第5話

「……露西亜連邦の先遣隊が接収作戦の第一波完了前に撤退だと?」


 重厚な調度品で飾り立てられた執務室の重役椅子で葉巻を咥えていた、枯草色の軍服に身を包んだ小太りの男は、少し甲高い声で目の前の気の弱そうな痩身の男に確認を取る。軍服の胸元には、いくつもの勲章のブローチが輝いている。


「……どうやら、人工幻夢大陸ネオ・アトランティカで想定外の事態が起きたそうで……」

 

 気の弱そうな痩身の男は、銀縁の眼鏡フレームを触りながら黒のクリップボード上の報告書に視線を落としながら応じる。小太りの男と同じく枯草色の軍服に身を包むも、胸元には勲章のブローチは1つも輝いていない。


「……人工幻夢大陸ネオ・アトランティカ側の撹乱を兼ねて仕掛けた、影響力のある企業睦月グループの乗っ取りはどうなった?」


「……結果は……その……まだ判明しておりません……」


人工幻夢大陸ネオ・アトランティカの接収時に、我が国中華大国の経済面での立ち位置を有利なものとするための老師の献策だぞ!結果が判らんなどという寝言を報告できるか!」


 小太りの男は、咥えていた葉巻を重役机上の灰皿に乱暴に押し付けながら甲高い声で喚く。


「……で、ですが陳提督……露西亜連邦から……その……連携がなく……」


 陳の無茶ぶりに、気の弱そうな痩身の男は額に滲み出た冷や汗をハンカチで拭う。

 

「それを何とか確認するのが李、お前の仕事だろう!そんなだから参謀職でありながら、未だに勲章の1つも獲れんのだ!」


「……はっ!……承知しました……」


 李は、クリップボードごと自分の腹を抑えながら深々と頭を下げ、何とか声を絞りだす。陳に見えないように奥歯をギリッと噛み締める。

 

「……ふんッ!……露西亜連邦も過剰な戦力を投入しておいて結果が失敗なら失笑ものだぞ!」


 陳は、何処か嘲りの表情を浮かべながら不快感を露に甲高い声で喚く。

 

「……その……過剰戦力ともいえない状況のようでして……」


「……露西亜連邦中央情報部RUCIAの任務達成率97%を誇る『3巨頭ケルベロス』様が、市街戦を想定した特務仕様のASSALT GRIFFONを持ちこんで戦力不足だったと?」


 小太りの男の皮肉を込めた言い回しに、一瞬、回答に詰まるも黒のクリップボード上の報告書の頁を捲りながら忙しそうに目を動かす。

 

「……詳しい状況はわかりませんが……我が国中華大国の強襲揚陸艦へ緊急着艦の後、応急メンテナンスを要請されたとのことです。」


「緊急着艦?……応急メンテナンス?……何の話だ……」

 

「……『3巨頭ケルベロス』が人工幻夢大陸ネオ・アトランティカでの作戦行動を中断し、ASSALT GRIFFONで我が国中華大国の艦船へ乗り入れた上で補給を要請したとのことで……」


「……聞いておらんぞ!」

 

 陳は急に、険しい表情を浮かべると激高する。

 

「……現場から事後報告としてあがってきましたので……」


 李は、目を逸らしながら報告を続ける。徐々に声が小さくなっていく。

 

「……現場は何をやっている!優先順位もわからんのか!」


「……人工幻夢大陸ネオ・アトランティカ北部の軍管特区を接収の橋頭保とすべく作戦行動中であったこともあり……」


「どちらが重要かぐらいは判るだろう!」


 重役机を叩きながら陳は、険しい表情を浮かべ激高する。


「……人工幻夢大陸ネオ・アトランティカ北部のオーストラリア、ブルネイ、ベトナムの軍管特区の抵抗が思いのほか激しく……」


「もうよい!……現場には無能と言ってやれ!」


「……いや……しかし……」


「ふむ……そうだな『臨機応変な対応により友軍への支援見事である。司令部としても友軍とのホットラインを活用して連携を進める必要があるため適宜、報告をされたし。』とでも言っておけ!」


「はっ!……承知しました……」

 

「で……『3巨頭ケルベロス』は、まだ我が国の強襲揚陸艦でメンテナンス中なのだな?」

 

「あ、いえ……強襲揚陸艦へがメンテナンス後、露西亜連邦の艦船へ引き渡しを行ったそうで……」


「引き渡しただと!?……露西亜連邦へこれ以上無い借りを作れる絶好の機会だったのだぞ!」


 陳は、再度、重役机を叩きながら激高する。


「露西亜連邦側からは、ロスチスラフ少将が直接、引き渡し対応をされ感謝状を贈られたと……」

 

「何!?……『ミッドウェーの奇跡』自らが出向いたのか!?」


 『ロスチスラフ少将』という言葉に、陳は、険しい表情を少し緩める。


「……はっ……そのようで……感状は、陳提督宛へ感謝の言葉であると報告を受けております。」


「そうか!ならばよい!」

 

 途端にニヤニヤし出した陳を、李は冷ややかな視線を向ける。

 

「感状が出るほどの対応だったのか確認するため、一応、メンテナンス記録を確認したのですが……緊急着艦した機動兵器アーム・ムーバーは、現場は中破判定しておりました。」

 

「……特務仕様のASSALT GRIFFONが中破だと!?……素人が操縦していたのだろう!」


 李の報告に、陳は一瞬、ポカンと口を開けるも操縦者パイロットの問題と決めつける。


「いえ……操縦者パイロットは『3巨頭ケルベロス』の『銀狼』だったそうです」


「『銀狼』だと!?奴は、露西亜連邦中央情報部RUCIAのトップ3を意味する『3巨頭ケルベロス』に毎年名が載るエージェントだぞ!?操縦技量もエース級のはずだ!」


 陳は、重役机を握った右手で叩きつける。これまでにない音に、李はビクリと肩を震わせるも、声を絞り出すように報告を行う。


「……ほ、報告によると現時点での『3巨頭ケルベロス』は、評価基準およびランキング共に3年前から変わっておりません……『銀狼』も過去3年間、トップ3入りしております。」


「……実績を持つエース級の操縦者パイロットが操縦して中破だと!?…………意味が解らん……どうすればそうなるのだ?」


「……それが、肝心の交戦記録が共有されておらず……」


「露西亜連邦との協定事項3項に則り、情報提供を要請しろ!」


「!?……協定事項3項の適用は、緊急時に限られますので、今回は難しいかと……」


人工幻夢大陸ネオ・アトランティカの保有戦力の査定が過少に評価されていると判断する!このままでは、接収第二派を担う我が軍の被害増大の恐れがある!正確な状況判断をおこなうために必要な情報提供を要請しろ!」


 陳は、重役机を握った右手で叩きながら、甲高い声で喚き散らす。


「……はっ!……承知しました。」


 李は、陳の甲高い声にしかめた顔を見られないように深々と礼をする。


 ◇◆◇

 ◆◇◆◇


「露西亜連邦の『3巨頭ケルベロス』が、第一波完了前に前線から離脱とはのう……威勢がいいのは最初だけじゃったようじゃのう。」


 手元のタブレット端末に表示されている『協定事項3項に則る情報提供依頼』を一瞥すると、翠玉色の生地に銀の龍が描かれた礼服に身を包んだ初老の男がつまらなそうに呟く。銀髪をオールバックにして露になった額の横一文字の傷跡が痛々しい。


 あまり調度品のない、少し広い部屋にポツンと年季の入った重役机の前で座しながら頬杖をつく。腰かける重役椅子には片方の肘掛がない。

 

「老師……露西亜連邦の件、どうされますか……状況からみると我々は、人工幻夢大陸ネオ・アトランティカの戦力を過小評価をしていたと……」


 黒髪の恰幅のいい体型を藍色の人民服に身を包んだ男が、重役机の前に立ち、老師と呼ぶ初老の男に伺いを立てる。部屋の中には老師と恰幅のいい体型の男の2人しかない。


「どうもせんよ。」


 老師と呼ばれた男の素っ気ない返答に、人民服に身を包んだ男は目を丸くする。

 

「はっ?」


「どうもせんといっておる。周主席大臣。『協定事項3項に則る情報提供依頼』も却下じゃ。」


 言いながら、老師はタブレット端末の申請フォームに表示された『却下』ボタンを押す。


「……何もしない……その場合、接収作戦の第二派で、我が軍に相当な被害が予想されますが……」


 徐々に表情を険しくする周を老師と言われた初老の男性は、意に介さない。


「損害の有無に依らず、方針は変わらん。損害結構。」


「……老師……我が軍を精強なる精鋭とすべく10年を費やしました……その精鋭の損害は我が国んにとって……」


「プラスじゃろうな。間違いなく。」


「はっ?」


 あっけらかんと応える老師に、周はポカンとした表情を浮かべる。


「じゃからプラスだと言っておる。周主席大臣。」


「な、何故、プラスになるとお考えで……」


 周の握りしめる両拳が震えてるのを一瞥し、老師は口を開く。


「……仮にこの戦、負けたとしても、損耗するのは初期にロールアウトした試作量産型のみじゃ。廃棄処分の手間が省けるのう。良かったではないか。」


「……試作……量産型!?」


 虚を突かれた表情を浮かべる周は、老師が発した言葉をオウム返しのように繰り返す。


「周主席大臣。今回の作戦に投入された戦力が何かはきちんと把握せねばらんぞ。あと……投資コストだけでなく増やした資産の償却方法とそれにかかるコストも考えんといかん。うん。」


「し、しかし……百歩譲って試作量産型の廃棄ができたとしても、人的資源の損耗はどうされますか?10年以上もかけて教育した優秀な将兵は何物にも代えがたく……」


「はっはっはっ……周主席大臣、10年前と現在の主力兵器は全く異なるぞ。試作量産型とはいえ、機動兵器アーム・ムーバーの操縦技術は、若い将兵の方が習得は早いぞ。」


「はっ!?」


「時代遅れの兵器しか扱えないような今の軍幹部は、単に単価コストが高くなっただけの置物と変わらんて。逆にいなくなるだけで、優秀な後釜を要職に据えるだけのポジションが空くのだ。人員整理の手間が省けて良いではないか。」


「あ、いや……それは……」


「それとも何か?これまでの、教育と称する累積投資分が惜しいかの?」


「……」


 老師の鋭い眼光と辛らつな言葉に、周はパクパクと口を開けたり閉じたりしている。


「……周主席大臣よ……国家運営の中では、損切することを覚えるのも必要じゃぞ。」

 

「……しかし……」

 

「ほれ……陳提督のような部下の手柄を奪ってふんぞり返っておる輩ほど保身に走りおる。大敗を契機に軍改革を推進する口実に使えばよかろうて。」


「……陳提督は、そのような人物ではないと……」


「配下の身体検査ぐらいしておかんと足下を掬われるぞ。あれが我が軍の大きな病巣の1つじゃろうて。この機に一掃せんとな。」


 言いながら老師は傍らの赤いタブレット端末を周へ向けて重役机の天板を滑らせる。


「まさか……」


 周は赤いタブレット端末を手に取る。表示されている陳提督の不正の現場を抑えた何十もの画像つきレポートを目の当りにして絶句する。


「……悪いことばかりではないぞ。大敗後に国民を弔い合戦へと煽るだけ煽れば、不満渦巻く食糧不足という内政問題から目を逸らすこともできよう。いい意味で良き人柱になれば、単なる負債が良き投資となろうて。」


「……しょ、承知いたしました……老師……」


「ただ、惜しむらくは『睦月グループ』を手に入れられんかったことかのう。あれを押さえられれば、北米連合の喉元に刃を突きつける一手となったものを……惜しいのう。」


「……」


 周は目の前の老師を怯えた視線を向ける。

 人の皮を被ったを見るように。

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