44.朝倉さんと

「わたしが好きなのは、悠斗なんだよ」


 いつの間にか朝倉は俺の腕の中から落ちていて。泣きそうな表情をしながら、そんなことを言った。

 立ち上がろうとして、尻もちをついて。そのままなかなか立ち上がることができずにいたが、ようやく立ち上がった朝倉は俺とは反対の方向に走り出した。


「ちょっ……!」

「……っ!? は、な、して!」

「離せるわけないだろ!」


 そんな泣きそうな顔の恋をした相手の手を、離していいわけがない。また気持ちのぶつけ合いにしていいはずがない。

 振りほどこうとする朝倉の手を強く握る。壊れてしまいそうな小さくて細くて綺麗な手を、壊してしまうくらいに強く握った。


「やだ、やだっ! 離して!」

「落ち着け、朝倉」

「うるさいっ!」

「玲奈!」


 何も考えてなんていなかった。ただ、今はそう呼んであげることが一番だと思った。俺の思っていた架空の朝倉の好きな人がいないのだったら、そう呼んでくれる人はきっと、父親と結花くらいだったのだろう。

 暴れるのをやめた朝倉は、頬に涙を伝わせる。


「嫌いに、ならないで」

「……えっ?」

「こんな、嫌な言い方しかできなくて、ほんとはもっと、なんか、こう、ドラマみたいに言いたいのに。好きだって言われたらびっくりして突き飛ばして、自分が言うってなったらこんな、逆ギレして。気持ち悪い女だけど、でも、でもぉ……」

「落ち着いて。大丈夫、嫌いになんてなれない」


 なれるはずがない。好きだと言われたらびっくりした? なんてかわいい理由だ。そんな朝倉の気持ちも考えずに勝手にフラれたと思い込んで、俺の方こそ嫌われたって文句は言えない。

 それでも、伝えてくれたのだから。俺のことを好きでいてくれたのだから。その気持ちに逃げることなんて許されるはずがない。


「朝倉」

「……?」


 泣き顔を誰にも見せたくなくて、手を引いて抱き寄せる。朝倉は若干混乱していたようだが、戸惑いながらも俺の胸板に顔を押し付けて静かに泣いた。


「鈍感でごめん。気づいてあげられなくて、ごめんな」

「ほんと、だよ。ばか。ばか、ばか、ばか。ずっと好きなのに、全然、気づかないし。ヒント出しても、気づかないし。自分の事じゃないと思い込むし。それなのに優しくしてきて、余計に好きになるし。ほんとに、最悪」


 ずっと、朝倉は俺のことを言っていてくれたのに。朝倉もずっと俺のことを覚えていてくれたのに。それに気づかないフリを知らず知らずのうちにして朝倉のことを傷つけることになってしまったのだ。


「でも、わかってる。悠斗が好きって言ってくれたときに間違ったことしたのがわたしだって」

「それは……」

「違わないよ。今日だって、わたしがいるって知ってたら悠斗は来てくれないから。それくらいわたしにフラれたことを落ち込んでくれたから。最低な態度なのは、わたしの方」


 否定はできなかった。実際、今日だって朝倉の顔を見ただけでおかしくなってしまいそうで。そのうえいろいろと要求してくるので、少しだけ腹も立っていた。

 それも全部、俺に見てもらうためのことだとわかったから。そんなかわいらしい、素直じゃない朝倉の最大の意思表示だから。


「朝倉。俺は、まだお前のことが好きだよ。好きで、フラれて落ち込んで。嫌いになろうとして。でも、やっぱり好きで」

「……うん」

「朝倉のことを全部受け入れられるほど立派じゃないし、正直朝倉に頼られるような器でもないと思ってる。朝倉が嫌いな、自信の無い俺だってきっとまた見せる」

「……見たくない」

「うん、わかってるよ」


 だから。一人だとまた自信をなくしてしまうから。俺が心からすごいと思える人の隣で、少しずつ近づくことができたらいいなと思う。

 そんな感情を必死に頭でまとめて、結局ありふれた一言になってしまった。


「俺の、彼女になってほしい」


 頭が真っ白になりそうだ。もうまっすぐ地面に立っているのかすらもだんだんとわからなくなってきている。ただわかるのは、腕の中の朝倉が耳まで真っ赤になっていることと、俺と朝倉の鼓動がおかしなくらいに高鳴っていることくらいだ。


「もち、ろん。わたしの彼氏に、なってください」


 小さく呟いたその言葉は、確かに俺の耳には届いた。

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