第7話 内気な僕、正面から突破する


 

 僕とカスミは今、敵の本拠地を眼下に見下ろしている。


 はじめて目にしたその施設は、以前見たチラシの説明とはずいぶんと違った様相を呈している。


 おそらく元はスーパーマーケットだったであろう一階建ての古ぼけた大きな建物。


 その入口には『やすらぎの窓』とマジックで書かれた申し訳程度のプラスチックの看板が掛けられている。



 今は加東さんとの対面からちょうど2日が経過した月曜の昼下がり。


 僕たちはその施設のはす向かいにある雑居ビルの踊り場の窓から見張りを続けている。


 バーやスナックが各階にわずかに点在するだけの少しばかり寂れたビル。


 さらにはまだ日が高いということもありビルの中には人の気配は感じられない。


 早朝からの見張りとあって、そろそろ僕たちにも疲れが見えはじめたちょうどその時。


 駅の方角から現れた1台の黒いワンボックスカーと3台の白いワゴン車が次々と施設の前で停止する。


 車からはいかにもガラの悪そうな男たちが次々と降り立ち、足早に施設の中へと消えて行く。


 僕たちが息をつめて見守る中、最後に停車した黒い車から白い作務衣を身に着けた端正な容姿の男がその顔を見せる。


 幾分細身な体型ながらもその身のこなしには只者ならぬ雰囲気を漂わせている。


 その男は手下を引き連れ、優雅な足取りで建物へと向かって歩いて行く。


「ヤツが黄飛龍(ファン・フェイロン)か……」


 握りしめる僕の拳には自然と力が入る。


 ふと男たちの間から、どこか見覚えのある金髪が垣間見えた気がした。


「ちゃーくん……」


 隣ではカスミがその細い目を大きく見開いていた。



 ☆☆☆☆☆☆



 男たちが施設へと入って行った後もじっと監視を続ける僕とカスミ。


 カスミは居ても立っても居られない面持ちだ。


 僕たちの間ではただただ焦燥感だけがつのって行く。


 数十分が経過し焦りがピークに達しようとしたその時、先程入って行った男たちが入口から外へと出てくるのが見えた。


 大勢の男たちはそれぞれに大きなダンボールやパソコンのようなものを抱えている。


 目を凝らしてみたがその中に茶太郎らしき姿はないようだ。



 午後の日差しが強まる中、あっという間に男たちを乗せた3台の白ワゴンが幹線道路の方角へと走り去って行く。


「今だ!」


 僕は瞬時に決断を下す。


 現在、あの施設の中にいるのは5人。


 その中に茶太郎もいる可能性は極めて高い。


 早朝から待ち続けた僕たちにとって千載一遇の好機が到来したと言って良いだろう。


 僕たちは一気にビルの階段を駆け降り、表通りへと飛び出す。


 通りを一直線に走り抜け、僕たちはその白茶けた古い建物の扉の前に並び立つ。


 おそらく元々自動ドアのあった所にスライド式のドアを設置したのだろうか、新しいドアだけがやけに不自然に目立っている。

 

 どうやらカギはかかっていないらしく、僕が力を入れるとドアはスムーズに横へと開いた。

 


 ☆☆☆☆☆☆

 


 開かれたドアから一気に中へとなだれ込む僕とカスミ。


 ドアの中は一切の仕切りのない広いスペースになっており、その中央付近に5人の男女が立っている。


 大量の荷物が運び出されたばかりだからかその空間には若干ホコリが舞っているようにも見える。

 

 突然の乱入者の登場に5人それぞれがひどく驚いた表情を浮かべている。


 僕はそんな男たちへと向かって大きな一歩を踏み出す。


ファンヘイロン、茶太郎は返してもらうぞ!」


 僕は5人の中心に立つ細身の男に向かって力強く宣言する。


 やや小柄な丸坊主の双子の男たちと2メートル近い大男がファンを守るようにして身構え、僕へと厳しい視線を向ける。


 さすがにマフィアのボスの側近を任されているだけのことはあり、それぞれがその辺の不良学生とは段違いの濃密な殺気を身にまとっている。

 

「これはこれは……とんだお客様だ。まぁこちらが招待したわけではないがね」


 ファンが苦笑交じりに嘆息する。


 しかしその表情とは裏腹の傲然とした立ち姿からは裏社会に生きる人間特有の凄みが溢れ出している。


「この野郎っ!」


 気おされまいと声を荒げ、歩を進めようとする僕。



「お兄様への狼藉はゆるさないわっ!」


 場を揺るがす激しい金切り声。


 僕の前に立ちはだかる妖精のような少女。


 そこにはすっかり変わり果てた様子でこちらをにらみつける茶太郎の姿があった。

 

 毛先を軽くロールさせた長い金髪。


 大胆なスリットの入ったライトブルーの美しいチャイナドレス。


 両の頬にはパール入りのチークがしっかりと入れられており、その口元はオレンジのルージュで鮮やかに彩られている。


 胸のふくらみ以外はどこからどう見ても可愛らしい少女にしか見えない。



「君が返せというのは、もしかしてこのチャトリーヌのことかな?」


 茫然と立ちすくむ僕に向かって、ファンが嘲るような視線を向ける。


「そうよ!アタシはチャトリーヌ。お兄様の女よっ!!」


 胸の前で手を合わせ、必死の形相で叫ぶ茶太郎。


「よく言った。それでこそ私の可愛いチャトリーヌだ」


 ファンが優しい手つきで茶太郎の頭を撫でる。


「お兄様……」


 うっとりとファンを見つめる茶太郎、そのまなじりにはうっすらと涙が滲んでいる。


 

 目の前でくり広げられる異常なやりとり。



――――僕の胸中を様々な感情が渦巻く。


 やがて感情の波は大きなうねりとなり、僕の心を飲み込んでいく。


 そして僕の心がただひとつの答えを導き出す。


「茶太郎でもチャトリーヌでも構わない。僕は僕の親友を取り戻す!」


 僕は真っすぐにファンの目を見てそう告げる。


 そこにはもう一切の迷いはない。



 ファンの目が一気にその鋭さを増す。


 僕を見据えるその燃え盛るような眼光はまるで獰猛な肉食獣を思わせるようだ。



 場の緊張感が徐々に高まって行く。


 自分の心臓の鼓動の音さえもがはっきりと聞こえるようだ。


 

 緊張の糸を振り払い僕が攻撃態勢に入ろうとしたまさにその瞬間をついて、ファンの手下の双子と大男が一斉にその牙をむく。

 

 圧倒的な膂力で正面から打撃を加えてくる大男。


 僕は位置取りに気を付けながら、その攻撃をかわし続ける。


 派手な装飾の施された青龍刀を構え、熟達のコンビネーションで次々と攻撃をくり出してくる丸坊主の双子。


 僕は体術を駆使しながら三方向からの攻撃を紙一重でなんとかしのぐ。


 防戦一方でまるで攻撃の糸口もつかめないままに、無情にも時間だけが流れて行く。


 僕の体力は低下し、それに伴い精神力も徐々に削られて行く。

 

 完全には攻撃をかわし切れなくなってきた体には少しづつ切り傷が増えて行く。


 後方に控えるファンはチャトリーヌの肩を抱き、僕の苦戦を楽しそうな様子で眺めている。


 切られた痛みと出血のためか反応速度が大きく低下してきている。


 肩で息をする僕はすでに満身創痍の状態だ。

 

 ここからの逆転は事実上不可能に近い。


 僕の心が宵闇に包まれ水底へと沈み出す。


 そんな僕の弱い心に付け込むようにいよいよ3人組の攻撃はその苛烈さを増して行く。


「――――しまった!」

 

 気付けば僕は双子の巧みな攻撃によっていつしか大男の正面へと誘導されていた。


 大男が僕に向かって全力の正拳突きを放つ。 


 僕は大男の渾身の一撃を、交差させた両腕でなんとかしのぎ切る。


 しかしそのわずかなスキを見逃さず、左右から丸坊主の双子が僕へと一斉に飛び掛かる。


 双子の青龍刀が僕の頭へと振り下ろされる。


『……もう、ダメか』


 僕の心を絶望が支配しようとした、その一瞬。


――――――僕の視界の片隅で、何か大きな黒い影が閃く。


 直後、


 パリィィン――――――という乾いた金属音が室内に響き渡った。



 そして自失から我に返った僕の目の前には、一瞬自分の目を疑うかのようなすさまじい光景が広がっていた。



 地面には粉々に砕け散った2本の青龍刀。


 そしてアゴの骨を完全に粉砕され、顔の下半分を血まみれにして失神する丸坊主の双子。


 隣りには両腕と両足をへし折られた大男がうつぶせに倒れており、手足ともに間接から先の部分が変な方向に折れ曲がっている。


 それはまさに荒れ狂う暴風雨が過ぎ去った後のようであった。



――――訪れるは沈黙。


 その場にいる誰もが声を発することが出来ずにいる。



「下がっていなさい、シン」


 聞きなれた幼なじみの声が深い海のような静寂を切り裂く。

 

 その見慣れた後ろ姿はどこか懐かしい雰囲気を感じさせるものだった。


 カスミがゆっくりと頭に手を伸ばし、ツインテールに結ばれたリボンの片方をそっとほどいた。


 ほどかれた髪が跳ね、真っ赤なリボンが音も立てずに床へと落下する。


 僕にはその光景がこれから訪れる凶事の前兆のように思えてならなかった。 

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