第5話
自宅のマンションの窓から晴れ模様の空を見る。
雲1つない蒼天の空が、加奈との再会を後押ししているような気がした。
「13:23か……そろそろ、加奈との待ち合わせ時間だな……」
スマートフォンに表示されている時間を見て妙に緊張している自分が、どこか可笑しい。
寝間着を脱ぎ、下ろしたてのYシャツに濃紺のスーツを着る。
「……なんか、お見合いに行くみたいだな……」
リビングに設置されている姿見の鏡を見ながら、思わず苦笑を浮かべる。
『相手は、今や睦月グループの代表なんだからスーツとか着て来い!』
加奈との待ち合わせ場所に普段着で行こうと思ったタイミングで、こちらの思考を読んだかのようにかかってきた智也からの電話に、慌ててクローゼットを探した。
このスーツは、生前、父さんが購入して自宅のクローゼットに入ったままとなっていたものだ。
俺や母さんを助けに
着崩れのない自分の姿を鏡越しにみる。
父さんと同じ背丈になったんだなと感慨深く自分のスーツ姿をぼんやり見つめる。
スーツに合わせて選ばれた白地に蒼のストライプが入ったネクタイを手に取る。
「こう……かな……」
慣れない手つきでネクタイをしてみる。
姿見の鏡で確認すると微妙に曲がっている。
「……げっ……もう13:33だ……」
スマートフォンの表示時間をみて、残り30分を切っていることに気付き焦る。
「……ネクタイはいいや。」
姿見の鏡に映る自分のスーツ姿を一瞥し、ネクタイを外しトートバッグに入れる。
「……どうしても必要なら、智也にでも頼むのもありかな……うん。そうしよう。」
スーツの上着を羽織ったあと、クローゼットからベージュのロングコートを取りだして左の二の腕に引っ掛ける。早歩きで玄関へ行く途中でトートバッグを手に取る。
玄関口に行こうとしてベランダのテーブル置いたままのスマートフォンに気付く。
慌ててトートバッグに入れ、玄関口へ小走りで向かう。
玄関口の靴収納ラックを開くと、使われなくなった父さんのビジネスニーズが視界に入る。
「……父さん……使わせてもらうね。」
靴収納ラックから取り出したビジネスニーズを履き、玄関の扉を開けようとして、ふと振り返る。
誰もいないリビングから、父さんと母さんが並んで、笑顔で手を振っているような気がした。
「……いってきます……」
誰もいないリビングへ声をかける。
カチリッ
非接触型のカードキーをかざして玄関口が施錠されたのを確認する。
20階のエレベーターで1階エントランスに降りると小走り気味に最寄りの環状線の駅へ向かう。
慣れないビジネスニーズが原因なのか、早歩きをしようとすると躓きそうになる。
ちょうど、交差点の横断歩道前にたどり着き信号機が青に変わるのを待つために止まる。
そして、ふと目線を上げると白いワンピース姿の少女が交差点の中央に立ち、両手を左右に広げて険しい表情を浮かべている。
「ッ!?……姉さん!?」
目を擦りもう一度見る。
そこに、少女の姿はもうなかった。
横断歩道が青に変わる。
立ち止まったままの俺を子供連れの母親が、チラリと横目で見て通り過ぎる。
「……えっと……今のは、行くなって意味なんだろうか?」
呟いた時、トートバッグに入れたスマートフォンの振動音に気づく。
慌ててトートバッグからスマートフォンを取り出す。
「げッ……智也からだ……もう、13:43だからな……」
スマートフォンの通話ボタンを押す。
「智也か……悪い。今、最寄りのモノレールの駅に向かって……」
『塁ッ!迎えに来たから早く乗れ!』
「えッ!?迎えにって……」
『後ろだ後ろ!』
言われて振り向くと黒塗りのリムジンが速度を落としながらゆっくりと停車する。
フロントガラス横に、睦月グループのロゴを模った小物が置いてある。
後部ドアのウィンドウが開くと、智也が顔を出す。
見ると青いYシャツに黒の細いネクタイ、そして黒の光沢があるスーツを身に着けている。
青のYシャツが黒のネクタイとスーツを引き立てている。
「塁ッ!早く乗れ!」
智也は言うと同時に、後部ドアを勢いよく開ける。
「わ、分かった!」
智也の剣幕に、黒塗りのリムジンに小走りで近づく。
開け放たれた後部ドアから後部座席に乗り込む。
後部ドアを閉めると同時にリムジンは急加速をする。
「ぐッ!……」
リムジンの急加速に、後部座席のソファーに押し付けられる。
「……檜山君、時間ぐらい守りなさいよ……」
「えっ!?」
見ると、俺が乗り込んだ後部座席の向かいの席に、腕を組んで不機嫌そうな美麗な女性が脚を組んで座っていた。
黒のワンピースに白いカーディガンを羽織っている。
長い黒髪を右側に纏めて垂らしており、いつになく大人の雰囲気を醸し出している。
「篠崎さんッ!?どうしてここに?」
「……いたら、悪いのかしら?」
不機嫌そうな顔が、明らかに不機嫌な表情に変わる。
「あー……楓には、睦月加奈が直接、連絡したみたいでな……」
「加奈が知らせてくれなかったら、私だけ除け者ってことじゃない!酷くない!?」
「あー……いや……睦月加奈と塁を何とか引き合わせる方法を考えるのに、いっぱいいっぱいでな」
「何が、いっぱいいっぱいよ!状況を整理すれば、自ずと解決策は洗い出されるでしょ!」
「そうは言うけどよ、塁はバイトづくめで睦月加奈のスケジュールと合わせるに苦労したんだぜ!」
「バイト!?……檜山君、バイトしながら大学通ってるの!?」
智也が抗議する言葉に含まれるキーワードに対して楓が、驚いた表情で反応する。
「……そ、そうだけど……」
「檜山君、実家暮らしでしょ?折角、加奈が帰ってきたっていうのにバイト!?何考えてるの?」
「えっと……」
どこまで話そうか逡巡していると、智也が少し困ったような表情を浮かべる。
「あー……楓、塁は実家のマンションに住んではいるが、両親は亡くなっているんだよ……」
「えっ……!?」
智也の言葉が想像の斜め上になっていたのか。
篠崎さんの表情が目に見えて固まる。
「塁のご両親が学費分のお金をためてたから、大学に通うのは影響ないけど、生活費とかの問題があるんだとさ。」
「……」
「……まあ、そんな感じだからバイトで稼げそうな時に稼いでおかないとって思ってさ……」
苦笑いを浮かべながら歯切れ悪く言う俺に、篠崎さんは表情を強ばらせたまま口を開く。
「……檜山君のご両親は、いつ、お亡くなりになったの?」
「「……」」
俺と智也は、顔を見合わせる。
智也は、頭を左右に振り、俺が話をするように促す。
「……12年前、俺が8歳の時だよ。」
「えっ!?」
目を見開く篠崎さんに、俺はバツが悪い表情を浮かべる。
「あー……俺、日本国の内地出身なんだけど……12年前、
「……」
絶句している篠崎さんに続けて伝える。
「『聖ヨゼフ・パシフィック学園』の時は、セラ先生や加奈は知っていたんだけどね……気を使わせてしまうから他のクラスメイトには伝えてないで欲しいってお願いしていたんだ。」
「加奈ッ!?……なんで加奈は、知ってたの?」
篠崎さんは、怪訝な表情を浮かべる。
「俺の死んだ父さんさ……睦月グループの『経営企画室』ってところに所属していてね……睦月グループの社長……加奈のお父さんからも信頼されていたそうなんだ。」
「ッ!?……睦月グループの『経営企画室』に所属していたのッ!?」
「えっと……驚くところそこなんだ……」
「当たり前でしょ!睦月グループの『経営企画室』って言えば、精鋭中の精鋭って言葉が霞んで聞こえるくらいのずば抜けた人達の集まりなんだから!」
「そ、そうなんだ……」
篠崎さんの剣幕に鼻白む。
チラリと智也を見ると『そらみたことか』といったドヤ顔をしている。
「なるほど……それで睦月グループの社長――加奈のお父様と面識があったのね。」
「うん。俺が加奈と出会ったのも、加奈のお父さんからの引き合わせなんだ。」
篠崎さんは、俺の言葉に何処か腑に落ちた表情を浮かべる。
「……だからか。加奈が檜山君のこと、家族に見せるような表情を浮かべてたの。」
「えっ!……そうだっけ?」
「そうよ。気がつかなかった?『聖ヨゼフ・パシフィック学園』の時、加奈は、檜山君にしか本当の笑顔を見せてないわよ。智也も含めて他の男子には、作り笑いしか見せてないもの。」
「マジか!?」
篠崎さんの言葉に、智也が何処か傷ついた表情を浮かべる。
「マジよ!……智也は、加奈に首ったけだったみたいだけど。加奈は最初から引いてたわよ。」
ジト目で智也を見る篠崎さんは、『聖ヨゼフ・パシフィック学園』での出来事を色々と振り返りながら時折、笑顔を浮かべる。俺は、そんな篠崎さんに笑顔が戻ったのを見て、内心ホッとする。
ひとしきり笑い合った後、篠崎さん真剣な表情で俺を見る。
「……檜山君。今日、加奈と再会したら、今の檜山君の想いを加奈に伝えないとダメよ。」
「……うん。分かった。ありがとう。篠崎さん」
篠崎さんは照れたように視線を逸らす。
「……俺達は、お前たちが変なことを言い始めたら軌道修正するための付き添いだからな……」
「智也……ありがとう……」
智也は、一瞬、照れるも何処か遠い目をする。
「……まあ……加奈の専属メイドからの事前確認がきつくてな……」
「加奈の専属メイド?」
予想外の言葉に、思わずきょとんとする。
「……まあ……一度会えばわかる……あれは敏腕マネージャーだぜ……」
「…………」
妙に悟ったような表情を浮かべる智也に、あまり詳しく聞いてはいけない気がした。
「……テクノパークに到着いたしました。」
会話が途切れたタイミングで、リムジンの運転手から、躊躇いがちに声を掛けられる。
「……ありがとうございます。」
俺は、そう応えると、急に早くなる鼓動を抑えるようにゆっくりと深呼吸をした。
◆◇◆◇
◇◆◇◆◇
『カサンドラ』は、テクノパーク内のオフィスビルに隣接したコテージのような外観をしている。
木造2階建てのカフェは、コンクリートのオフィスビルが多い
『カサンドラ』のオーナーが木造の建物に愛着を感じているとこかで、日本国の京都北部の北山という地域の杉をわざわざ指定して建築したと噂されている。
「……塁、いつまでそこに突っ立てるんだ?」
「……檜山君、男の甲斐性ってものを見せる時だと思うわよ。」
智也と篠崎さんが、『カサンドラ』の手前で立ち止まった俺をジト目で見る。
「……もう3分経過したわよ。」
「……そろそろ覚悟を決める時だぜ。」
「……加奈とは、しばらく会ってなかったんだ。緊張するのは判って欲しいんだけど……」
心の準備ができていない俺が同情を求めようとするも、篠崎さんと智也はにべもなく言い放つ。
「それは察するけどモノには限度があるわよ。」
「13時57分だぜ。約束の時間だから行こうぜ。」
智也の時間通告に、大きくため息をつくと意を決して『カサンドラ』へ向かう。
入口になっている、北山杉のコテージドアの取っ手を引いて中に入る。
予約者となっている智也の名前を店員の女性に伝えると、2階のテラス席に通される。
テラス席に近づくと、一人の少女が席についており、傍らに白のスカートスーツに濃紺色のハイヒールという出で立ちの女性が控えている。
凹凸がはっきりした肢体を強調しすぎることなく女性の魅力を引き立てている。
手前には、デニムのジンズ、タンクトップの上に白のパーカーを羽織った小柄な女性と、同じくデニムのジンズ、タンクトップの上に青のパーカーを羽織った背の高い女性がこちらを不躾な目で見ている。
席についていた女性がこちらを見ると、はっとしたような表情を浮かべ、立ち上がる。
胸元まで伸びる艶やかな栗毛を左側に纏めて垂らし、白のワンピースに白のハイヒール、濃紺のショールを羽織る姿が清楚さを醸し出している。
「塁……君?」
鈴の音のような声に少女の表情を見る。
薄桃色に彩られた唇をギュッと結び、瞳に涙を浮かべている。
「加奈……なのか?」
最後に会ったのはいつだろうか。
茜色に染まる図書館の中で加奈と交わした会話が脳内でリフレインする。
『あー……また、逢えますようにっていうおまじない……したいなって……』
『おまじないって……』
『えへへ……フレンチじゃなくて、ディープキスでした……またね……バイバイ』
『……うん……また……明日……』
「……とても長い、明日だった……ね。」
加奈の震える声に、加奈も最後に交わした言葉を忘れていないことに心が暖かくなる。
「……うん。とても長かったけど……明日になったね。」
感慨深く紡いだ、俺の言葉に加奈はゆっくりと俺に向かって歩みを進める。
「……忘れたことなんて無かった……」
「……俺もだよ……」
「……会えない日々が、とても辛かった……」
「……勉強やバイトで気を紛らわせてた……」
「……私は、勉強や仕事で気を紛らわせてた……」
お互い視線を逸らさない。
加奈が俺の数歩前で歩みを止める。
「……ずっと、また逢いたいって思ってた……」
「……ずっと、抱きしめたいって思ってた……」
数舜、逸らさず見つめたあと、加奈が俺の胸に飛び込んできた。
仄かなシトラスの香りが俺の気持ちを揺らすように漂う。
背中に回された加奈の上でが、ギュッと俺を抱きしめる。
左腕の二の腕にトートバッグを掛けたまま、俺も加奈を抱きしめる。
「……もう……離れ離れはいやだよ……」
「……これからは、出来るだけ加奈と一緒の時間を増やしたいな……」
俺の胸に埋めた顔を離し、加奈は俺を見上げる。
「……塁君が、これまでどうしてたのか……沢山、お話したい……」
「……俺も、加奈がどうやって過ごしていたのか知りたい……」
涙を浮かべる加奈の瞳を見ながら俺は、加奈を強く抱きしめる。
加奈は、瞳をトロンとさせゆっくりと吐息を履くと俺をさらに強く抱きしめる。
「……塁君は……」
加奈が言いかけた時。
ブゥゥゥゥゥゥン ブゥゥゥゥゥゥン ブゥゥゥゥゥゥン ブゥゥゥゥゥゥン
突如鳴り響く警報に、加奈はビクリとする。
「……これは……Aアラート?」
「……何が起きて……」
俺と加奈の再会を暖かく見守ってくれていた智也と篠崎さんは、突然の警報に怪訝な表情を浮かべる。
ブゥゥゥゥゥゥン ブゥゥゥゥゥゥン ブゥゥゥゥゥゥン ブゥゥゥゥゥゥン
再度の警報のあと、無機質な電子合成された声によるアナウンスがオフィスビル群に響く。
『
突然の警報に、加奈は離れるまいと俺を強く抱きしめた。
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