3-4 魔法使いは異世界の夢を見る


 ──最初に外の世界に憧れたのは、果たしていつだっただろう。


 寝物語を聞いて空想の世界に憧れ、世界地図を見て外の世界に憧れ、旅人の話を聞いて知らない街の営みに憧れた。


 エルフの里は閉鎖的で、外の世界を見る機会などなかったから。

 その思いは着々と積み重ね揚げられ、ますます強くなっていくばかりだった。


 ちょうどそんなときに、一冊の本に出会ったのだ。


 それは作者不詳の、日記か伝記のような粗雑で簡素なものであったが──、それには、わたしが見たことも聞いたこともない、新しい世界の様子が描かれていた。


 天を貫くほどに高い建造物。

 車輪たずさえ、自走する鉄の馬車。

 青空のかなたを飛ぶ、巨大な鉄の鳥。


 街には数えきれないほどの人が溢れ、美味しい料理や、尽きない娯楽に溢れている。

 夜に暗闇はなく、街は眠ることを知らない。


 それはまさに、空想の外側にあるような物語であった。


 わたしがずっと憧れていた外の世界。

 いつか見てみたいと思っていた里の外の国々。


 しかし、ずっと羨望の彼方にあった外の世界よりも。

 憧れた思いの、さらにその先の先に──、まだ誰も及びのつかぬ世界があるのかもしれない。

 子どものわたしはもちろん、里の大人たちや世界の人々、勇敢な冒険者でさえも、まだ誰も知らない未知の世界が広がっているのかもしれない──。


 

 そう考えてしまったときには、もう我慢することができなくなっていた。


 たぶん、わたしの心は、あのとき変な風に壊れてしまったのだろう。

 でも、それでいいし、それがいいと、わたしは思っている。


 心の形は、ちょっとくらい歪な形をしているほうが、きっとずっと、面白いのだ。



******************



「冒険者ギルドの登録ですか?」

「うん。転移魔法を完成させるにあたって、いろいろとお金も必要だしさ」


 開店前の酒場の窓を拭きつつ、アーニャはミナへと提案を持ち掛ける。


「それに、クエストならいろんなモンスターの素材も手に入るし、ダンジョンでは神代の古文書とかも見つかるかもしれないし。

 パーティーのメンバーとして、ミナが一緒に登録してくれたらありがたいんだけどぉ……」


 振り返り、ちらちらと上目遣いでミナを見るアーニャ。

 どうやら彼女の中では、ミナの参加は既定の事実であるらしい。


 ミナとしてはアーニャの思惑通りに進むのは少々しゃくに触るが──、彼女の手を取った手前、無下に断るのも気が引ける。


「うーん……、アーニャさんって戦闘力はド底辺のクソ雑魚レベルだと思ってたんですが、戦えるんですか?」

「言い方ひどくない!?……いやまあ、たぶん……スライムくらいまでなら、なんとか倒せる……」

「つまり、ほぼわたし任せということですね……」


 大げさにため息をつくミナを見て、アーニャは慌てて声をあげる。


「いやまあ、攻撃魔法は苦手だけど、回復魔法とかサポート魔法はわりと得意だから!大丈夫!たぶん!きっと!」


 煮え切らないアーニャの言葉ではあったが──、ミナとしては彼女がそこまで言うのならば、その手を貸すこともやぶさかではない。


 そもそも、ミナはこの世界に来て二年ほど。


 出かける場所と言えば、日々の買い出しに使う商業区の店くらいであった。

 この間の山登りにしても、彼女にとってはかなりの大冒険であったのだ。


 戦闘に関しては、そこそこ程度には戦える自信はあるのだが──、そもそもこれまでの人生において冒険者という職業とはまるきり縁がなく、クエストやらダンジョンやらといった言葉とも無縁であった。


 つまりは右も左もわからない新参者である。


 対して、アーニャも自他ともに認めるインドア派魔術師であるわけだが──、じつは、彼女もこれまで冒険者というものにほとんど関わったことはなく、ついこの先日、酒場に客として訪れていた冒険者の男と会話した程度である。


 彼女の中の『冒険者』は、「なんかよくわからないけど剣振り回してダンジョン攻略とかモンスター討伐する人」程度の認識しかない。

 

 トリスタニアにおける在住歴は長いものの、魔術関係の知識ならともかく、戦闘職の知見に関してはほぼゼロと言っていい。

 無論、ミナはそんなことを知る由もないし、察せられるはずもない。


 つまり根拠なく互いが互いを当てにしているという悲惨な状況であるのだが──、当の本人たちはまだそこまで深く考えを及ばせていなかったのである。


「うーん……まあ、別にいいんですけど……、でも酒場の仕事もありますし……」

「ああ、それなら大丈夫よ」


 ミナのしかめ面を察したのか、二人の後ろから、リタがひょいと顔を出す。


「いい機会だから隔日営業に切り替えようと思ってたの。だから、お店がない日は自由にしてくれて構わないわよ。さすがに毎日営業は体力的につらくなってきてたし、わたしも良い加減いい歳だしね」


 一般的な感覚から言えば、リタの外見はまだ二十代そこそこ。

 若さとエロスに満ち溢れた、働き盛りの女の姿に見えるのだが──。


 ハーフエルフの寿命はヒュームと変わらないと聞くし、外見と体内の老化具合があまりマッチしていないのかもしれない、とアーニャの明朗な頭脳は答えをはじき出す。

 

 そして、その明朗な頭脳はとくに何も考えることなく──、

 その挑戦的とも言える言葉を口にする。



「えーと、リタさんってほんとは何歳なの?」



 ぴきりと固まる空気。

 唇の端を引きつらせ、満面の笑みを浮かべるリタ。

 あんぐりと口をあけ、顔面蒼白になるミナ。


「ちょ、ばっ……!アーニャさんっ……!!」

「アーニャちゃーん。あなたはもう少し考えてからしゃべる癖をつけましょうねー?」

「ひいっ!?ご、ごめんなさい!今のはただの興味本位で────、」


 酒場のフロアに、アーニャの悲鳴が轟く。


 ミナはそんな二人の姿を眺めながら、盛大にため息を漏らすのだった。






























**************************




「クラン名『異世界めざし隊』?なにこれ。ふざけてんの?」


 冒険者ギルドの片隅。

 クエストのメンバーを探していた少女が、パーティー名の一覧を見て呆れ顔になる。


「はぁ、こんなネタみたいなやつらまでパーティー組めてるのに、わたしときたら……」


 コートの裾から覗く長い尻尾を揺らしつつ、その少女は大きく肩を落とすのだった。






 

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