第2話

 テクノパークに隣接するメディカルセンター。

 人工幻夢大陸ネオ・アトランティカ中心部の行政区画を取り囲むビル群の一角に、製薬会社の新薬や治験を行う研究施設に加え外来などの医療サービスを提供する病院が併設されている。その病院には重軽症患者を含め、治療のために一定期間収容するための一般病棟も含まれる。

 

 その一般病棟の最上階25階に個室が2部屋存在する。

 うち1つはエレベーターホールに降りて左手の通路の先に存在している。

 個室へ入る扉の横には『睦月 光蔵』『睦月 加代』のネームプレートが取り付けられている。


 「お父様、お母様……」


 1LDK程の広さ空間にはホテルの1室のように品のいい調度品が配置されている。

 空間の中央部に2床のベッドが並べてあり、人工呼吸器に繋がれた男女が横たわっている。


 ベッドの傍らで一人の少女が横たわる両親を前に立ち尽くしている。

 薄桃色に彩られた唇をギュッと結ぶも、瞳から溢れた涙が頬を伝う。

 

 胸元まで伸びる艶やかな栗毛を左側に纏めて垂らし、白のワンピースに白のハイヒール、濃紺のショールを羽織る姿が清楚さを醸し出している。

 

 ベッドに横たわる白髪交じりの壮年の男性は、少女の呼びかけた声に薄っすらを目を開けると微笑む。


 人工呼吸器を取り付けられた痛ましい姿に、少女は胸の前で両手をギュッと握る。


「加奈様……」


 白のハンカチで専属メイドステラが加奈の頬を拭う。

 白のスカートスーツに濃紺色のハイヒールという出で立ちが、凹凸がはっきりした肢体を強調しすぎることなく女性の魅力を引き立てている。

 

「ステラさん……お母様は……」


「今朝方、意識を取り戻されていたそうですが……今は昏睡状態のようです。」


「……そうですか……」


「……3日前までICU集中治療室での治療だったことを考えると、順調に回復なさっているとお医者様が仰られていましたよ。」


「……よかった……」


 再び加奈の頬を伝う涙を白のハンカチで拭う。


「……午後の御予定……檜山様との待ち合わせまで、まだお時間がありますよ……」


「……はい……もう少し、お父様とお母様の側にいたいと思います……」


「……承知しました……お時間が近づきましたら声掛けしますね。」


「……はい……」

 

 加奈に一礼すると専属メイドステラは、個室から退室する。


「ステラ様……こちらを。」


 個室から出たタイミングで、扉の両脇に控えていた女性の1人がタブレットを手渡してくる。

 デニムのジンズに、タンクトップの上に白のパーカーを羽織っている。

 薄茶色の瞳をした童顔と腰まである黒髪のポニーテールが女性を幼く見せている。

 

 手早く画面をスワイプして、専属メイドステラは、画面に表示された報告内容を確認する。

 

「……これは……小山……これは……事実なのですか?」


「はい……社長と奥様を襲った者たちと同じ生体情報に一致する人物達……正確には3名が、人工幻夢大陸ネオ・アトランティカで民間開放されているシンガポール行政特区の空港ターミナルで確認されたそうです。」


「……2年前……社長と奥様を襲った手口から、どこかの組織が関与していると警察は言っていたのですよね?……一体、どこの誰なのですか?」


「……確認された人物達が今回、行動を共にしていたのは光輝未来集団シャイニング・ヒューチャーグループの社員でした。」


 小山と呼ばれた女性の報告に、専属メイドステラは、その美麗な眉をひそめる。


「……確か社長は、襲われる直前に光輝未来集団シャイニング・ヒューチャーグループからの業務提携の提案を断っていましたよね……」

 

「……2年前の事故の後、当然のことながら警察も事実関係を確認する中で事情聴取を行っていたと報告にあります。」


「……警察は……何をしていたのですか?」


 専属メイドステラから発せられる圧に、小山は言い澱む。


「はい……その……」


「続けなさい……」


 専属メイドステラの殺気を帯びた鋭い眼光に、小山は恐る恐る続ける。


「……事件に関与する証拠がなかったために、逮捕には至らなかったと……」


「……」

 

 専属メイドステラが深い嘆息をする。

 見ると、タブレット端末を持つ手が真っ白になり震えている。

 

「……そして今回、社長と奥様が入院されている病院にお嬢様がお見舞いに参られたタイミングで、再び2年前に容疑を掛けられた人物達が人工幻夢大陸ネオ・アトランティカの空港で確認されたと……」


「……はい……」

 

 押し殺した声で淡々と事実確認を行う専属メイドステラに、小山は頷く。


 専属メイドステラは、嘆息の後、口を開く。

 

「……狙いは……加奈様……というか睦月グループの代表権を持つものと見るべきですね……」


「……おそらくは……」


 専属メイドステラは、天を仰ぐようにして目を閉じる。


「……本田様の想定どおりですね……この2年間、尻尾はおろか足取り掴めなかった対象をこんなに早く補足できるなんて……」


「……病床の社長や奥様……加奈様を囮にするのは気が引けるが……」


 もう一人の女性の呟きに、ステラと小山の冷徹な瞳が一瞬、揺らぐ。

 同じくデニムのジンズにタンクトップと青のパーカーを羽織っている。

 180㎝ほどもある大柄な体格に、ボブカットの青味がかった金髪と薄青色の瞳が印象的だ。

 

「……想定していた対象を確認したため、本田様のご指示に従い契約したPMCに作戦行動の開始を依頼したところだ……」


 その報告に、専属メイドステラは、思案気な表情を浮かべる。


「……わかりました……作戦内容は一読しましたが……事務方が決済した稟議に従って契約を行ったのは練度の高いPMCですか?マリー」


「回ってきた評価レポートを見る限りは問題ないと判断する。訓練内容だけ見ても、練度は国防軍レベルだ。」


「ッ!?……何という名前のPMCでしたか?」


「……確か『蒼の騎士団プリメーラ・クロイツ』だったな……」


「ッ!?……SSS級狩猟探索者ハンタークランじゃないですか!?」


 目を見開き、ステラが驚く。


「そ、そうなのか?」


 マリーと呼ばれた大柄の女性は、ステラの反応に目を見開く。


「……報道管制のため知られていませんが、ルクセンブルクを襲ったスタンピードを現地の国防軍を主導して撃退した後、原因となった幻想洞窟ダンジョンを単独で討滅したクランです……確かジュネーブに『幻蒼輝島エリシュオン』という拠点まで保有しているとか。」


「……よくそんなSSS級狩猟探索者ハンターのクランが契約に応じたな……」


「……私は契約交渉に関与していません……本田様の指示に従ってということであれば……本田様のコネクションだと思います……」


「……」


 マリーは、ゴクリと喉を鳴らす。


「いずれにせよ、本田様の指示に従うだけですね。」


「そうだな……」

 

 ◆◇◆◇◆

 ◇◆◇◆◇◆


 気が付くと漆黒の闇の中、光を放つ一振りの美しい刀が視界に入る。

 刀身に刻まれた、角と翼をもつ四本脚の獣――麒麟の紋様が光を放っている。


 麒麟の紋様をぼんやり見ていると、直接頭に声が響く。


 『『真実の鍵』となりし者よ――時は満ちた。』


 ――時って……。


 『我へと至る扉――今は眠りし大天使へと至れ――』


 ――だから大天使って……。


 『我へと至れ――『真実の鍵』となりし者よ――』


 直後、目の前の一振りの美しい刀身の紋様――麒麟が眩い光を放つ。


 どれくらい経っただろうか。

 永遠に続くような光が真っ白に変わる。


 どこかで、振動音が聞こえる。

 

 ブー ブー ブー ブー


 ブー ブー ブー ブー


 傍の振動音に、意識が覚醒する。


 ブー ブー ブー ブー


 ブー ブー ブー ブー

 

 引き続き続く振動音に、ようやく傍らのスマートフォンが振動していることに気づく。

 スマートフォンの画面に表示された電話元の名前に目をやる。

 

「あ、電話……智也?……」


 ふとスマートフォンに表示されている時間を見る。


「ッ!?……じゅ、11時23分!?」


 慌てて、振動しているスマートフォンの通話ボタンを押す。


『おい!塁!……もう待ち合わせの時間過ぎてるぞ!11時にテクノパークのカサンドラに集合って言ってただろ!』

 

「……すまん……今、起きた……」


『はあッ!?……いいから、準備して、さっさと来いッ!』


「……わかった……」


『……まったく……待ち合わせ時間を早めに設定しといてよかったぜ……』


「……早め?」


『……ああ……塁……お前、最近、体調悪いんだろ。時間通り起きられないと思ってさ……お前には待ち合わせ時間を早めに伝えたんだよ。』


「……えっと……ということは、加奈と会う時間は……」


『睦月加奈は、14時にカサンドラのテラス席へ来ることになってる。席は俺の名前で予約しているから、早く来いよ!』


「……すまん……それと……」


『なんだ?』


「……えっと……ありがとう。智也……」


『……今更だ……今度は、睦月加奈を……手放すなよ……』


「……ああ……勿論だ!」


『よし!じゃあ、ちゃんと来いよ!』


「ああ!すぐに行く!」


 スマートフォンの通話を切り、周りを見渡す。


「……昨日は、ちゃんとシャワーを浴びて、寝間着に着替えて寝たんだったよな……」


 うろ覚えの記憶を思い出そうと頭を左右に振り、身支度を整えようと寝間着を脱ぐ。


 と、姿の鏡に映った上半身の心臓の位置に赤い痣が視界に入る。


「昨日は、直径5cmほどの赤い痣だったよな……」

 

 よく見ると角と翼をもつ四本脚の獣――麒麟のような形が浮かび上がっている。


「これって……夢の中の……」


 姿見の鏡に映る痣を見ながら、そっと指で触る。


「痛くは……ないんだ……」


 ぼんやり眺めていると時計のアラームが鳴る。

 見ると時計が12:00を表示している。

 

「あ、支度をしないと……」

 

 慌てて身支度を整える。


 キッチンの洗面台横のカウンターに食洗器から薄底のプレート皿、所謂、コーンフレーク皿を取り出して置く。

 カウンター横のアヒルのキャラクターがプリントされた包装箱からコーンフレークを注ぐ。


 ミラージュブラックの冷蔵庫から牛乳を取り出す。

 コーンフレーク皿に豆乳を注ごうとして、くしゃみをする。

 

「……ここ最近、肌寒いな……温めてからにするか。」


 戸棚から取り出したマグカップに牛乳を注ぎ、オーブンレンジに入れる。

 1カップ分を温めるスイッチを押す。

 オーブンレンジの液晶パネルに温めまでの時間、60秒からのカウントダウンが表示される。


「……加奈……ようやく、会えるんだな……」

 

 独り言ち、目を閉じる。

 最後に加奈と交わした会話が脳裏を過ぎる。

 

『あー……また、逢えますようにっていうおまじない……したいなって……』


『おまじないって……』

 

『えへへ……フレンチじゃなくて、ディープキスでした……またね……バイバイ』


『……うん……また……明日……』

 

「……明日が、2年後になるなんてな……でも、あの時ののおかげかな……」


 そう呟いて目を開けたと同時に、温めが終了したことを知らせるアラームが鳴った。


 ◇◆◇

 ◆◇◆◇


 人工幻夢大陸ネオ・アトランティカ西部のシンガポール行政特区の空港ターミナルから3人のスーツ姿の男性が姿を見せる。

 

人工幻夢大陸ネオ・アトランティカの空港は、ここだけか?」


 銀髪に白の光沢があるスーツを身に着けた長身の男が、右隣の黒の光沢があるスーツを身に着けた黒髪の中肉中背の男に訊ねる。

 スーツの胸元に掛けた黒のサングラスをかけ、左目を縦に貫く傷跡を隠す。


「……ああ、民間の航空会社に軍管特区の滑走路を開放しているのはここだけだからな。」


人工幻夢大陸ネオ・アトランティカへやってくる民間人が利用できるのは……だろ?」


 左隣の赤味がかった金髪の、朱色のスーツを身に着けた長身の男が揶揄するように続ける。


「……つまり軍管特区を割り当てられた他国の滑走路を使える軍関係者は、この空港以外にも人工幻夢大陸ネオ・アトランティカへアクセス可能な手段があるわけだ……」

 

「……『銀狼』……どうかしたか?」


 黒髪の中肉中背の男が、『銀狼』と呼んだ銀髪の男に視線を向ける。


「……すでに囲まれているということさ……『黒狼』……移動手段のリムジンは、どれだ?」


「ッ!?……手練れだな……5……8……いや10人はいるか……」


「……脱出ルートを確保する。『赤狼』……例のものが運び込まれた場所までナビを頼む。」


『赤狼』と呼ばれた朱色のスーツを身に着けた長身の男は、腰を落とすと流れるような動きで、スーツの内ポケットから拳銃トカレフを抜くと右後方へ向けて放つ。


 パン パン パン パン


「……まず道を切り拓かんことには、どうにもならんな……『銀狼』……まただと思うか?」


「……分からん……2年前、睦月グループTopの暗殺を邪魔してくれたとの再戦は、望むところだがな……」

 

 そういうと『銀狼』と呼ばれた男は犬歯をむき出すように凶悪な笑みを浮かべた。

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