Love is destructive.への応援コメント
初めまして。興味深く読ませていただきました。
大小はあれど、誰にでも狂気は眠っているのかもなと考えさせられました。
Vtuberや歌い手の騒動は、確かに例としてわかりやすいですね。
作者からの返信
コメントありがとうございます!
今でこそこうして黒歴史のネタとして書けておりますが、当時の狂いっぷりは自分でもどうしたものかと、本気で悩んだほど酷かったですねw
Vtuber関連の炎上は今でも相当頻度で見かけますが、自分の中の狂気を少しでも冷静に見られる人が増えればもう少し鎮静化するのかな……と思っております。
Love is destructive.への応援コメント
愛情が深すぎて、ちょっと怖いですねぇ。
でも、こんなに熱心なファンがいたら、選手も嬉しいのでは無いですか?
作者からの返信
コメントありがとうございます!
ドン引き覚悟で書きましたw
選手側もやっぱり怖いと思います……>こういうファン
Love is destructive.への応援コメント
こんばんは。
これ分かります。
私も子供の頃、贔屓選手が退団してそのチームのファンであることすら止めてしまったことがあります。
アメリカのスポーツを見るようになると選手の移動が多すぎて選手ではなくチームを応援するようになりました。
作者からの返信
コメントありがとうございます!
贔屓の選手が退団は、それだけでテンションがた落ちですよね……
本当に分かります。
今のプロ野球もかなり選手の移動が多いように思えますが、アメリカはもっと凄そうですね。純粋にチーム自体を応援するか、それとも選手をずっと追いかけるかの二択になりそう……
Love is destructive.への応援コメント
スーパーヤンデレじゃあないですか!w
作者からの返信
コメントありがとうございます。思わず声上げて笑ってしまったw
いや、まさしくその通りで反論の余地もございません!
編集済
Love is destructive.への応援コメント
はじめまして。「野球ファン 辛い」からたどり着きまして、興味深く拝見させていただきました。
縋るような気持ちで、今の自分の気持ちと重ねながら、うんうんと頷きながら、一文一文じっくりと拝読しました。
(自分語り失礼いたします)
WBCをきっかけにプロ選手観戦にはまり、某野球チームのファンになりました。
まだ選手の名前を全員把握できておらず、「誰のユニフォームを買おうかな」と思っていた頃が、純粋に「チーム」を応援できていて楽しかったなあと思います。
去年の夏頃、あるリリーフ投手に突然はまりました。その選手が不調の選手に代わって勝ちパターンを担うようになり、非常に良い状態でシーズンを終えました。「打たれて負ける」のを見たことがないほどでした。「彼がいてくれてよかった」というネットの意見を見るたび、誇らしい気持ちになっていました。
その選手は今シーズンも勝ちパターンを担うようになりました。4月~5月頃は「彼を見たい、チームがリードしていないと出てこないから勝ってくれ!」と思いながら応援して、彼が出てくると本当に嬉しかったのですが、
6月頃から負けがつくようになってしまいました。Twitter(X)で情報を追うといろんな意見が飛び交っているのを見て、その中で「こういう時こそ応援したい、どんな時でも応援したい」という気持ちを一ファンとして持ち続けたいと思ったのですが、だんだんと辛くなってきてしまいました。
挙げていきますと、以下のような感じです。
・推しが打たれて負けた時の耐性がついていないため、どのように気持ちを保てばいいかわからなくなった
・打たれた時の周り(ネット)の意見を想像するようになってしまう→考えないようにしようと思っても、「いろんな意見や声がある」という事実に変わりはないので、見えない部分を想像しないということは「いろんな意見や声がある」前提の行為のため、結局はその部分に思いを至らせるようになってしまった
・勝ちパターンに担うきっかけになった不調の選手が去年ものすごく叩かれた経緯を見ていたので、同じように叩かれたらどうしようだとか、配置転換されたらどうしようだとか、「去年は良かったけど今年はアカンな」「◯◯ダメか。やっぱり△△に復活してもらわないとだめだな」という「下げる」意見が出てしまったらどうしようだとか、そういった恐怖心が出てきた
・チームのリリーフ陣の調子が悪い時期に見た「勝ちパターン◯◯(彼)しかおらんやん」という意見にも、歪んだ誇らしい気持ちを抱くようになった→そう思われなくなってしまったらと思うと怖くなった
・だんだん、「彼を見たい」という気持ちより「チームが負けてくれたら勝ちパターンの彼は出ないので、負けてくれた方がいい」「他の投手が打たれたら矛先が彼には向かないのでその方がいい」「負けろ」「打たれろ」という思いを抱くようになった(とんでもないことですね…)
・試合が後半に進むにつれて、胃がムカムカするようになった
・試合を観戦できない時はスポーツナビを見て経過を追っていたのですが、その選手が登板したらとても経過を見ていられなくて、5分~10分くらいスマホを置き、ずっと胃を痛めながら「どうか抑えてほしい、神様お願いします、どうか抑えてほしい」と祈っていた
・「彼を見られて嬉しい」より、「私の安心のためにどうか抑えてほしい、どうかお願いします」という気持ちになるようになった
・夏頃には、球場に観に行っても楽しくないし、ワクワクしないし、チームの勝敗に心が動かず、その選手が抑える安心だけを求めるようになっていた
・球場で彼のユニフォームを着て、彼のタオルを複数持ち、リュックに彼の背番号のキーホルダーをつけ、望遠レンズ付きのカメラを構えながら、「見たいけど見たくない」「出てこなければ負けがつくこともない」という心理になっていた
・早くシーズンが終わってほしい、楽になりたい、と思っていた
・その選手が引退をしたらこんな思いはしなくなるのだろうか、とまで思い、でもその引退の過程で訪れるかもしれない様々な負の事象(打たれたり、負けたりするかもしれない未来)を思うととても心が持たなかった
そして先日、スポーツナビで追っていた経過で彼に負けがついたのをきっかけに、もう限界だと、「一旦離れよう」という決心をしました。
スポーツナビを追わない、Twitter(X)の野球アカウントも見ない。情報を追うことから離れようと思いました。今、少し心が落ち着いています。
一人の投手をあまりに推しすぎて、歪みに歪んだ思いを抱くようになってしまいました。野球ファンってみんなこんな感じなのかな、何年もファンでい続ける人のメンタルどうなっとるん?と思ったりしましたが、きっと私の推し方が特殊すぎて、ひとりの選手に深く入れ込みすぎてしまったんだろうなあ、と思います。(それだけ魅力的な選手だということだろうなあと思いつつ)
防御率0が続くことはありえないし、これからも打たれてしまう時はきっとあると思うので、成績が落ちていった時やいずれ来るであろう現役から退くことになる過程を今と同じ熱量と心情で追っていくとなると、心が壊れるなと思い、いつかフラットな応援ができるようになった時に情報を追えたらいいな、と思っています。
本当に好きで、球場で声をあげて、グッズをいっぱい買って、タオルも何十枚も買って、カメラを携えていっぱい写真を取らせていただいて、SNSで写真に反応してくださった時もあって本当に嬉しくなったりして、本当に好きで、好きになりすぎてしまいました。
あまりにも私事すぎて、語ってしまい申し訳ありません。
語られるエピソードが、私の考えてきたこと、私の通ってきた過程とリンクして、「そうなんですよね…!」と思わず握手を求めるような気持ちでコメントを書き込ませていただきました。
私も文章を書いたことがあり、本を創作したこともあるので、文章をお書きになっているところも勝手にリンクしてしまいました。
文章を書いている時は、ある人物やある事象や伝えたいことや表現したいこと、それらをとことん突き詰めて、考えて、想像して、創造していくという過程を重ねることだと思うので、私の場合はその考え方を「チームスポーツのひとりの投手」に注ぎ込みすぎてしまったのだなあ、と思います。
漫画や創作における好きなキャラクターのピンチは大好きで、シリアス大好物、ボロボロになるの最高、やったー地獄だー!という感じなのですが、それは三次元にはあてはまらないですね。勝負の世界に生きる以上難しいことですが、できることならずっと彼の苦しむ姿は見たくないなあと思います、これからも。
苦しんでいる時こそ応援したい、どんな時でも心を強く持って応援したい、と思い、SNSでも同じような言葉を発信していましたが、どこか上滑りなような感じがしてしまったのは、きっと私が「安心」を求めていたからでした。その選手の活躍ではなく、打たれた時に発生する様々な事象へのリスクを予め予想し、それに胃を痛め、その事象が発生しなかったことに対する「安心」。
それって選手を応援していることになるのかな、結局は自分本意だな…と思ってしまいました。もっと選手のプラスになるような応援ができたならよかったのですが、歯痒いです。
野球の打者は0から始まり、打てたり出塁できたり打点を上げられたりしたら1(プラス)、打てなくてもルール上0を下回ることはないですが、
投手は0から始まり、打たれたらマイナスになる、つまり最高が「0」でありずっと「0」を願い続けるものなので、そこがしんどくなってしまったなあと思うところはあります。
打者には「勝ち」「負け」がつかないですが、投手には「勝ち」「負け」がつきますものね…。
チームスポーツながら個人vs個人の要素があるゆえにつく投手の「勝ち」「負け」。チームスポーツにおいて、チームだけじゃなく選手にも勝敗がつくところ、野球ってこわいなあ、と思います。その世界を生きている選手たちを本当に尊敬します。どれだけ過酷なのだろうと。
これからの応援のかたちはまだ不透明ですが、グッズも何もかも捨ててSNSも消して新しい推しを見つけて完全に離れる!!!というより、またいつかほどよい向き合い方と出会える時が来るかな、という感じで、今はほどよく離れられています。
長々とした自分語り、そして乱文、本当に申し訳ありません。
とてもとても共感させて頂きました。また、気持ちの整理をつけさせて頂くことができました。
一方的ではありますが、本当に似た気持ちの方に「出会えた!」というような心持ちでおります。救われました。
たくさん投稿されているお話にもぜひ、触れさせていただきたいと思います。
この度はありがとうございました。
作者からの返信
素晴らしい熱量のコメント、ありがとうございます!
読ませていただいているうち、「あるある……!」が多すぎて他人事とは全く思えなくなっていました(;´Д`)
その選手のためなら、チームにとっては不利になることもつい願ってしまう……確かにとんでもないことですが、覚えがありすぎて!!
恐らく野球だけでなくどのスポーツでも似たようなことはあると思いますが、一人の選手にのめりこむって実はかなりリスクを伴うことだなと……
自分の場合は情報が過少だからこそ余計にのめりこんだ部分もありましたが、今この情報過多の時代だからこその悩みもありますね。色々な情報が飛び込んできて、余計に不安になったり勝手な憶測が憶測を呼んで……みたいなことも大いにあると思います。
>できることならずっと彼の苦しむ姿は見たくないなあと思います、これからも。
これも同感ですね……!
自分の場合、推し選手が勝利を得て滅茶苦茶笑顔になるのが本当に好きだったからだと思っていますが、ある意味それも「安心」を求めていたのかも?と、コメントを読ませていただいて思いました。
だけどそれも、好きであることには変わりない!と私は考えてます。それだけ一人の選手を推し抜こうとした自分の気持ち自体は、恥じることはないと!(冷水シャワーなどなど一連の行為は褒められたものじゃないですがw)
>打者には「勝ち」「負け」がつかないですが、投手には「勝ち」「負け」がつきますものね…。
こういう点も、投手推しのキツさですね。
先発とリリーフでもまただいぶ違うとは思いますが、リリーフ型投手の場合はその選手が出てくるのか否かから始まり、きちんと抑えられるか否か、その選手の登板がきっかけで逆転負けしたら……などなど、それはもう不安要素をあげたらキリがなさそうです。
アニメや漫画、映画やドラマキャラを推してたほうがどれほど気が楽か!と何度思ったことやら(そちらはそちらで色々な苦悩がありますが……)
大変共感していただき、ありがとうございます!
そしてこのエッセイで気持ちの整理がつけられたとのことで、少しでもmikogitaさまのお役に立てたのであれば本当に幸いです♪
推しを推し続けるのは時には苦難を伴いますが、彼ら彼女から得られる熱情は何ものにも代えがたいものだと思っています。
その熱を、ずっと大切にしていきたいものですね。