私と恋と、ときどき文章

きつねのなにか

恋とは、変の上部分に心をぶら下げると完成する

その恋は突然に始まった。歳なんて関係のないことだった。


昔は嫌いだった、というわけではない。逆に少しばかり好きであった。それにまみれた生活もした。

それはとても愉快なことだった。

しかし、人生の大失敗を一つしたことで終わりを迎えたのだった。


その、失敗による終了した物、それが、再び稼働したというのだ。人生に花がまた開いたようだった。

恋に落ちたからといってすぐに恋が実ったわけではない。最初は何度も失敗した。でも諦めなかった。なぜか、諦めなかった。


何度も失敗しているうちに出会いの場所を変えた。それが功を奏した。同じ恋をしているものたちとの出会いが世界を、恋をさらに拡大拡張させていった。

本当に納得できる物をかけるようになるまでに100万文字を要した。そしてそれは書けた。


それでも恋は終わらなかった。


今度は長い子に加えて短い子にも手を出し始めた。

天才ではないのでどちらかを書いていると、どちらか一方にしか気が行かない。どちらかに怒られることもあった。ごめんごめんと言いながらそちら側の作業にも没頭していった。


書いているうちに短い子との生産物が評価を受けることが多くなった。しかし書いていて楽しいのは明らかに長い子との成果物だ。葛藤した。そして今も葛藤している。


そう、私は執筆に恋をした。


人生の失敗によって読書が精神的な部分で出来なくなっていたが、執筆への恋をこじらせているうちに電子書籍が普及し、なぜか読めるようになった。フラッシュバックしないのかもしれない。

執筆は年を追うにつれて知識が増え、書けるものも書けなくなった。一日に書いた文字数も減っていった。頭でっかちの象徴だろう。もしくは失敗によって発生した精神障害のせいかもしれない。それでも原稿用紙は心を開いて私を待っていてくれる。

原稿用紙が私を待っている間、私は物語の構想を練っている。精神障害によって閉じた世界、それを執筆は再度開き彩りを加えてくれる。

次はドラゴンを登場させてみようか、いやいやあの恋愛物語の構想を進めてみようか。

一日何も考えなかった日はほとんどないと言っても差し支えがない。


執筆のために用意した資料や引用元があるweb記事は結構膨大な量になったと思う。それだけ私の知識を増やしてくれた。

忌まわしい執筆のルールも覚えた。今となってはこれに即していない文章は読みにくくなっている。血肉になったということか。

キーボード打ち込みは我流だが大分上達した。ガチャガチャ音が鳴る方が性に合っているようだ。タイプライター型を検討してみようか。

好きな作家は意外にもいない。恋に恋をしている状況なのだろう。


私は執筆に恋をした。評価はまだない。だが世界は充実した。

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