彼方

外東葉久

彼方

 星は一つしか見えなかった。

 街の光が眩しい。海の上から目を細めた。

 遠く、もっと遠く。

 暗く、もっと暗く。

 陽が昇ってしまうから。

 早く、もっと早く。

 僕は閉じ込められている。行っても行っても、着く先は街ばかりだった。ああ、また光が見えてきた。そう暗然とするのはもう御免だ。


 今、背中には大量の重荷を背負わされている。きっと朝まで、これが続くのだ。無責任に押しつけられ、あいつらは勝手に自分のことを大丈夫だと思い込んでいる。朝まで僕は縛りつけられ、そしてきっと、またどこかの街に連れて行かれる。こんなに重くては、海から抜け出せない。


 空を飛べたらなあ。


 真夜中に、海の真ん中を進む日がある。そんな日は思い出す。初めて海に出た日を。

 すーっと、海に滑り出し、ふわっと、からだが浮く感じがした。太陽がからだをきらきらと輝かせていた。

 どこまでも続いていると思った。自分はどこまでも行けるのだと思った。最高の開放感だった。

 目を閉じて、その景色を思い出そうとしたけれど、街の光がそれを邪魔するように、目の奥まで入り込んできた。


 朝が来た。

 縛りつけていた縄が解かれ、僕は進みだした。目前が開けてくると、速度を上げる。

 海を切り、風を切る。からだの横に感じる心地よい冷たさ、波が砕ける振動。僕の唯一の楽しみだった。


 鳥が後ろからやって来た。そして、僕に並ぶように飛ぶ。僕が憧れてやまないもの、それが鳥だ。

 「やあ、船。」

「やあ、鳥。」

「いいね、お前は果てしない海を進めて。」

鳥がそう言った。

「いいや、果てはあるさ。どこへ行こうとも。」

「本当に?そんなことがあるもんか。」

「本当さ。この先にも陸がある。海は閉じ込められているんだ。」

鳥は、大層驚いた顔をしていた。

「お前こそ、果てしない空を飛べるじゃないか。」

僕はそう言った。

「いいや、空にも果てがある。どれだけ高く飛ぼうとも。」

「嘘だ、じゃあこの世界に逃げ場はないじゃないか。」


 「ああ、海に果てはないと思ったのに。」

 「ああ、空に果てはないと思ったのに。」


 それから僕は、遠くの街へ行き、また荷物を背負って、もとの街へ帰ってきた。その夜、行きがけに会った鳥がやって来た。

 「やあ、船。」

「やあ、鳥。」

「この空の上には、果てしない場所があるらしいよ。」

鳥が言った。

「本当?」

「うん。僕と一緒に行ってみない?」

「行くってどうやってさ。」

「分かんないけど、僕たち、もうこんな世界は飽き飽きしてるだろう?心から行きたいと思えば行けるさ。」

「そうかな。」

「うん。背中の荷物も無いし、今なら飛べる。」

 船は、海を見、街を見、そして鳥を見た。

「行こう。」

「よしっ。さあ、目を閉じて。思い描くんだ。自分が飛んでいる姿を。」

船は意識を集中させた。今までにない高揚感に包まれていた。

「行くぞ!」

船と鳥は叫んだ。

 

 すーっと、海から抜け出し、ふわっと、からだが浮く感じがした。たった一つの星がきらきらとふたりを導いていた。


 「目を開けてよ!」

鳥の声がした。船は目を開いた。


 一面、鉄紺の世界に、金色の星があちらこちらで輝いていた。

「最高だよ!」

船は叫んだ。

「最っ高!」

鳥も叫んだ。

けれど彼らはもう、船と鳥ではなかった。


「ね、飛べたでしょ。」

「うん。ありがとう。」

「絶対飛べると思ってた。だって、あなたの名前は・・・・・・」


「かなた!」


ふたりは叫んだ。


 かなたにとって、人間につけられた、口にも出したくない名前だった。でも、名前を付けられたときから、これが運命だったんだ。


「はるか彼方まで来たよ僕ら。」

「これからも、彼方まで行けるよ。」



 貨物船かなた号は、その日から、びくとも動かなくなった。

 海鳥が一羽、船首にとまったまま。

 

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