第2話 オン・ジ・アイランド

 この美術館の作品は、すべて陶板複製である―

 バスの添乗員からは事前に聞かされており、バス・ツアーに参加する前から承知の上だった。

 館内約4キロにわたる鑑賞ルートを導線に従って移動する。そこで私は日本において西洋美術史の主要作品といわれる絵画をダイジェストで流し見ていた。

 膨大な美術史の中をまるで水流に押し進められるようにして泳ぎ、脳はすっかり疲弊し、ようやく岸辺にたどりついたときには2時間ほど経過していた。

 疲れに反して、口は同行者に対し時代背景を止めどなく語っていたために、喉はからからだった。



 そこは、ジヴェルニーをコンセプトとしたカフェであった。

 私の興味は、それよりも庭にある。外に出られる造りになっている。

 ガラスの入り口をくぐったその瞬間、景色は開け、目の前にはパラレルワールドが出現した。

 そこで我が眼は、確かに1890年代から1900年代のジヴェルニーを「観た」のである。

 雨上がりのきらきらした夕陽のもとで見たのは、クロード・モネの連作『睡蓮』であった。楕円形に囲われた空間には、ぐるりと優しい色彩がめぐらされていた。


 陽光の下で戸外制作していたのだから、外で眺めてこそ真の姿を鑑賞できるのではなかろうか。それが複製であれ、想いは確かに伝わってきたのだ。


「空の王者」と呼ばれていたウジェーヌ・ブーダンの戸外制作スタイルに衝撃を受け、自身も陽光の下をアトリエとしてキャンバスと向き合ったモネ。

 奇妙で、とても素敵な、疑似体験であった。睡蓮の池に枝垂れる柳の描かれた壁画の外には、緑が配され、オープンテラスがそれをぐるりと囲んでいた。夕暮れ時の空は桃色。うっすらと雲をたたえて、どこまでも広がっていた。

 家族連れの小さな子どもたちは、笑い声をあげて壁画の周りを駆け、壁画の筆致まで再現されたにぺたぺたと触れていた。周囲の人々はそれを見て、微笑んでいた。


 その瞬間のすべての要素が、見事に調和していた。これもまた、連作の続きであるように思われた。


 この『睡蓮』の実物は、遥か遠きフランスのテュイルリー公園内、オランジュリー美術館に飾られている。

 この陶板複製を展示する美術館は、温暖な瀬戸内海の島にある。


 ふと足元を見ると、雨上がりの水たまりは「その瞬間」を映していた。空と緑と懐かしい夕日の色彩を混ぜ合わせて。

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