第8話 昔のあの目

 私はお粥と水を持って納戸に入った。ぐったりとした母が力なく私を見る。あれから三週間が経っていた。

「メグミィ~」

 その体は、やせ衰え、その声には力がなく、死線を彷徨っているような虚ろな目をしている。

「母さん・・」

 さすがに私も、その姿に息を飲む。

「メグミィ~」

 そして、またなんとも憐れみを誘う声で、母は私を見つめてくる。

「母さん・・」

「メグミィ~、出しておくれ。メグミィ~、」

「・・、ダメ。母さん。ダメ」

「メグミィ~、 くすり・・、薬をおくれ」

 母は力ない動きで私に手を伸ばす。

「ダメ・・、ダメだよ。今飲んだらまた元に戻っちゃう」

「めぐみ~」

「ダメ」

 私はお盆を置くと、納戸を素早く出た。扉の向こうで悲し気に叫ぶ母の声がした。

「ごめん、母さん・・」

私は納戸の扉に背をもたせ掛け、そのまま滑るように崩れ落ちうずくまると、その場で泣いた。


 三ヶ月が経った。二人の叫び声がまったく聞こえなくなった。

私は納戸の戸を開けた。

「愛美」

 母さんが私を見ていた。

「母さん」

 昔の母さんの目だった。母さんの目にあのやさしい温かな光りが戻っていた。

「母さん」

「愛美」

 極限まで衰弱して、骨と皮だけになった母さんを私は抱きしめた。

「母さん。母さん。母さんが戻ってきた」

 私は泣いて母さんを抱きしめた。

「愛美」

 母さんも泣いていた。

「母さん・・」

 私は力強く母を抱きしめた。

「愛美」

 その横から父も、私と母を覆うようにして、大きく両腕を広げて、私たち二人を抱きしめて来た。

「父さん」

 私も父を見る。

「愛美」

「父さん・・」

「愛美」

「うん」 

「酒ぇ」

 父はゲップを吐き出すように言った。

 私は父を蹴り上げ立ち上がった。

「お前はまだまだだ」

 私は母を抱き上げると、父だけを残し、納戸から出て戸を閉め、鍵を掛けると、その場を去った。

「メグぅ、メグぅ」

 背後で父が、悲しげな犬の遠吠えのように吠えていた。

「お前はあと一年くらいそこにいろ」

 私は容赦なくその場を離れ去って行った。

「母さん、食べて」

 私は回復食のお粥とお豆腐の味噌汁を、衰弱した母にスプーンで掬って食べさせてあげた。

「おいしいよ。メグ」

 母さんは涙を流してそれを食べた。

「これから、何もかもよくなっていくからね」

 私は母に語りかけるように言った。 

 外に出ると、桐嶋がまたあのいつもの電柱の陰で、寂しい子供みたいな表情で佇んでいた。

「ほら、お前もうちへ入れ」

 霧島はパッと表情を明るくして、私の後ろから家に入って来た。

「ほらちゃんと飯食え」

 桐嶋にもお粥を掬って食べさせてやった。桐嶋はぽろぽろ涙をこぼして泣きながらそれを食べていた。

「泣くなよ」

「ふぁい」

 それでも、鼻水をジュルジュル言わせて泣きながら、桐嶋はお粥をすすっていた。 

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