僕より天城さんの方が強いかもしれない。腕相撲をしたら負けそうだ。


 僕たちは目当ての屋台に並んで、飲み食いしながら少しばかり屋台の雰囲気を堪能してから明神池さんたちのところへ向かった。

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