◆10
最初は少し、魔が差しただけだったという。
「ねえねえ、早坂さんって、日和のこと好きなんだって」
「えー! あのふたり仲良いもんね」
宮崎と笹山が廊下で噂しているのを聞いた小学五年生の倉田は、ふたりに詰め寄った。
「それ、本当?」
「あ、気になる?」
噂話が好きな宮崎は、面白がって話を膨らめる癖がある。
「日和はなんか感情が読みにくいから分かんないけど、転校初日から早坂さんといたし、脈あるのかもしんないね」
「そっかあ。そうなんだ……」
倉田は席を外していた遠子の机を一瞥した。
「少し、身の程を思い知らせてあげた方が良さそうだね」
*
「ほんのちょっと、意地悪するだけのつもりだった」
倉田は、図書室の床にぽろぽろと涙を零した。
「私が宮崎さんと笹山さんに、遠子ちゃんにいたずらさせた。そのうち谷口くんも乗ってきて、私がなにも言わなくてもいじめるようになった。それがどんどんエスカレートして、止められなくなっていった」
「じゃあ……遠子がいじめられていたのは、倉田が首謀者だったのか」
雷に打たれたような衝撃だった。まさか、倉田が。僕と相川と一緒に、遠子と四人で遊んでいたはずの、倉田が。
倉田は顔を覆って、涙を溢れさせた。
「申し訳なくて、私はできるだけ遠子ちゃんに優しく接するようにした。そんな程度で許される罪じゃないのに」
信じられない。遠子を地獄に落とした悪魔が、目の前にいるこのきれいな目をした女だなんて。
「今まで明るみにならなかったのは、お父さんが揉み消したからなの。清く正しい倉田家であり続けるために、不都合な事実はなかったことにする。村の人たちにも圧力をかけるの。もし真実を知っていても、土地の権利で脅して、口封じをしてきた」
森本がこのノートを隠したのは、多分、この真実を知っていたからだ。ノートの最後のページに書かれていた一行が、それを物語る。
七月二十九日。南海ちゃんが、いじめの原因は自分だと打ち明けてくれた。
これはいじめの元凶が倉田だという証拠になる。森本は倉田の罪を隠すため、このノートを盗んで、ここに忍ばせたのだ。
「遠子に申し訳ないとは、思ってたんだよな。倉田にそれほどの権力があったなら、倉田がひと言言えば、いじめも止まったんじゃないのか」
僕が言うと、倉田は泣きながら首を振った。
「そうだったかもしれない。でもだめだったの。私、遠子ちゃんを妬んでいたから。私じゃなくてあの子の方が、日和くんの心を掴んでるから」
罪悪感は感じているのに、遠子がいじめられる日々は止めたくない。幼かった倉田の柔らかい心は、矛盾しているようでしていない両方の感情で、不恰好に歪んだ。
僕は落ちたノートを見つめ、呆然としていた。たかが小学生の嫉妬心が、あんな事態を招いてしまうなんて。
思い出してみれば、宮崎と笹山は遠子のお母さんに会いに行こうとしていた。ふたりはいじめの発端を知っているから、お母さんに謝ろうとしたのかもしれない。しかしそれは、倉田が原因だったことも表沙汰になる。それを阻止するために、森本が宮崎を葬った。
「でも、途中でやっぱり耐え切れなくなって、遠子ちゃんに、私のせいだって打ち明けたの。日和くんに嫌われちゃう覚悟で、真実を話して、謝ったの」
倉田は嗚咽を洩らした。
「それなのに遠子ちゃん、怒らないんだもん。怒らないどころか、『いつも優しくしてくれてありがとう』って……」
そうだ。遠子は、そういう子だった。あの子が人を呪うなんて有り得ない。分かっていたはずなのに、僕は森本の言動に流されて、「遠子の呪い」を信じてしまった。なんて愚かなのだろう。
「今、遠子ちゃんのこと、優しい素敵な子だなって思ったでしょ?」
倉田の目が、僕を真っ直ぐ見上げた。
「そうなの、遠子ちゃんは嘘みたいに優しくて、信じられないくらい澄んでる。私とは、全く違う」
倉田がブレスレットを垂らした手首で、濡れた目を拭う。
「いっそ、許さないでほしかった。私が酷いことしたんだって、日和くんに告げ口するくらいしてほしかったの。それなのに、遠子ちゃんが私を許すから……私は余計に、自分が醜くて。優しくてきれいな遠子ちゃんが大好きだし、この子が友達でいてくれて嬉しいのに、絶対に追いつけないところにいる遠子ちゃんが、憎くて仕方なかった」
「……だから、殺したのか?」
問うた声は、声にならなくて、微かに喉を振るわせただけだった。倉田はゆっくりとまばたきをし、深くため息をついた。
「あの子ばっかり、日和くんから誕生日のプレゼントを貰ったの」
語尾は震えていて、殆ど掠れていた。
「自慢したかったとかじゃなくて、純粋に嬉しくて、友達である私にいちばんに話してくれたんだと思う。それなのに私は、素直に『良かったね』って言えるほど大人じゃなかった。遠子ちゃんばっかり、ずるい。日和くんに好きになってもらえるような素敵な女の子に生まれて、ずるい。私はどんなに頑張ったってこの子には敵わないんだって思ったら、悔しくて、カッとなって、遠子ちゃんが手に握っていたプレゼントを奪おうとした。そしたら、」
倉田の言葉が、頭に入ってこない。
「そしたら、橋から突き飛ばしちゃって……」
もう、なにも聞きたくなかった。
倉田が遠子に嫉妬して、遠子がいじめられる環境を構築した。その上、遠子を殺した。そんな倉田を庇おうとして、森本が暴走した。相川も死んだ。
全部、倉田のせいだ。
大学で一緒になってなにげなく傍にいた彼女が、遠子を殺していたなんて、考えたこともなかった。目の前の女は美しく整った顔で、真珠の涙を零している。窓から差す柔らかな光に包まれた彼女は、何人もの人間を不幸に突き落とした元凶にはとても見えない。
「ごめんなさい、ごめんなさい……ちゃんと言わないとって思ってた。でも日和くんに嫌われたくなかったの」
遠子はいじめに苦しんで短い生涯を閉じたというのに、この女は八年間、罪を隠してのうのうと生きてきた。最大のライバルである遠子がいなくなったのをいいことに、僕に付きまとってさえいた。倉田の濡れた睫毛に窓の光が憩う。華奢で端麗な容姿は絵画のようなのに、僕の目には、言葉にならないほど醜悪に映った。
それなのに、僕は自分でも不思議なくらい、心が静かだった。
「そうか」
自分の中に憎しみが増幅しきって、感情が飽和して、その先の虚無に到達したのだろうか。仮にこの人を殺しても、僕の感情の行き場はない。そう、諦めてしまったのだろうか。もう、倉田に対して怒りも湧かなかった。
しかし、僕も倉田となんら変わらない。僕も谷口を殺したようなものだし、それを隠そうとした。逃げ延びようとしたのは、僕だって同じだ。
むしろ、倉田以上に罪があるのは僕かもしれない。
倉田が遠子に嫉妬したのは、僕のせいだ。その上、倉田が僕に抱えていた焦がれるほどの愛情に気づきもせず、彼女の想いを蔑ろにしてきた。そうやって僕が倉田を傷つけてきたから、遠子に矛先が向いたのだ。
悲しみの連鎖を生んだのは、僕だ。
僕は、床に落としたノートを拾い上げた。遠子の控えめな丸っこい文字が、肩を寄せ合っている。僕が遠子を、地獄へ落とした。
*
学校をあとにした僕は、ひとりで村の畑道を歩いていた。倉田の脚の怪我を手当てするために村の診療所へ送り届け、今に至る。胸には、遠子のノート。日が高くなっている。畑の眩しい緑の上に、空を横切る鳥が影を落としていく。僕はまだ倉田の衝撃の告白に心が追いついていないのに、この村の景色はいつもどおりで、なんだか僕だけが取り残されているような心地がした。
宛ても決めずに歩いていると、ふいに、道の先にパトカーと救急車が集まっているのが見えた。またなにか事件か。嫌な予感がして駆け寄ってみて、緊急車両に囲まれたその家が、森本の家だと気づく。
まさか、いや、そんなはずは。呪いの正体は森本で、本人が認めたから、呪いは終わったはず……。
と、立ち尽くす僕の頭上から、薄暗い声が降ってきた。
「ひ、日和くん、へへ」
ハッと顔を上げる。すぐ近くの家の二階の窓から、痩せこけた顔がこちらを見下ろしている。
「あ、小野寺」
引きこもりの小野寺が、また窓から僕を見つけたようだ。彼は喋り慣れていない様子で、つっかえながら話した。
「え、えっと」
木の枝のような痩せた指が、パトカーの停まった家を指差す。
「森本さん、死んだっぽい……」
告げられたその言葉を咀嚼できるまで、数秒かかった。小野寺はやや間を置いて、話し出す。
「お、俺、家近いから……パトカーとか救急車の音が聞こえて、窓の外見たら、森本さんの家の前、こうなってて。ついにババアが死んだのかと思ったら、まさかの、そっち。へへ……」
小野寺は悪趣味な冗談を交えて言い、ひとりで引き笑いした。僕はと言うと、まだ呑み込みきれずに絶句していた。小野寺がヒヒッと笑う。
「部屋で首を吊ってたみたい。デイサービスの迎えに来た人が見つけて……へへ、キモかっただろうな、見つけた人、気の毒」
警察が立ち入り禁止テープを張って、森本の家を出入りしている。
森本が死んだ? あいつ、罪を償うとか言っていたではないか。そう思ってから、僕は妙に納得した。
ああ、そうか。「罪を償う」というのは、そういうことか。
「楽しやがって」
僕の口から、悪態に近い呟きが洩れた。
腐るほど真面目な森本のことだ、自分自身を許せなくて殺したのだ。これがあいつの、贖罪の形だったのだ。
しかし、なんてずるいのだろう。あいつに殺された相川や、宮崎とその家族は、死ぬつもりなんかなかったのに、一方的に命を奪われた。だというのに、森本は自分で納得の上で、のタイミングで死んだのだ。こんな生ぬるい死に方が、罪の代償に見合っているでも思っているのだろうか。
僕は小野寺に挨拶もせず、その場を立ち去った。
死をもって罪から逃れた森本は、酷く狡猾だ。死んでしまえば、なにも感じない。罪の意識に苛まれることもなければ、暴かれる不安に苦しまなくてもいい。やり逃げほど簡単なことはない。悪夢の現実から逃げるには、自殺するのがいちばん楽だ。
そこまで考えて、僕は自分が森本を羨ましがっているのだと気づいた。もうなにも恐れなくていいなんて、ずるい。僕もそうしたい。死んでしまえば谷口を海に遺棄した罪は消えるし、倉田に付きまとわれなくて済む。遠子も相川もいないこの世界で、ひとりで戦いつづけることに比べたら、死ぬ恐怖なんて大したことないように思えた。
蝉の声がする。夏空が、僕を見下ろす。逃げることは時に必要な手段である。なにも、悪いことではない。
ノートを抱えた胸で、心臓がどくどくしている。うるさい心臓の音も、呼吸も、手首に透けた血の通う脈も、不快だった。生きていると実感してしまう。生きている限り終わりは見えない。上手く終わらせた森本が羨ましい。僕も、僕も――。
立ち止まって、顔を上げる。道の奥が、山の中へと繋がっている。相川が落ちた崖は、このずっと先だ。
僕も、そっちへ行こうかな。あの世なんてものがあるとは信じていないけれど、仮にあるとしたら、そこには遠子もいる。悪くない。地獄のようなこの世界より、ずっといい。
抜けるような青空と山の姿を眺めていると、後ろから来た軽トラに軽くクラクションを鳴らされた。軽トラが僕の真横につき、運転手が顔を出す。汗ばんだ角刈りのおじさんの顔を見て、僕は、あ、と短く声を上げた。相川のおじさんだ。
「よう、日和くん。虚ろな目をしてどこ行くんだ。送ってやらっか?」
にこりと微笑んでくれたが、疲れが浮いて見える。ひとり息子を亡くして昨日の今日なのに、なるべく普段どおりに振る舞おうとしているのだろう。彼の心境を考えると、胸が痛い。山の中の崖へ、とは、答えられず、曖昧に濁す。
「えっと……特に、どこにも」
「そうか。じゃ、今からうちに来てくれないか?」
おじさんは車窓に腕を乗せ、こちらに顔を近づけた。
「これから昼飯なんだ。簡単なもんしか出ないが、良かったら食べていってくれ」
「でも……」
僕は遠慮しようとしたが、おじさんは疲れた顔で笑う。
「修平がいないと静かすぎるんだ。人助けだと思って、な」
おじさんのその表情を見たら、涙が出そうになった。いろんなことがあって受け止め切れなくて、固まってしまった心が、ゆっくり溶かされていく。
「はい。ありがとうございます」
声の震えで泣きそうだったのがばれていたかもしれない。咄嗟に顔を伏せた僕に、おじさんはただ優しく微笑んでいた。
軽トラの助手席に乗せてもらい、昨日ぶりに相川の家に戻ってきた。おばさんは部屋に篭ったきりだったそうだが、僕が来たと知ると、泣きはらした目をして出てきてくれた。食卓には、おじさんが作った不格好なおにぎりが上がった。相川のいない静かな食卓で、三人分の塩おにぎりが微かに湯気を放つ。
「昨晩は気を遣って他の友達のとこに泊まってくれたんだってな。すまねえな」
おじさんが僕に皿を差し出す。おばさんは、泣き疲れた顔で力なく微笑んだ。
「辛気臭くてごめんね。でも日和くんがいてくれて良かった。あなたは、修平の宝物だもの」
僕は俯いて、小さく頷くしかできなかった。
死んで終わらせようなんて、甘い考えだった。遺されたこの人たちは、これからも強く生きていこうとしている。こんな僕に居場所をくれる。だから僕も、森本や倉田や僕自身への怒りにけじめをつけて、前を向こう。相川が僕に届けてくれたヒマワリのヘアピンを、遠子のお母さんに返すためにも。
食事のあと、食器洗いをして、僕は居間の畳に座った。出しっぱなしのゲームのコントローラーが、日の光を浴びている。ここにいると、「なあ日和」なんて話しかけてくる間の抜けた声が聞こえてきそうだ。
僕は、胸に抱えたノート開いた。もう、逃げない。改めて、遠子の日常に向かい合う。
日付と出来事が語られるそれは、被害の記録というより、日記に近い。時々、僕らと遊んだことや、なにげない会話など、楽しかった出来事も記されている。遠子が見てきたもの、感じていたことが、そのままここに記録されているのだ。そのおかげで、読んでいて胸が苦しくなるだけでなく、懐かしくなるときもある。相川をはじめ、谷口や笹山、もうこの世にいない人の名前が出てきては、このノートの中で、彼らがいきいきと生活している。遠子もだ。彼女の視点で紡がれるこの手記は、まさしく彼女が生きた証である。
また一枚、ページを捲った。そこに記されていた一行に、僕は目を見張った。衝動的に、ノートを抱えて家を飛び出す。蝉の声が広がる砂利道を駆け出し、僕は村でいちばん大きな屋敷を目指した。
*
「遠子ちゃんのお母さんの居場所が分かった!?」
門まで顔を出した倉田は、大きな目をもっと大きくしてみせた。僕はノートを抱え、頷く。
「多分、だけど。ヒントがあったかもれない」
「どこにいるの?」
「その前に、倉田に確認したいことがある」
身を乗り出す倉田に、僕は冷静に問いかけた。
「いじめの原因や遠子の死因、遠子のお母さんは、どこまで知ってる?」
倉田が一瞬、口を噤む。しかしもう誤魔化そうとはせず、素直に語った。
「多分、全部。私がいじめを始めたのはこのノートを見れば分かるし、遠子ちゃんの死の捜査が不自然に終わっているのを受け入れているから、少なからず、私が絡んでるのに気づいてたんだと思う」
権力者の娘に我が子を殺されても、村の他の住民と同じで、その事実を口にすることはできない。その罪を追求することすら許されない。村の住民からの視線もあっただろう。倉田家に恨みを持つ、倉田家にとっての不都合な存在として見られていたのだ。遠子のお母さんが村から姿を消したのも肯ける。
村の人々に聞いても遠子のお母さんの情報が集まらなかったのも、その背景を踏まえれば納得がいった。村の人々の強固な絆が生んだ、村八分のようなものだ。
「それじゃあ、僕が遠子のお母さんを捜していたのに協力したのは……」
遠子のお母さんが全てを知っていたというのなら、倉田が隠し続けてきた秘密が僕に知られる可能性がある。倉田とっては、遠子のお母さんは僕にもっとも会わせたくない人だったはずだ。
「もしかして、相川が言ってたとおりなのか。協力するふりをして、僕が真相に辿り着かないように見張っていたのか?」
僕のそれに、倉田はうん、と頷いた。
「最初はね。呪いのせいにしてあなたを殺してしまおうとまでは思ってなかったけど、真相に気づかせたくなかったのは正解」
相川くん、鋭いね、と倉田が自嘲的に呟く。
「でも、今は違う。私も遠子ちゃんのお母さんに会いたい。全てを認めて、ちゃんと謝りたい。許されないのは、分かってる上で」
彼女は僕の手の中のノートに、瞳を向けた。
「今更謝りたいなんて、自分がすっきりしたいだけじゃないかって思われちゃうだろうけど。これでも本気なの。遠子ちゃんの呪いを追いかけてるうちに、遠子ちゃんがどんな気持ちだったか、全然怒ってくれないあの子でも今は私を憎んでるんじゃないかって、考えるようになったから」
「そうか、分かった」
ここで僕が倉田を受け入れなかったら、遠子の死も、相川の死も、無駄になるように気がした。
「このノートに、連絡先が書いてあった。遠子のお母さんの友達だって」
それは、ノートの最後の方、七月の末頃の記録にあった。
嬉しい! お母さんの高校時代の友達、由紀乃さんが、一生に暮らそうって言ってくれた。お母さんから由紀乃さんの電話番号を教えてもらった。忘れないように、ここに書いておく。
遠子のお母さんは、遠子がいじめられているのに気づいて、引越しと転校を考えていたようだ。しかし経済的に余裕がない。見かねた遠方の友人、由紀乃さんが、ふたりに救いの手を差し伸べたのである。
「遠子のお母さんは、この由紀乃さんって人のところにいるのかもしれない。もしいなかったとしても、この人はなにか聞いてるはずだ」
僕はノートのそのページを開き、倉田に向けた。倉田は息を呑み、ノートをまじまじと見つめる。
遠子がここに、連絡先を残してくれている。まるで、遠子に導かれているような気がした。僕を許してくれた遠子が、僕がお母さんに会いに行けるように、道筋を照らしてくれているかのような。
僕は携帯を取り出し、電源を入れた。蝉しぐれの音の中、遠子のメモを頼りに、番号を入力する。倉田が僕を見つめている。僕はひとつ深呼吸をして、携帯を耳に当てた。
数回のコール音のあと、快活そうな女の人の明るい声が応答した。
「はあい?」
「あ、あの」
緊張で声が上ずる。
「由紀乃さん、ですか?」
「ん? はい。どちら様ですか?」
やっと、ここまで辿り着いた。
「はじめまして。僕、日和といいます。遠子……早坂さんの、娘さんの友達です」
日の光が照り付ける。電話の向こうの由紀乃さんは、ああ、と高い声を上げた。
「遠子ちゃんの! こんにちは、初めまして!」
明るく朗らかな声の色は、羽根のように軽い。僕を取り巻く地獄とは、別の世界から聞こえてくるかのようだった。
「日和くん、そういえば咲子……遠子ちゃんのお母さんから聞いたことのある名前だわ。遠子ちゃんの大事な人だって」
由紀乃さんはなんだか嬉しそうにそう言って、そうだ、と切り替えた。
「咲子になにかご用?」
「あっ、いるんですか!? 遠子のお母さん!」
先走って食いつく僕に、由紀乃さんは可笑しそうに笑った。
「ごめんね、今は私も咲子も職場にいるから、ここにはいないわ。でもルームシェアしてるから、夕方には会うわよ」
僕は、倉田に目配せした。倉田も目を輝かせ、両手で口元を覆う。視界が拓けた気がした。ここまでくれば、あとはもう、ひと息だ。携帯を握った手に力が入る。
「遠子のお母さんに、会いたいんです。会って謝りたいことが、たくさんあるんです。もうあれから八年も経ってるし、今更ですけど。もし、遠子のお母さん……咲子さんさえ良ければ、会わせてほしいんです」
「そう! 分かった、私から咲子に伝えてみるわ」
由紀乃さんは晴れやかに笑った。
「咲子もきっと会いたがるよ。日和くんには感謝してるって言ってたもの」
「僕に、ですか?」
「ええ! だってあなた、遠子ちゃんの初恋の人なんでしょ?」
顔が見えないのに、明るい笑顔で話しているのが分かる。
「遠子ちゃん、振られちゃったみたいだけど、いつかちゃんと日和くんに向き合ってもらえるように、そのときまでずっと好きでいる! ってお母さんに話してたんだって。いろいろあった子だけど、あなたを希望に生きてたんだよ」
僕はつい、呼吸を止めた。胸にこみ上げる、この感情はなんだろう。あのとき、幼かった僕は遠子の告白に上手に向き合えなかった。そのせいで遠子を傷つけ、追い込んでしまったとまで感じていたのに。
遠子は、僕が思っていたよりずっと強い女の子だった。
耳元の明朗な声が続く。
「そろそろ仕事に戻らないと。じゃあね日和くん」
「はい。お忙しいところありがとうございました」
「うん! あとで咲子から電話するように言っとくね」
そして通話は切れ、ツー、ツー、と等間隔の電子音が聞こえるだけになった。
蝉の声がシャワーのように降り注ぐ。僕と倉田は数秒無言のまま、お互いの顔を見ていた。
やがてぽろっと、倉田が涙を溢れさせる。
「……私も、会わせてもらえるかなあ」
「分からない。分からないけど……」
倉田のしたことは、許されるものではない。いや、倉田に限らず、元凶を作った僕だってそうだ。謝る機会すらもらえなくても仕方ない。でも、それはこれまでも承知の上で、この人を捜してきた。
「遠子のお母さんから折り返しが来たら、倉田も会いたがってるって伝えよう。会ってくれるようなら、一緒に行こう」
「うん」
倉田は涙を拭くと、力強く頷いた。
*
あれから僕は、相川の家に戻ってきた。夕方の縁側で、風の音に耳を澄ます。手にはヒマワリのヘアピンを持ち、座った膝の横には、携帯を寝かせている。遠子のお母さんから電話がくるまで、時間が経つのを待っていた。
ヘアピンの黄色い花弁は、だいぶ草臥れてしまった。けれどこれを見ていると、曇った胸に光が差すような気分になる。ヒマワリは、太陽に向かって顔を向ける、上を向く花だ。傷つけられても前に進もうとしていた、遠子のような花。だからだろうか、このヘアピンは、僕の背中を押して、上を向かせてくれる。
もうすぐだ。もうすぐ、このヘアピンを持って、遠子のお母さんに会いにいける。
電話は今か今かと、携帯を横目に待ちぼうける。だが先に着信があったのは、携帯ではなかった。背後で襖が開いて、おじさんが僕を呼ぶ。
「日和くん、小野寺くんから君宛てに電話だよ」
「小野寺?」
相川家の固定電話に僕宛てというだけでも珍しいが、それが小野寺からというのも不思議な感じだ。部屋を出て、受話器を受け取る。電話の向こうの小野寺が、不気味に笑った。
「フヒ、日和くん。相川くんの家に泊まってるって聞いたから、電話、した。ヘヘ」
「うん、どうした?」
「生きてるかなって、思って」
小野寺の呼吸音が、受話器越しに聞こえる。
「森本さんが死んだの知って、なんか、様子、変だったから。羨ましかったのかと、てっきり……」
「おい」
言い当てられたことにぞっとして、僕は咄嗟に、小野寺の言葉を遮った。小野寺は驚いたのか一瞬黙ったが、再びフヒッと引き笑いした。
「分かるよ……俺だって、羨ましかった。毎日死にたくなってるもん。でも、お、俺は森本さんみたいに死ねる勇気もないから、羨ましいだけ。ヘヘ……これが生粋の負け組」
「……僕の生存確認のためだけに電話してきたのか?」
だんだんいらついてきた僕は、少しぶっきらぼうに問うた。小野寺は慌てて早口になった。
「ち、違う。俺、電話苦手なんだから、そんなことで電話しない」
「じゃあ用件はなんだよ」
「小説、完結したんだ」
小野寺のそれに、僕は拍子抜けした。
「それだけ?」
「それだけとはなんだ。小説書くのって大変なんだぞ。プロット練って、書いては消して書いては消して……」
「分かった分かった。お疲れ様」
こんな電話をしている間にも、遠子のお母さんから電話があるかもしれない。さっさと切ってしまいたいのに、小野寺はずるずると話を引き伸ばす。
「日和くん、花火、好き?」
「花火? まあ、好きだけど」
「そう。じゃあ、今から学校においでよ。良いもの見せてあげる」
話に脈絡がない。小野寺はまた、ヒヒッと気味悪く笑った。
「いよいよ、本当の意味で呪いが終わるときがきた」
小野寺はそう言うと、急に電話を切った。
呪いが終わる? 呪いの正体は森本だったのに、こいつはなにを言っているのだろう。全く、意味が分からない。僕は再び縁側に戻り、まだ鳴っていない携帯を眺めた。そういえば、小説が完結したなどと言っていたな、と思い出す。僕は勝手にブックマークに登録されていた、筆名「オノデラ」のオリジナル小説のWEBページを開いた。あとで感想を求められるかもしれないし、見るだけ見ておこう。
舞台は田舎の農村。主人公は、クラスの女子に想いを寄せる小学生の少年。しかしその片想いの相手の女子は、中学に上がってしばらくすると家が火事になり、亡くなってしまった。そこまで読んで、ぞわっとした。気のせいではない。この火事で死んだ登場人物は、間違いなく宮崎をモデルにしている。
そしてハッとした。
『いよいよ、本当の意味で呪いが終わるときがきた』
違う。小野寺の言う「呪い」は、遠子の呪い……もとい、森本の暴走ではない。彼の言うそれは、閉鎖的なこの村の、倉田家による支配のことだ。
『呪いが終わる』――倉田の身が危ない。
僕はポケットにヘアピンを突っ込んで、キッチンにいたおじさんにひと声かけた。日の沈みかけた夕焼けの中、僕は学校へと駆け出した。
真っ赤な空に、カラスの影が舞う。涼しい時間帯だからだろう、ヒグラシの悲しそうな声が反響している。強烈な不安感が体じゅうを駆け巡る。小野寺は、「学校においでよ」と言った。年単位で引きこもり生活をしていた彼がわざわざ外へ出るのだ、とんでもないことが起こる気がする。
夕日を背負った木造校舎は、暗く翳って、僕の侵入を拒んでいるように見えた。
門を越えて、開きっぱなしの校舎へ飛び込む。夕焼け色の昇降口は、まるで放課後のひとコマみたいで、妙に昔懐かしい。
校舎の中は静かだった。外の蝉の声が遠く聞こえてくるだけで、不気味なほど静まり返っている。しかし微かに、ほんの微かにだが、灯油のような匂いが、廊下を漂っている。床の木目には、液体の零れたらしき丸いシミがある。嫌な予感がする。僕は慎重に、廊下の奥へと踏み込んだ。
床に残るシミを辿っていくと、廊下の空気の不穏な匂いも徐々に強くなった。階段を上るとさらに濃くなり、突き当たりの教室に辿り着く頃には、吐きそうになるほど充満していた。
教室の戸が開いている。戸の上に掲げられた埃まみれのプレートには、「六年生」の文字がある。僕らが共に、最後の一年を過ごした教室である。僕は廊下から、そっと中を覗いた。そこにあった光景に、僕は目を疑った。
窓に四角く切り取られた焼けるような空を背に、赤いポリタンクを傾けて、床に灯油を撒く痩せた男。パチャ、と、灯油の跳ねる音がする。
しばし唖然としていた僕は、灯油に濡れた床を見て、ハッとした。机と机の間の床に突っ伏す、倉田の姿がある。
「倉田!」
衝動的に叫んで、教室に飛び込む。倒れていた倉田は、口をガムテープで塞がれ、手足もテープでがんじがらめにされていた。僕の声を聞くなり、倉田は僅かに上半身を起こして、泣きそうな顔で僕を見た。僕は倉田の足首から、強引にテープを引き剥がす。
「待ってろ、すぐ解くから」
どうやってここへ呼び出されたのかなんて、訊いている余裕はない。足首を固めたテープは、慌てるせいもあってか自分の手に絡み付いて上手く取れない。
「んー!」
青ざめた倉田がなにか訴えてくる。直後、焦る僕の頭に、パシャッと、冷たいものが降ってきた。頬を伝う液体の匂いに、思わず手が止まる。
頭上から、ねっとりした笑い声が降りてくる。
「へへ、本当に見に来た。花火、好きなんだね、フヘへ」
灯油のポリタンクを持った小野寺が、僕の真後ろに立っている。凍りつく僕に、小野寺は言った。
「小説、完結したんだ。あとは、へへ、げ、現実を終わらせるだけ。これで、全部終わり」
「やめろ」
「ふ、復讐なんだ。邪魔しないで」
これは、この村を縛り付けてきた「呪い」だ。
「小野寺、やめろ」
「こいつのせいで理沙ちゃんは死んだ」
「違う。やったのは倉田じゃない!」
「知らない。実行犯が誰だったとしても、根っこはこいつだ。理沙ちゃんと一緒に過ごしたこの場所で、こいつも俺も、死ぬんだ」
「小野寺……!」
もう、彼に僕の声は届かない。
僕は夢中で倉田を拘束するテープを解いた。足首に続いて手首を解放すると、倉田は自由になった手で、顔を覆うテープを自ら剥がした。
「日和くん、逃げて!」
倉田の悲鳴。異常な臭気が漂う教室、床と同じ匂いがする、僕の髪から滴る雫。小野寺の引き笑い。
「ヒヒ、呪いはこれで終わる」
小野寺が空のポリタンクを放り捨てた。そして今度はマッチ箱を取り出し、にやりと笑む。
「やめろ」
僕の声が、灯油の匂いの中に消えていく。
カシュ、マッチが箱に擦れる音がした。だめだ。もう止められない。やっと掴むことができたのは、倉田の手だけだった。濡れた床から立ち上がって、転がるように駆け出す。
振り向くと、マッチ棒の小さな火が、小野寺の手から零れ落ちたのが見えた。
教室が火の海に包まれたのは、僕と倉田が理科室から飛び出すのとほぼ同時だった。
「うわああああああああ!」
小野寺の声が、炎の柱の中からこだました。
「嫌だ、嫌だ死にたくない。やっぱり死にたくない! 置いて行かないで」
小野寺の悲痛な叫びに、耳を塞ぎたくなる。
やがて小野寺の喚き声が意味をなす言葉ではなくなって、彼の声は聞えなくなった。
「走れ、煙を吸うな」
熱い。廊下に熱が篭る。木造校舎の壁はみるみるうちに炎に飲み込まれていく。振り向いては行けない。火が追いかけてくるのは、見なくても分かる。
倉田の喉から聞こえる掠れるような息遣いが、僕を余計に焦らせる。時々げほげほとむせて、また苦しそうに喉を鳴らす。
「小野寺くんが、小野寺くんが……」
倉田の泣きそうな声が、僕を責めているように聞こえる。
あいつをあそこに置き去りにしたらどうなるかくらい、もちろん分かっている。どう考えても助からない。でも、僕には倉田ひとりだけで手一杯だった。彼の手を取るその一秒遅れを取ったら、頭から灯油を被った僕はたちまち火達磨になる。
炎が迫ってくる。階段を駆け下りると、まだ火が回ってきていない一階も、熱い空気を篭らせていた。足を止めるわけにはいかない。出口まで一気に走る。脚を怪我している倉田は、よろめきながらも必死に僕についてきた。
暑いのに、妙に寒い。鳥肌が立つ。倉田の鞄が揺れる音が、鼓膜を震わせる。
「どうしよう、日和くん」
「とにかく、逃げるぞ」
「違う、ブレスレット。教室に落としたみたい」
耳を疑った。そんなもの、この状況で気にすることか。
「そんなのどうでも良いだろ!」
「どうでも良くないよ!」
倉田がいきなり立ち止まった。焦った僕は、必死に彼女の手を引く。
「良いから! 早く逃げないと……!」
火の手が迫ってくる。背中に汗が滲む。煙で酸素が足りなくなってきたのか、頭がぼうっとする。体が重い。
「え、ちょっと、ねえ」
倉田の声が、やけに遠く聞こえる。全身が燃えるように熱いのに、同時に体の芯まで寒い。感覚が死んでいく。脚に力が入らない。くたっと座り込んだ僕に、倉田がなにか叫んだ。でも、もうなんと言っているのか分からない。倉田の背後で柱が倒れた。炎が近づいてきている。息が、できない。
そのとき、僕の耳にたしかに、懐かしい声が聞こえた。
「日和くん」
歪んだ視界に移る、白いワンピース。切り揃えた黒髪。ヒマワリのような笑顔。少女の姿が、そこに見える。
「なにしてるの?」
ついに幻覚が見えはじめたみたいだ。でも幻覚でもなんでもいい。僕の目の前に彼女が姿を現してくれた。それだけで嬉しい。
「遠子。ごめんな、ずっと助けてやらなくて」
遠子は黙って僕を見下ろしている。
「好きだったのに、言えなくてごめん。僕、遠子の気持ちにも自分の気持ちにも鈍感で、なんにも分かってなくて」
意識が、遠のいていく。
「大人になったら、ちゃんと応えようって。それじゃ、遅いのに」
まだ未熟だった僕の小さな初恋は、八年間、土の中で眠っていた。止まっていた時間が動き出した今なら、ちゃんと君に向き合える。
「あのとき、気持ちに応えてあげられなくてごめん。いじめをやめさせられなくて、ごめん。でも、図々しいかもしれないけど、僕は遠子の友達でいたい」
陽炎で周りがぐらぐらして見える。
「待ってて。僕ももうすぐ、そっちに行く」
遠子はしばし、僕の顔を覗き込んで不思議そうに首を傾げていた。そしてくるっと背を向ける。
「座ってないで、こっちに来て」
白いワンピースが駆けて行く。僕はそれを追いかけようと手を伸ばした。熱い。暑い。でも、体はひんやり冷えきっている。
熱気で歪んだ景色の中に、遠子の後ろ姿が遠のいていく。追いかけたいのに、体が持ち上がらない。遠子が先に行ってしまう。
遠子の姿を目で追っていて、はたと、廊下に落ちていた黄色い小さな花に気づいた。ヘアピンだ。教室に向かう途中で落としていたようで、昇降口の傍に落ちている。
その瞬間、目が覚めた。
「日和くん! 日和くん!」
倉田が僕を呼ぶ声が、しっかり聞こえる。火の手はまだ回ってきていない。長い夢を見ていた気がするが、どうやら僕の意識が飛んだのは、ほんの一瞬だけだったようだ。力が入らなかった脚も、今なら立ち上がれる。泣き出しそうな倉田の手を握って、僕は廊下に落ちたヒマワリのヘアピンに向かって走り出した。
よろつく倉田を抱き寄せて、熱された床を踏みしめる。昇降口の手前まで駆け抜けて、ここに落ちていたヘアピンを拾う。熱くなっているピンを握り締め、また一歩、先へ踏み出す。
戸を開放した玄関の向こうに、外の夕焼け空が見える。倉田とお互いの体を支えるようにして、やっと外へと這い出した。
ぱちぱち、背後で校舎の燃える音がする。僕と倉田は、欅の木の下に倒れ込んだ。
「……外……?」
倉田の声が真横から聞こえる。
体が起き上がらない。全身が泥のようでこのまま眠ってしまいそうだ。
欅の葉がさわさわと風に撫でられている。それは僕と倉田の生還を祝福するようにも嘲笑うようにも見える。赤く燃える空が僕らを見下ろしている。風が髪を撫でる。手の中には、ヒマワリのヘアピン。
ありがとう、遠子。また、僕の行き先を導いてくれた。
ぼんやり細い息をする。木の葉が風に鳴っているのが耳に心地いい。
「そのヘアピン。日和くんは、あれからもう八年も経ったのに、日和くんはまだ遠子ちゃんが好きなんだね」
また、倉田の声がした。
柔らかな声が疲れきった体に沁みる。木の葉の音と、ツクツクボウシの声。茜色の空。手の中のヒマワリの感触を噛み締めて、ゆっくりと目を閉じた、その時だった。
どん。
背中に激痛が走った。
体じゅうに悪寒が巡って、喉の奥から血が溢れてきた。
ぽた、ぽたと、血が砂利に丸い跡を描く。
首が後ろを振り向く前に、がくんと体の力が抜けて、思いどおりに動かせなくなった。
「なんで……」
目の前の景色が霞む。
「なんで、そのヘアピンは大事にするのに、ブレスレットは捜してくれないの?」
薄れていく意識の中、包丁を持って震えている女が見えた。
「私の方が傍にいるのに、日和くんは、どうして遠子ちゃんばかり選ぶの?」
そうだった。彼女は鞄に包丁を忍ばせていたのだった。銀の刃から、血が滴っている。
ピリリリと、僕のポケットの中で携帯が鳴った。遠子のお母さんだ。早く出ないと。会いたいと、伝えないと。
それなのに、体が動かない。
「ブレスレット、一緒に捜してよ」
ああ、そうだった。君はそういう人だった。
口の中で呟いて、目を閉じた。
目の前の女は、未だに真っ直ぐであどけない目をしていた。
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