幕間3

 試験会場となるコロシアム状の石造りの構造物の内側は、直径100メートル程の円形の石畳を円筒形の壁で囲まれている。

 その壁の上に、すり鉢状に広がるスタジアムのような観客席の一角は、場違いな赤いカーペットが敷かれている。豪奢な造りの椅子には白の貫頭衣のようなドレスを身に着けた女性が腰かけている。

 

「もうすぐ、ミレティ様のご子息が選抜試験を受験されるんですね!」


 鈴の音のような声が、武骨な闘技場の観客席に軽やかに響く。


 観客席の中ほどにある、闘技場全体を見渡せる貴賓席で貫頭衣にフレアスカートを合わせたような白のドレスに身を包んだ少女が胸の前で両手を握り微笑んでいる。

 ソロン教の神官であることを示す、太陽のシンボルを円環で囲った意匠の金細工のロザリオが胸元で揺れている。


「左様でございます。しかし、本来であれば本日は「楽しみです!」」


 紅のハーフプレート・メイルを纏った騎士が本来の予定を告げようとした行為は、少女の笑顔で、封殺された。


 もの言いたげに笑顔の少女をみやると上目遣いで、じぃっと見つめている。

 普段は悪戯っぽい光を宿す黒真珠にも見える濃碧眼が潤んでいる。

 美麗な鼻筋と桃色に色付いた瑞々しい唇を真一文字に結んでおり、心なしか紅潮した頬が真っ白な肌に映えている。


 思いのほか圧のある視線に抵抗するかのように騎士は濃朱眼で見つめ返すが、程なく瞳が揺れ、根負けした騎士はうな垂れる。

 横三つ編みをした金髪もつられて揺れる。


「……後ほど、には、うまく取成しておきます。」


 ぱあっと、まるで向日葵のような笑顔を少女が浮かべる。


「お願いしますね♪」


「あらあら……史上最年少の近衛騎士といえど、姫様のには形無しですね。」


 揶揄い気な物言いをしながら、白の装いのメイドが、ティーセットを乗せたワゴンを押して貴賓席に近づいてくる。

 白の装いのためか、胸部が強調されている。

 腰まである艶やかな黒髪と黒真珠のような瞳が印象的だ。


 少女の側までワゴンを近づけると、ストッパーでワゴンのキャスターを止める。


「マリアンナ殿……此度の件は、流石に手がかかりそうな「マリアンナは解ってくれるわよね!」」


 困惑した表情の近衛騎士と、目で訴えかけるように見つめてくる少女を一瞥すると、手慣れた手つきでお茶の準備を進める。


「まあ、ハーストン伯爵家の『銀姫』……ミレティ様のご子息を一目見たいという気持ちはわかりますよ。アドラ王国屈指の大恋愛の末に、東方戦役の英雄に嫁がれた方ですしね。」


「でしょう!」


「王妃様のご実家であるクレイスト公爵家三男ジルク=フォン=クレイスト殿がハーストン伯爵家を継がれた後に、伯爵令嬢としてお生まれになったミレティ様には、王家の血が流れていますし、同じ王族として憧れておられるのもわかりますよ。」


「やった!」


「ですが……陛下からのお取り計らいで以前から決まっていた予定をキャンセルするというのはいただけないかと「でもね!」」


「……姫様……はしたないですよ。」


 言葉を途中で遮られたマリアンナは形の良い眉を少し寄せ、少女を窘める。

 年の離れた妹が横着した行為を窘める時のように、美麗な表情に『困った』という表情を浮かべる。


 しゅんとなる少女を一瞥しながらティーカップを貴賓席のテーブルに載せる。

 胸元まである青色を帯びたたおやかな金髪も、心なしか元気がない。


 マリアンナは、嘆息すると、騎士に視線を向ける。


「シャロル様としては、此度の陛下のお取り計らいの件、どうお考えでしたか?」


「……最初、耳にしたときは良い話と考えました。」


 マリアンナは、なるほどと頷く。

 そして、しゅんとする少女を一瞥した後シャロルに視線を向ける。


「では現時点ではいかがお考えですか?」


「判断するには情報が足りないとの認識に至っております……」


 マリアンナは、再度なるほどと頷くと笑顔をシャロルに向ける。


「では……先方へは取成しを兼ねて、お詫びの品を送る形で探りをいれてはいかがでしょうか?」


「なるほど……その手がございましたか……」


「お詫びの品の選定が得意な商家に伝手がございますので必要があれば、ご相談くださいね。」


 面倒ごとの後始末の目途がたったためか、シャロルは心なしか安堵の表情を浮かべている。


「マリアンナありがとう!」


「イリス様、今後は、事前に相談くださいね。麾下の負担が増すだけですので」


「う、うん……今後は……相談……します」



『よーし!選抜試験受験者はあらかた、集まったな!!』


 と、会場となるコロシアムの中央から、野太い声が大きく鳴り響く。



「あら、そろそろ始まるようですわね……というか……テフェン卿は、魔王領との前線に赴いたのでは?」


 マリアンヌが、困惑気味にシャロルを見やる。


「貴族派と王家派との緊張が高まっておりましたので、陛下のご指示で対魔王軍総司令の任を解き、選抜試験の統括をお願いいたしました。」


「ッ!?……それでは、此度の対魔王軍の抑えは「その任はマテット卿とベフェン卿が代行することと相成りました。」」


 艶のある低い声音に、その場の全員が振り向く。


「「「メセテット卿!?」」」


「……そこまで驚かれると、いささか傷つくものですね……」


 心外とばかりに琥珀色のプレートメイルを纏う青年が、佇んでいた。

 鎧の上に羽織った白のマントが陽光に映える。

 鳶色の髪と濃褐色の瞳が印象的だ。


「失礼いたしました……西のエリン王国との国境警備の任で当分、王都にはいらっしゃらないと伺って「状況が変わったのです」」


 シャロルが代表して歯切れ悪く弁明するも、それをメセテットが遮る。


「……状況とは?」


「エリン王国内で内乱が勃発したのです……続報次第で陛下のご采配が必要な状況となっていますね」


 困惑気なシャロルの問いかけにメセテットは淡々と衝撃的な内容を告げる。


「ッ!?……内乱は大規模なものなのですね。」


 マリアンナは一瞬、目を見開くも平静を保ちながら尋ねる。


「エリン王国の王家には、もはや事態を収拾する力がないと見ています。」


「それほどまでの事態でしたか……」


 メセテットが告げた内容に、シャロルが呆然と呟く。


「……マリアンナ殿はエリン王国のご出身でしたな……心中お察しする。」


「……いえ……」


 メセテットの言葉にマリアンナは目を伏せる。


「陛下は、この機にアドラ王国内の問題を一気に解消するおつもりのようです。……テフェン卿を選抜試験の統括という名目で王都内にとどめ、中立を表明しているマテット卿とベフェン卿を魔王軍への備えとされました。」


 と、そこで再び会場となるコロシアムの中央から、野太い声が大きく鳴り響く。


『最初に伝えておく!!


 我らは、女神セルケトより賜った『使命』を果たすため、ここに集ったのだ!!


 ……『使命』の前には、貴族も平民もない!!!』


「テフェン卿も、王家派の……陛下の意を受けて動かれておられるのですね。」


 マリアンナが感慨深げに呟く。


『先の東方戦役での惨事のことは聞き及んでいるだろう。


 魔王という脅威の前では『貴族だから』『平民だから』といがみあっている場合ではないのだ。


 皆には王立学院という学び舎で『貴族だから』『平民だから』ということがいかに些事であるかを学んでほしい。』


「東方戦役……確か王国軍は貴族と平民、それぞれで軍団編成がなされ行軍中の連携訓練も、結局、貴族側の反発で実施されないまま魔王軍との遭遇戦となったのでしたね。」


 シャロルのつぶやきに、メセテットが応じる。


「あれは、戦闘とは言えないものでした。平民の軍団を盾に貴族の軍団が撤退し、油断したところを魔王軍に奇襲され、一方的に嬲られ逃げ惑う酷いものでした。


 ……当時の『7勇者』のうち、4勇者が戦死。


 ガウル殿や、後のソーン家当主となるガルス殿の奮戦により何とか退却ができたものの、総戦力の6割を失う大敗でした。」


『これから行う選抜試験では2つの適性を見るものとなる……1つは現時点での魔装神具シードへの適性。もう1つは、諸君らの『強さ』だ。具体的な説明は、各祭壇に配置した試験官から説明がある。』


「ッ!?……今年は選抜試験の内容が変更となるのですか?例年だと、この場での選抜試験は、演武だったと記憶していますが……」


 戸惑うように呟いたマリアンナにメセテットが視線を向ける。


「ええ、陛下とテフェン卿の意向によるところが大きいです。」


「ッ!?……陛下とテフェン卿の意向……ですか?」


 予想外の名に驚くマリアンナに対し、メセテットは淡々と続ける。


「ええ……『勇者は戦死しない』と嘯いていた時代もあったかもしれません。しかし、東方戦役では『勇者も戦死する』ことが白日の下に晒されました。急遽、勇者を選定したものの前任の勇者に及ばぬ故に多々混乱を招いたこと。それを憂慮して陛下が新たな勇者候補を早期に見いだす必要があると考えるのは、必然と言えませんか?」


「それは……」


「確かに東方戦役で戦死した『4勇者』の代わりとなる、新たに選定された勇者には魔王軍を押し返す力がありました。しかし『貴族派』を明言している彼らは、個々の力はあっても連携ができず魔王軍との戦いは膠着状態に陥っています。」


「……膠着状態であっても平穏を維持できているのは、新たな『7勇者』の力でもあるのでは?」


 戸惑うシャロルにメセテットが目を細める。


「……勇者も魔王軍との戦い……戦争の中では、一兵卒と同じく消耗品なのです。ただ、死に難いというだけでね。……個々の力はあっても連携できないのであれば『7勇者』であっても各個撃破の憂き目を見ます。今は魔王軍側が積極的に仕掛けてこないことが幸いしていますが……」


 メセテットはそこで言葉を切り、その場にいる全員を見渡して告げる。


「一度、戦火があがれば……精強な魔王軍との戦い中で『7勇者』から再び戦死者が出ます。特に『貴族派』を標榜する場合、無関係な友軍を巻き込むという最悪の形で。」

 

 残酷なまでのメセテットの予言めいた言葉によって貴賓席の周囲に重苦しい沈黙が訪れた。

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