この長い坂道の向こうには
藤原 忍
第1話 まっすぐ、高みへ
最後の最期までガンと闘った青山がひとすじの煙となってまっすぐ雨上がりの空に登ってゆく。その煙は、常に自分の定めた高みを目指そうとする青山の姿、生き方そのものだと小林楓は思う。
自分は今、青山が目指した「高み」にきちんと向かえているのだろうか、と問う。一人の人間としての生きざまと、会社に帰属する一人の社会人としての生きざまを重ね、そして、ともに会社という場所で「高み」を目指した先達であり、師匠である彼の目標や、共通のこころざしを、自分は少しでも引き継げるのだろうかと自問自答していた。
おそらく、答えはない。
それでも目指した場所へと向かう道は、どんなに困難であっても自分に恥じるような歩き方だけはしない、と心に誓っていた。
「後悔していなかったのかな、お父さん」
「心残りはあったと思うけど、精一杯生きたと思うよ。お父さんはそういう人だよ、美代ちゃん」
傍らに立ったかつての青山の同僚であり、楓の先輩である如月聡子が娘の美代の疑問に間髪入れずそう答えた。
「きっと多香子さんも…お母さんもそう思っているよ」
続けてそう言ったのも、彼女だった。
「聡子さん?」
「私はあの会社を離れて、住んでいるところも離れたから、青山さんとはSNSでのやり取りがほとんどだったんだけど、会社のことも、家庭のことも、いろいろ聞かされたわよ」
「お父さんが、ですか?」
「そう。例えばねぇ、自分に気を使いすぎてて野田さんと楓が大喧嘩してて、間に入った井上さんが困り果ててる様子が目に浮かぶんだけど、どうしようかとか、美代ちゃんと多香子さんが喧嘩しているんだけど、その内容が内容すぎて口出しできないとか。日常のこと」
「本当に?」
「本当に」
聡子はうん、と頷く。
「もちろん、会社に身を置く人間として業界トップを目指せ、とか、親として美代ちゃんに対しては学年一番を目指せ、とか、いろいろ言いたいことはあったと思うんだよ。でもね、青山さんは幸せだったって。チャーシューの切り方が分厚いだの薄いだの、二人で真剣に喧嘩してる姿とか、肉まんにカラシをつけて食べるのか、ソースなのか、醤油なのかって言い争っている二人の姿が尊いって。その二人を見られる自分は幸せだって」
「お父さんそんなことまで!」
「楓が負担を考慮しながらメールの文面一つとっても気にしながら仕事を任せてくれるのが手に取るようにわかるし、家に来た野田さんがそれを見て、会社でやりあってるんじゃないか、井上さんが間に入ろうかどうしようか迷ってるんじゃないかって。だから自分は一人じゃないし、幸せだって」
「まさにその通りのやり取りがあったよ」
井上がぽつりとそういった。
「心残りはたくさんあるけれど、幸せだったって。大事なものをいっぱい手にすることができたと。お前もそういう生き方をしろって、言われたよ」
「聡子さん…」
「私は会社に行きたくても行けなくなっちゃって、青山さんにはずいぶん迷惑をかけたから」
「今は?」
「不幸せに見える?」
即座に美代は首を振った。両親の古い友達だからと、年に何度かバーベキューで顔を合わせている。仕事の帰りに寄ったと、トラックから降りてきてお土産を渡されたことも多々ある。
美代にとっては「トラックのおばちゃん」であり、運送会社の社長を夫に持つ専務さんであり、両親の古い友人だという認識だが、その昔、大変な経験をしているとも聞いている。
「だから、大丈夫だと」
「そう。美代ちゃんのお父さんにはなれないけど、お父さんの代わりに言ってあげる。大丈夫だよって」
その言葉に楓は頷き、美代と目を合わせる。
「大丈夫だよ、一人じゃない」
同時に、大丈夫、と心の中でつぶやく。
たどり着けるかどうかはわからない。わからないけれど、「高みを目指すこと」は続けるのだ。大事なものを手に入れるために。
楓はそんなことを思いながら、煙を見上げていた。
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