第70話 嗅ぎ慣れた香りとの別れ

 ダイオウイカとの戦闘で使い果たした体力を回復するため、千紘たち三人はナロイカ村でもう一泊することにした。

 その翌朝のこと。


 一晩、泥のようにぐっすり眠って元気になった三人が、改めて雑貨屋を訪れると、


「皆さん、おはようございます! 今回は本当にありがとうございました!」


 雑貨屋の店主――村長が晴れ晴れとした顔で出迎えてくれた。


 村長には昨日、海から戻ってすぐに詳しい話はしてあったので、今回の用事は塩の買い付けと、村を出る前の挨拶だけである。


 ペコペコと頭を下げながら、礼を述べる村長の様子に、秋斗が慌てて両手を振った。


「そんな大したことはしてないんで」

「いや、結構大したことしたよ……。律も俺も、そしてアンタも、あんな大物相手にしたんだから。まあ、アンタは一回大きな魔法使っただけでぶっ倒れてたけどな」

「それは失礼だなぁ! でもちゃんと役には立ったろ」


 千紘が思わず小声でツッコミを入れると、それを聞き逃さなかった秋斗は、両手を腰に当てながら、不満そうに頬を膨らませる。


「まあ、それなりにはな」


 千紘はそんな秋斗から目を逸らしながら、しれっと答えた。二人を見守っている律は、「またか」とでも言いたげに、苦笑を浮かべている。


 秋斗の役割が大きかったのは、もちろん千紘だって認めているが、ただ素直に言いたくないだけだった。それに言ったら言ったで、秋斗のことだから、きっと調子に乗るに決まっている。


「とにかく、皆さんのおかげで助かりました。これで私たちも安心できます」

「それならよかったです」


 村長がまた頭を下げると、その声にすぐさま秋斗は振り返り、目を細めた。

 そこで千紘の隣にいた律が、ゆっくり口を開く。


「えっと、じゃあ約束通り、塩は売ってもらえるんですよね?」

「ああ、もちろんだとも」


 律の確認する言葉に、村長は満面の笑みで大きく頷いた。



  ※※※



 その後、雑貨屋に在庫として置いてあった塩を売ってもらうことになった三人だが、結局それほど多く買うことはできなかった。


「この村の恩人なんですから、もっとたくさん売ってもいいんですけどね」


 村長は眉尻を下げながら言ってくれたが、それをやんわりと断ったのである。


 ナロイカ村でまた何日もかけて一から塩を作ることと、今ある在庫の量を考えると、何だか申し訳ない気がしたのだ。


 それでも、まったく買えなかったわけではない。やや少なめではあるが、買うこと自体はできたので、タフリ村で頼まれた依頼はきちんとこなしていることになる。

 ナロイカ村だって大変だったのだから、事情を話せばわかってもらえるはずだし、さすがに文句は言われないだろう。


「では、近いうちに行商人を行かせますので」

「はい、よろしくお願いします!」


 村長の言葉に、秋斗が元気よく答えながら、頭を下げる。


 結果的に、後日改めて行商人が塩を持ってタフリ村に行くということで、話がまとまった。

 三人の活躍のおかげで塩が作れるようになり、行商人もタフリ村に行けるようになったと、村長は大喜びである。

 必死にダイオウイカと戦った千紘たちも、苦労が報われてほっとしていた。


「じゃあ、そろそろ行こう」

「ああ、そうだな」

「はい」


 秋斗の促す声に、千紘と律が頷く。


「もう行かれるんですか?」


 もっとゆっくりしていけばいいのに、とでも言いたげに、村長が残念そうな顔を見せた。


「また塔を通らないといけないし、早いうちに出発した方がいいんじゃないかと思って」


 千紘は申し訳ないと思いつつも、正直にそう答える。


 実際、これからまたバルエルの塔を通って、タフリ村まで帰らなくてはいけないのだ。リリアやタフリの村長も首を長くして待っているだろうし、あまりゆっくりしているわけにもいかない。


「ああ、確かにそうですね。でしたら村の外までお送りしますよ」

「いえ、お仕事もあると思いますし、ここで失礼します」


 村長の口から出た予想通りの申し出を、千紘が爽やかな笑顔で丁重に断る。


 村長が見送りに行くことを知れば、きっと他の村人たちもやって来るだろう。あまり賑やかに見送られるのも、それはそれで何だか照れ臭い。

 だから、見送りなどは断ろうと、あらかじめ三人で決めていたのである。


「そうですか。では、お気をつけて。またいらしてくださいね!」

「はい! また機会があれば!」


 秋斗が嬉しそうに手を上げ、カウンターの向こう側にいる村長に背中を向けた。そのまま扉に向かう。千紘と律は村長に一礼してから、秋斗の後を追った。


 太陽が照りつけ始めた外に出ると、潮の香りが一段と濃くなる。千紘はそれを大きく、胸いっぱいに吸い込んだ。

 そして、すでに嗅ぎ慣れたその香りを、少し名残惜しいと思いながらも、


(もう『機会』はない方が嬉しいけどな。早く地球に帰りたい……)


 心の中で盛大な溜息をつく。


 人助けをすること自体は嫌ではないし、感謝されるのもいいが、毎回面倒ごとに巻き込まれるのはもうこりごりだ。


 千紘の数歩前を律と一緒に歩く秋斗は、「少しくらいは海で泳ぎたかったなぁ」などとぼやいていたが、今回はさすがに諦めたようである。


 こうして、三人はナロイカ村を後にしたのだった。


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