新たな旅路、贖罪の門出。2
王都・クライオウェン。
繰り返しになるが、人間の住む現界において最大の都市だった。
そして、魔王ダーバシャッドが現界へと侵攻した際に最初に攻め込んだ都市。
その際、死亡した人の数は数万人とも言われ、現界の歴史上最悪の大量虐殺と言われている。
「私の両親も、兄弟も、親戚も、友達も、知ってる人はみんな…… みんな死にました」
暗い瞳で、バンを見つめるアニー。
誰も、バンもその瞳を見つめ返すばかりでなにも言えない。
「もう一度、お聞きします。 貴方はなぜ、この現界にいるのでしょうか?」
「…… 私は、今の私は、魔界を豊かにしたいと思っている」
バンの額から玉のような汗が吹き出す。
今のバンの脳裏には、クライオウェンに攻め行った時に殺した人々の顔が浮かんでいた。
バンは自分に向かってくる相手しか殺さなかった。
「自分に向かってきたのだから仕方ない」、そう言い訳をしながら相手を殺めるほど、バンは"魔族"らしくない。
そんなバンが、初めて向けられる被害者からの憎悪の眼差し。
心臓を冷たい手で鷲掴みにされたようにバンは固まった。
「…… アニー、落ち着けよ。 その、バンさんに命を救われたのも確かなんだし。 それに、戦争だったんだ。 お互いが殺しあったんだ」
「いや、ポール、クライオウェンの侵攻は一方的な虐殺だった。…… そして、私は魔王軍の四天王筆頭だったんだ。 弁解の余地はない」
バンはその場に両膝をつき、アニーに向かって首を差し出すように頭を下げた。
魔族の、降伏を表す所作。
「…… 魔界を豊かに、それだけじゃ意味が分かりません」
アニーはバーンダーバの首をじっと見ながら、唇だけを動かした。
「魔界は、草木も生えぬ不毛の大地。 魔族が現界に攻め入る理由には、飢えによるところも大きい。 だから、私は魔界を豊かにして少しでも争いを無くせればと考えている」
「魔族は好戦的な種族です。 私の家族を殺した時も、魔族は嗤っていました。 魔界が豊かになったところで、現界への侵攻が増えるだけなのではないんですか?」
「それは違う! いや、確かに魔族の多くは戦いを好むが、そうではない者もいるのだ。 …… すまない」
「なにが、
「アニーの、家族を殺した。 もし、私を生かして貰えるなら、贖罪のためにこれからも、出来る限り、誰かを救いたい。 アニー、すまなかった」
「…… アニー」
「黙ってて」
なにかを言おうとしたメリナを遮る、アニーはなおもバンをひたと見据えたまま、大きく息を吸った。
「謝ったところで、貴方の気持ちがスッキリするだけでしょう? 私はなにも救われない、弟は泣き叫びながら死にました。 母親は弟を護ろうとしましたが死にました。 父親は私たち家族を護ろうとしましたが死にました。 兄は」
アニーの瞳から、大粒の涙がぼろぼろとこぼれる。
「私を逃がすために、戦い、その時に負った傷がもとで、魔王軍から逃れる、船の中で、死にました」
かすれて、聞き取ることも難しい声音だが、バンには一字一句が胸に刺さった。
バンの中にあった、戦争なのだからお互いを恨むのは違うという理屈が崩れ去った。
家族を持った事のないバンにすら、アニーの想いが伝わった。
痛み。
怨み。
苦しみ。
悲しみ。
憎しみ。
バンの胸に初めて、深い自責の念が生まれた。
「今でも、家族の悲鳴が耳について離れない」
アニーはゆっくりと立ち上がった。
傷の影響か、フラフラとおぼつかない。
メイスを握り、ふらつく体を無理に支える。
「いみじくも、人を救って贖罪をしたいという想いが重なりましたね」
アニーが、手に持つメイスを見る。
「船で死んだ兄、私が治癒術を使えれば助かったのに。 そう思うと弟も母も父も、友達も、みんな、救えたかもしれない。 私は目の前で傷付いた人を助けるために治癒術師になりました」
アニーがバーンダーバから視線をそらせて焚き火を見る。
パチパチと、薪の爆ぜる音。
「命を助けていただいて、ありがとうございます。 ですが、貴方が魔族と知った今は、貴方と火を囲んで語らう気にはなれません。私は、魔族を赦すことは、できません。貴方を殺す気にも、なれない。失礼します」
アニーはフラフラと、夜の森の暗闇に向かって歩き始めた。
「アニーさんっ」
呼び止めたのは、フェイ。
アニーはその場で足を止めた。
「私も、バンに救われました。 バンの話しを聞いて、私も手伝うことにしました。 アニーさん、魔族のしたことは、赦されることではありません。 ですが、バンの、今話した事は信じてほしいです。 彼は心から争いを無くしたいと思っています、それだけは、信じてあげてほしいです」
アニーは、フェイの言葉が終わると、振り向かず、そのまま、またゆっくりと歩き始めた。
「バンさん、こんなことになっちまってすまない」
ポールが立ち上がり、バンに軽く頭を下げてアニーを追いかける。
「ポール、私の方こそすまなかった。 安易にあんな話しをするべきではなかった。 アニーに伝えてほしい、私は死ぬまで贖罪を続けると」
バンは立ち上がってポールの背中に向かって言った。
振り返ったポールは、バンの眼をしっかりと見返してまた頭を下げた。
メリナとクラインも、バンとフェイに頭を下げてからアニーを追って森へと去っていった。
ほんの一時前まで、楽しく火を囲んでいたのが嘘のように重い空気が降りる。
《貴様はくそ真面目か。 戦争なんぞ殺し合いだ、あんな話しをまともに相手していたら
「私も、そう思っていた。 だが、認識が変わった。 いや違うな、分かっていたことに眼をそむけていただけか」
バンはドサッと腰を下ろした。
「クライオウェンで、私は16人を殺した。 相手が向かってくるのだから仕方ないと言い訳をしながら。 その全員の顔を覚えている」
《何万の人間が死んだにしては、少ない数字だな》
バンはうつむき、両手で顔を覆った。
「私は卑怯者だ。 部下に殺戮を押し付け、自分は、出来る限り手を汚さなかった…… 私は、卑怯な臆病者だ」
《かははははっ! よくもまぁ、こんな男が魔王軍の四天王筆頭なんぞになったもんだ!》
「…… そうだな、私もそう思うよ」
「バン」
フェイがバンの後ろに立ち、優しく声をかけた。
「いいじゃないですか、臆病で、卑怯でも。 私は、よかったと思いますよ、殺さなくて」
「殺さなかったんじゃない、私は、他人に殺させたんだ。 逃げただけだ」
フェイの言葉にも、バンは心が刺されるような感覚を覚えた。
「バン、出来ないことは誰かにして貰えばいいんじゃないですか? そりゃあ、人殺しを頼んじゃダメですけど。 でも、軍にいたなら仕方ないとも思いますよ? なんて言ったら良いか、難しいですけど」
フェイが、そっとバーンダーバの肩に手を置き、その手を回してゆっくりと背中を抱き締めた。
「私は、バンを許します。 誰かのために頑張るって言ってるバンを、私は、好きですよ? 誰かがバンを責めるなら、私はその度にバンを許します」
背中に感じる温もりに、バーンダーバは心が落ち着いてくるのを感じた。
安らぎを感じた。
「…… ありがとう」
バンは、それだけ言って黙った。
====魔界====
荒野に響き渡る
夥しい亡骸。
乾いた大地が血を吸っている。
ぶつかり合う2つの軍勢。
戦況は佳境を向かえている。
戦うのは、現在、魔界において最も精力的に版図を拡げる八千魔将バドカーゴ。
対するは、氷烈のヒルサザールの元副官だった三千魔将ドグラード。
ドグラードの軍勢を、バドカーゴの軍が包囲網の中に絡めとった。
それでも、ドグラードの軍は誰一人戦意を失っていない。
苛烈な瞳で武器を構え、前へ前へと突き進む。
戦い、倒れたものの屍を踏み越えて戦い続ける。
突如、上空で爆発が起こり、その炸裂音で戦闘が止まった。
「ドグラードォォ!! 聞こえてるかぁぁっ?」
割れんばかりの大声量が戦場の端から端まで轟いた。
包囲陣が割れ、その間から悠々と歩いてきたのは八千魔将バドカーゴ。
乱戦の最中に眼を向けて、その中から誰かを探すように睨み付ける。
「最早! 勝敗は明らかだ! ここらで一騎討ちといこうじゃねぇか! 出てきやがれ!」
「オレはココだ」
応えて現れたのは小柄な体に似合わない魔力で創られた巨大な戦斧を持った男。
左目は潰れ、顔の半分は乾いた血で覆われている。
残った右目で、バドカーゴを射殺さんばかりに睨んでいる。
「いい面だな、三千魔将・ドグラード」
「余計なお喋りはナシだ、一騎討ちとイコウ」
ドグラードは構えた戦斧にさらに魔力を込め、ただでさえも巨大な刃がさらに一回り大きくなった。
「いい度胸だ!」
バドカーゴは魔力で短剣を造りだし、おもむろに左目を切り裂いた。
ドグラードが眼を見開く。
「ナニやってんだお前?」
訝しげな顔でドグラードが睨む。
「せっかくの一騎討ちだ! フェアに楽しもうぜ!」
ゲタゲタと笑いながら、バドカーゴは禍々しい鎌を造り出して構える。
「さあ、お楽しみの時間だ」
大鎌を頭上でグルグル回し、左目から顎まで滴る血を長い舌でベロリと舐めてバドカーゴは笑った。
「きひひ、イヤ、その必要はナイ」
ドグラードは嬉しそうに笑い、構えていた戦斧を消した。
「どういう意味だ?」
バドカーゴの顔から笑みが消える。
「アンタにつこう、酔狂なバドカーゴ殿。 これからオレはアンタの手下ダ」
ドグラードが片膝を付き、頭を下げて首をバドカーゴに見せる。
魔族の、服従の証の所作。
バドカーゴはまたニヤリと笑った。
「いいだろう、お前は俺の副官だ。 せいぜい励め」
「御意に、魔王様の左目を見事補って見せまショウ」
バドカーゴは満足そうに頷いた。
新たにドグラードの軍勢を従えたバドカーゴは、一万の魔族を従えた魔王となった。
「さぁ、現界へと攻め入るぞ。 待っていろ人間どもめ、飢えに苦しむのは、今度はお前らの番だ……」
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