天井裏から聴こえる声は
烏川 ハル
第1話
「三十六計逃げるにしかず、って言い回しあるだろう? まさに今、そんな心境だぜ!」
野太い声が天井から降ってきたのは、私がベッドに入って数分後。一日の疲れが睡魔に変わり、ちょうど眠りに落ちようとしているタイミングだった。
「こんな危ない別荘、これ以上いられるかよ! 一足先に帰らせてもらう!」
「待って下さい、吉田さん。外へ出るのは危険だから……」
「うるさい! 止められるものなら、力尽くで止めてみろ!」
最初の男が怒鳴りつけて、涼しげな声の制止を遮る。バタバタと足音も聞こえてきて……。
その直後。
「ぎゃあああああああああ」
甲高い悲鳴が響き渡った。
「うるさいなあ……」
真っ暗な部屋で布団を被ったまま、小さく呟く。
私が暮らしているのは安アパートの二階であり、別荘なんて立派なものの一室ではない。『こんな危ない別荘』という言葉から考えて、あれは三階で誰かが実際に騒いでいるのではなく、テレビか何かの音声なのだろう。
こんな夜遅くに、下の部屋まで聞こえてくるほどの大音量とは……。あまりにも非常識だ。
ずっと続くのであれば怒鳴り込んでやろうとも思うが、幸いなことに悲鳴のシーンまでだった。それっきり、何も聞こえてこない。
外へ漏れない程度に音を小さくしたのか、あるいは、テレビそのものを消したのか。どちらにせよ、これで睡眠が妨げられるのも終了だ。
もう忘れることにして、私は再び目を閉じるのだった。
しかし……。
翌日、同じくらいの時間帯だった。
「三十六計逃げるにしかず、って言い回しあるだろう? まさに今、そんな心境だぜ!」
昨日と同じ声が、また聞こえてきたのだ。
「こんな危ない別荘、これ以上いられるかよ! 一足先に帰らせてもらう!」
「待って下さい、吉田さん。外へ出るのは危険だから……」
「うるさい! 止められるものなら、力尽くで止めてみろ!」
テレビだとしたら、二日連続で同じ内容を放映するとは思えない。DVDやブルーレイ、あるいは動画サービスのようだ。
「ぎゃあああああああああ」
やはり今夜も、その悲鳴を最後に、何も聞こえなくなったが……。
「いや、これ。二度あることは三度ある、ってやつじゃないのか?」
明日も同じ問題が発生するのではないか。
心配になった私は、ベッドから飛び起きて、一枚上着を羽織る。上の部屋へ行き、直接文句を言ってやろうと思ったのだ。
ところが、部屋を出た瞬間。
アパートの共用廊下で、住民らしき二人の男に出くわす。どちらも不機嫌な顔で、私の行手を塞ぐかのように立っていた。
こちらが口を開くより先に、彼らは私を罵り始めた。
「あなたですか、202号室に住んでいるのは!」
「何時だと思っている? 夜中に大音量は近所迷惑だろ!」
二人は、上の階の住人だった。
301号室と303号室、つまり私の真上ではなく、その両隣だという。
「いや、私じゃないですよ。こっちこそ迷惑してるんです。騒音の主は302号室でしょう?」
そう主張したが、聞き入れてもらえなかった。302号室には誰も住んでいない、と反論されたのだ。
押し問答が続くうちに、二階の他の住人たちも、騒ぎを聞きつけて廊下に出てくる。彼らは「横からではなく、上から聞こえてきた」と証言してくれた。
既に音が止んでいることもあり、いったんは収まったのだが……。
その翌日。
「三十六計逃げるにしかず、って言い回しあるだろう? まさに今、そんな心境だぜ!」
嫌な予感が的中して、「二度あることは三度ある」になったのだった。
三日目の夜も、うるさかったのは「ぎゃあああああああああ」という悲鳴まで。
そこでピタリと騒音は止まるが、この様子では、明日も繰り返されるに違いない。
前の晩と同じく、二階や三階の住民たちが出てきて、私の部屋の前に集まる。彼らと話し合った結果、大家さんに相談しようという話が決まった。
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