04-01 『なんでもない日常②』 Side:Ivy

「いらっしゃいませ」


焦げ茶のエプロンを着た店員さんが軽く頭を下げる。


店内はシックな家具で固められていて、香ばしいコーヒーの匂いと相まって落ち着いた雰囲気を醸し出している。


 「何か焦げ臭いな」


 「バカ」


コーヒーの匂いをあろうことか『焦げ臭い』と表現したジキルの腹部に肘鉄砲を食らわす。


不意打ちにジキルが仰け反った所で、店員さんがメニューを持って「こちらへどうぞ」と私たちを案内し始めた。



やがて店員さんが私たちの前にコップに注がれた水を置く。


よく見ると、木の暖かい色をしたコースターには山茶花の絵が描かれている。可愛い。


 「何か、オススメとかありますか」


ジキルはこういうカフェには行った事がないと言っていた。先程もメニューを見ながら首を傾げていたし、知らない単語だらけだったのだろう。


 「オススメですか……こちらの、スペシャルセットはいかがでしょう?」


店員さんがメニューの上部を丁寧な手付きで指差す。


ケーキ、アイスクリーム、パンケーキの写真がとても美味しそうに写っていた。


 「ま、まだ今日の分残ってますか……!?」


私は思わず意気込んで店員さんに尋ねる。


店員さんは笑顔ではい、と頷いた。


 「じゃあそれ1つとコーヒー1つ」


 「かしこまりました。スペシャルセットのドリンクはいかが致しますか?」


突然、ジキルの視線が私に向けられる。


 「ドリンク、どうすんだ?」


思わず目をぱちくりしてしまった。


戸惑っている私を見かねたのか、店員さんが今度はメニューの下部を指し示す。


 「セットのドリンクはこちらからお選びください」


 「あ、あー……えっと……メロンソーダで……」


 「かしこまりました」


店員さんはエプロンを翻して、お店の奥へと向かっていった。



 「大丈夫か、光里?何か顔色悪そうに見えるぞ」


ハイドが私の顔を覗き込む。


 「ううん大丈夫……ちょっと緊張してるだけ」


それもそのはず、さっきはつい意気込んで喋ってしまったが、私がジキルとハイド以外の人間と話すのは実に数ヶ月ぶりだった。


1つ1つの言動に気を配っていないと、すぐに正体がバレてしまいそうな不安と恐怖が立ち込めている。


 「……まぁ、あんま気負いすぎんな。見た感じ探偵さんも居ないっぽいし、何かあれば俺たちがついてる」


 「うん。ありがと、哉太」


哉太と光里。今回私たちが捜査を行う上での偽名だ。


光里は適当に決めたのだが、何故か哉太という名前は、しっくりくる感じがする。


まるで、昔から彼がずっと哉太という名前を背負っていたような……


 「ん?どうかしたか?」


 「んー、なんでもない。それより哉太、コーヒーだけで良かったの?」


 「えっ」


ジキル改め哉太が目を丸くする。


 「えっ?」


 「そこは、光里が分けてくれるんじゃないのか?」


そうか。そう来たか。


 「私は……そんなつもりは無かったんだけど」


 「何でだ?俺たちデートしに来たんだろ?」


 「クッ」


よりにもよってこんな所で設定を出してくるとは。


卑怯だ。卑怯だぞジキル。


 「それに、全部食べたらまた太るぞ?」


 「……うるさい!女子に向かって何てことを!」


机の下で握りこぶしを作る。


 「だから良いだろ?な?」


ジキルがニヤニヤと得意げな笑みを浮かべる。


周りを見渡すと、私たちの押し問答に気を引かれたのか、数人のお客さんがこちらを見ていた。


目立ってはいけない。そう言っていたハイドの姿が脳裏をよぎる。


 「うっ……わ、分かりました……」


 「ん。サンキュ」


サンキュというどこまでも軽い返事にため息をつきながら、私は水を口に運ぶ。


不思議と、先程まで心の奥底にあった緊張はいつの間にか消えていた。

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