第84話 凶器の拳と目覚め

 ヴェール城から少し離れたところにある森の中。

 陽はまだ高いところにある。


 どうにか人目を避けてここまで来た千紘たちは、木陰で一息つきながら、さらってきたノアの様子を見ていた。

 様子見と言えば多少聞こえはいいが、取りつくろうことなくはっきり言ってしまうと監視である。


 今のノアは草の上で静かに眠ったまま、特に問題はなさそうだった。


「すぐに見つかってよかったな」


 秋斗が心底嬉しそうに、ほがらかな笑みを浮かべる。


「下手したら、ノアを探して世界中回る羽目になってたかもしれないしな……」


 それだけは勘弁して欲しかったし、と千紘はうんざりしたように息を吐きながら、大きな木の幹にもたれた。


 ノアを無事に発見し、ここまで連れて来られたことには安心している四人だが、まだ不安材料は残っている。


 どうして教祖などというものになっていたのか、なぜ千紘たちのことを覚えていないのか、疑問は尽きない。


 先ほどのノアの様子から察するに、おそらく目が覚めたところで千紘たちのことを思い出す可能性は低いだろう。どうやって思い出させるか、そこも大きな問題である。

 しかしそれ以前に、まずは起きた直後のことを心配しなければならない。暴れられた挙句、また攻撃されても非常に困る。


 ノアには申し訳ないと思いつつも、千紘たちはとりあえずの処置として、ロープで身体をぐるぐる巻きにして拘束することにした。

 ちなみに、ロープは秋斗が持っていたリュックに入っていたものである。


「それにしても詠唱なしで魔法使ってきた時は驚いたな。秋斗だってそうだろ?」

「ああ。あれって多分だけど相当訓練しないとできないよな。少なくともおれはできないし。どういうことだろ。こっちに来てからすごい訓練したのかな?」

「魔法ってそんなに大変なの?」

「そうですね。僕も詠唱なしでは使えないと思います」


 千紘たちはのんびりくつろぎながら、そんなことを話す。


 結局、ノアが詠唱なしで魔法を使えていた理由はわからないが、今はそれを考えても仕方ないという結論に至った。

 ノア本人が目を覚まさないのだから、理由がわからないのは当たり前だ。


 そろそろノアが目を覚ました後のことを考えようと、千紘が口を開きかけた時である。


「うっ……」


 ノアの口からうめくような声が漏れた。

 その声に、全員がノアに視線を落とす。


 ゆっくりと目を開けたノアは、少しの間ぼんやりと辺りを眺めてから、ようやく状況を飲み込んだようだった。


「お前たち、尊い教祖であるこの私にこんなことをして、ただで済むと思うなよ……!」


 ノアは草の上に転がった状態で千紘たちをきつく睨みつけながら、案の定ロープをほどこうと暴れ始める。


 そこで、秋斗がノアの前に膝を抱えてしゃがみ込み、あえて穏やかな口調で話し掛けた。


「なあ、ノア。ちょっとくらいは話をしないか?」

「うるさい! お前たちと話すことなどない!」


 しかしノアは声を荒げながら、さらに派手に暴れる。

 その様子に、千紘が肩をすくめて嘆息した。


「秋斗、こんなんじゃとてもじゃないけど話なんて無理だ」

「でも少しくらいは……」


 秋斗が困ったように言いかけた時だ。


「こんなもの焼いてしまえば……!」


 後ろ手に拘束していた、ノアの右手の指先に小さな炎が灯る。それに気づいた千紘が、すぐさま声を上げた。


「やばい! 魔法だ! さっきずぶ濡れになったのにもう使えるようになったのかよ!」

「っ、聖なる水よ――」


 咄嗟とっさに秋斗が水魔法で消火しようとするが、詠唱は間に合わなそうだ。

 そして、ノアが魔法でロープを焼き切ろうとした時である。


「いい加減にしなさい!」


 なかなか話が進まないことにごうを煮やしたのか、顔を真っ赤にした香介の拳がノアの脳天を直撃した。


「――っ!」


 その痛みのせいだろう、声にならない声を上げ、ノアがその場でもだえる。


「うわぁ……」

「めちゃくちゃ痛そうだなぁ……」


 千紘と秋斗の口からは、それぞれそんな声が漏れた。ノアに向ける視線は心から哀れむものである。


 律はといえば、黙ったままノアからそっと目を逸らしていた。だが、思っているのはきっと千紘たちと同じようなことだろう。


 しばらくのたうち回っていたノアだが、突然その動きが止まった。

 律以外の三人の視線がノアに釘付けになる。


「まさか死んでないよな?」


 秋斗のいぶかしむような声に、律が慌てて振り向いた。


「えっ! それはまずくないですか!? 縁起でもないこと言わないでくださいよ!」

「もし死んだらかおりのせいだからな」


 千紘がじとりと香介をにらむ。


「何であたしのせいなのよぉ」

「アンタしか犯人いないだろ……」


 不服そうに口を尖らせる香介に、千紘は溜息をつくことしかできない。


 香介が殴ったせいでこうなっているのだから、犯人はどう考えても一人しかいないだろう。

 それを認めない香介に、千紘は呆れざるを得なかった。


「凶器は香ちゃんの拳だな」


 それは間違いない、そう秋斗が結論付けた時である。


「あ、今動きました!」


 律のほっとしたような声に、千紘たちがまた一斉にノアの顔を覗き込んだ。


「……あれ、オレ……?」


 涙目のノアが小さく呟く。

 これまでよどんだ色に染まっていたその瞳は、いつもの輝きを取り戻していた。


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