僕らはお城に入れない

@maru_peko

1.殴り合っておしまい

最近、俺の幼馴染の機嫌は大層悪い。

一学期が始まって一ヶ月と少し。我が耀坂高校では六月の終わりに開催される文化祭に向けて、現在授業中から休み時間、放課後まで終始お祭りムードが漂わない時間はなかった。

近代的な校舎とゴシック調の城のような芸術塔がアンバランスに並ぶ耀坂高校は、一般コースのみの普通科と美術コース・音楽コースのある芸術科に分かれている。部活動は最近サッカー部が台頭を上げてきたものの、盛んなのは圧倒的に文化部の方で、文化祭も主に芸術科の生徒が力を発揮して一定レベル以上のものを作り上げてきた。よって毎年体育祭より文化祭の方が盛り上がるのが常ではあったが、しかし今年の盛り上がりは例年と比べても明らかに熱量の規模が違っていた。

と言うのも、今年は何と演劇部の舞台に三年の北条敦が出るというのだ。

これだけではそれがどうした、としか言えないが、三年二組の北条敦は幼いころから芸能スクールに入り子役として地味に活動を続けてきたらしく、去年の秋にゴールデンタイムの連続ドラマに出演してからというもの、学校中の注目を集めている存在である。出演と言っても学園ドラマのクラスメイトの一人、という脇役だったのだが、ドラマ自体が人気アイドル主演でヒットしたこと、クラスメイトの中では比較的キャラが立っていたこともあって、ドラマが終わる頃には学校中の誰もが名前を知っている存在になった。彼が登校する度女子生徒たちが群れをなして教室を覗きに行き、校門では一応規制されているものの、それでもたまに情報を嗅ぎつけた他校のファンが出待ちしている姿が見られていた。今では学外からの騒ぎは大分なくなって落ち着いているが、学内ではまだまだ圧倒的な人気を博している。そんな大ブレイク……とまではいかなくとも一部プチブレイクしているイケメン若手俳優が一介の高校の劇に出るというのだから、これが盛り上がらないわけがない。

何故そんな、曲がりなりにも一応プロが高校の文化祭でド素人の演劇部の舞台に出るのか。話題性で更に知名度を上げるためか、「プロだけど高校の文化祭の劇にも出ます!」という庶民派アピールのためか、はたまた演劇部の美人部長とデキているからか……と数々の噂は流れているが、真偽のほどは定かでない。

しかし事実北条敦は演劇部の舞台に出ることになり、そうなると好意のありなしは問わずとりあえず彼の演技を生で見てみたい、というのがほぼ全校生徒の一貫した思いだった。校外からも噂を聞きつけたファン、ファンとまではいかないミーハー集団、はたまたヤジ馬根性のある周辺地域の人々……と、文化祭当日は多くの人が押し寄せ混雑するのは目に見えている。

文化祭は二日間催され、一日目がステージ中心、二日目が模擬店中心となっている。ステージ発表は他にも毎年目玉になっている吹奏楽部や合唱部、ダンス部などがあり、これらと被ると収集が付かなくなるかもしれない。教師陣は演劇部だけ二日目にずらすか、当日の整備と誘導をどうするか、入場チケットは事前予約のみの対応がいいか、などと厳しい顔で相談しながらも学校の知名度がより上がることを喜んでいた。そしてこれまでほとんど芸術科の生徒しか張り切っていなかったのが、普通科の生徒たちも自分たちの模擬店や出し物がそんな大きな波に乗るということで浮足立ち、半端なものは出せないという気負いすらあった。

 つまり、学校全体が完全にお祭りムードの空気に当てられてしまっているのだ。

 そして何故俺がこんなどうでもいいことを語っているのかと言うと、俺の幼馴染の機嫌の悪さの原因が、まさにその文化祭にあるからだ。


放課後の西日が差し込む生徒会室。その奥に鎮座し、背中から西日を浴びる位置に置かれている生徒会長席。そこでボサボサの髪をがしがしとかき、ぎょろりと大きな目を据わらせて書類とにらめっこしているのは、幼馴染であり我が親友、そして去年の生徒会役員選挙で耀坂高校の十七代目生徒会長に就任した普通科の相馬礼音である。

「礼音、どれだけ見たところで希望は変わらないだろ。後は直接話をしていかに妥協させるかだ」

「……うるせえ。だからそのために今つつくとこを全部抜き出してんだろうが」

唸るような声でそう吐き捨てる礼音に、俺は「ああそう」と涼しげに答えるだけだ。ちなみにそんな生徒会長を尻目に生徒会室のソファの背にもたれかかり優雅に座っている俺は副会長なわけだが、手伝う気はさらさらない。礼音も俺にそんなことは望んでいないだろう。

俺の仕事は主に対人関係、つまり口八丁手八丁で教師、生徒問わず相手を丸めこむことである。今回の文化祭で言えばお祭りムードに当てられた生徒たちにより例年の三倍近くステージ発表が希望されているため、その時間調整と内容の検閲、場合によっては否決を下さなければならない。そのためには客観的根拠である全体のバランスとデータを把握し、なるべく迅速に、そして穏便に事を運ぶ必要がある。勿論文化祭実行委員がある程度まで調べているが、最終決断は生徒会長が下すのが慣例だ。

そして礼音は、良くも悪くも全てを他人任せにして自分は判だけ押す、なんて芸当ができるような人間ではなかった。

「ああもう、本当にうざってえ……今まで文化祭なんざただ授業がサボれるくらいにしか思ってなかった連中もこぞって手を上げてきやがって……」

「芸能人の力は偉大だな。多分お前の会長就任時が過去最大規模の文化祭になるぞ。内申にも有利になっていいじゃないか」

「そんなものいらねえよっ。受験なんか実力で受かってみせるっ」

くわっ、と噛みつくように怒鳴る礼音に、俺は「さいですか」、と鼻で笑うだけだ。こいつのこういうところはとても好ましく思う。礼音はとかく最近の若者とは思えないほど頑固一徹、質実剛健、真面目で勤勉、言うなれば何の面白味もない男だ。しかし故にこいつは決して間違ったことはしない。大げさな話、正義とは、と問われれば、俺は一番に相馬礼音の顔と名が思い浮かぶ。小学生の時クラスでイジメがあった時も、中学生の時集団カンニングが計画された時も、つい最近コンビニで万引き犯を捕まえた時も。この男は常に正しい考えを持ち、意見を言い、そのとおり行動してきた。

が、正しいことが常に良いことかと言えばそんなことは決してない。前述の事件も、それが全て良い結果をもたらしたかと言えば正直五分五分だ。礼音が生徒会長に推薦(立候補ではないのだ、意外にも)された際、真っ先に副会長に立候補したのは最善だったと思っている。常に正しい生徒会長には、その正しさをほんの少し曲げる補佐が絶対に必要なのだ。実質的な公務はほとんど礼音がやっているから俺の負担はほとんどないし、その上受験にも有利になるといいことずくめだ。しかし流石に今年の文化祭がこんなことになってしまうとは、俺にも予想できなかったが。

「ほとんどがふざけた企画ばかりだしな……特にこの『団体名:なし、人数:一人、演目:当日のお楽しみ♪』とかマジ殴り倒してやりてえ……」

「してやれば?いっそのこと」

「男ならな。生憎女だった。しかも一年。とりあえずこれから削っていくのは決定だ」

「人の仕事無駄に増やすバカに男も女も関係ないだろ。つーか、一年生でそんなこと書いてくるのか。怖いもの知らずだねえ」

というか、そんなものにまできっちりと目を通して誠実に対応しようとしているこいつの気が知れない。そんなふざけた希望書など丸めてゴミ箱に捨てて知らぬ存ぜぬを通してもバチは当たらないはずだ。

「しかしまあみんな色んなもん書いてきてるんだなあ……お、これなんて面白そうだ。裁縫部と演劇部の一部合同主催パリコレ祭だってよ」

俺はソファから立ち上がり礼音の座る生徒会長席に近づいて机上に散乱する紙を一枚、ぺらりとつまむ。そろそろ行動開始だ。

「演劇部……そもそもの諸悪の根源が、他にもしゃしゃり出てこようとは……」

「上がってるテンションの行き所探してるんだろ。その演劇部にも色んな部活が協力してるみたいだしな。それこそ衣装は裁縫部、小道具や大道具には美術部と工作部がそれぞれ出張してるらしい」

「……工作部」

む、と礼音の眉間のしわが更に深くなる。

「何だ?工作部にも何か恨みがあるのか?」

工作部は耀坂高校の文化部の中でも一、二を誇る地味部で、特に大会に出るわけでも大規模な作品を作るわけでもなく、お父さんの日曜大工のような(と言えるかどうかも分からない)活動を細々と続けている。似たようなスタンスの美術科の工芸班が派手に活動しているだけに、工作部はその存在すらほとんど知られていない。今回の文化祭でも特に目立った行動はなく、いつもどおり工作室の小さな作品展示で済ませているはずだ。

「いや……工作部には、あいつがいるんだ」

「あいつ?」

クラスに一人の割合も部員がいない工作部なんかに自分たちの知り合いがいただろうか。首を傾げると、「……一か月前の万引き事件で会った、あいつだ」、と礼音は苦々しく呟いた。

「万引きって……ああ、あいつ、」


一学期が始まってすぐの、日が高い夕方、俺と礼音はコンビニで万引きをする中学生を捕まえた。正確に言うと俺は見ていただけで、気付いたのも捕まえたのも礼音だ。

気付かれたと分かるやいなやコンビニからダッシュで逃げていく中学生を、礼音もまた一目散に追いかけた。


「はあっ…はっ、クソ、暴れるな!おとなしくしろ!店に戻るぞ!」

「~~~っ!~~~……!………!!」

「品物を返して店の人に謝れ!俺も一緒に謝ってやるから!」

礼音のありがたすぎてつまらない言葉など耳にも入っていないように、少年はばたばたと暴れている。恐らくまだ一年生か、体格的には小学生みたいなもので、礼音の無駄に強い力の前では無力そのものだ。そんな二人に追いついたところで俺は特に挟む口も持たず、さてどうしようかと腕を組んだ。そして警察を呼んだ方がてっとり早いかと考えていたところ、「離してやれよ」、と、背後から低い声がかけられた。

振り向いた先にいたのは俺たちと同じ年頃の、俺たちと同じ制服を、しかしみっともなくない程度に着崩した、きっちりとシャツの上のボタンまでとめている俺たちとは〝種類〟が違うような見覚えのない男子だった。

「……何だ?お前、こいつの知り合いか」

少年の手を掴みながら怪訝な目で見据える礼音の鋭い視線を、そいつはさらりと受け流し「いや、赤の他人だけど」と、さらりと言い放った。そして礼音に捕まえられている少年に視線を移し、やはりさらりと声をかける。

「おい、ガキ。お前一体何取ったんだ?」

「……う………、」

「別に怒らねーから見せてみろ、ホラ」

子どもが礼音につかまれていない方の手をポケットに入れると、出してきたのは一個のガムだった。ブドウ味のそれはおいしいが、すぐに味が消えてしまう。

「またやっすいモン取ったなー」

呆れたように言うそいつに、礼音はくわ、と牙をむく。

「値段の問題じゃねえだろうが。オイ、もう諦めついただろう。早くコンビニに戻るぞ」

「いや、戻んなくていい」

「は?」

「その分の金、俺が払ってきてやっから」

「はあ?何言ってんだお前。このガキと知り合いなのかよ?」

「だから赤の他人だっつってんだろ」

「何で赤の他人のお前が金払うんだよ」

「お前だって赤の他人なのにこいつ突き出そうとしてんじゃねーか」

「それとこれとは別だろうが!」

「同じだろーが。関係ねーのに首突っ込んでんだろ」

そいつの言葉に一瞬ぐ、と喉を詰まらせた礼音は、しかし直後盛大に怒鳴った。

「そういう問題じゃねえってんだ!悪いことしたら謝る、場合によっては相応の罰を受ける!ガキにはそういうことをきちんと教えねえと──」

「こいつもガキなら俺もお前もガキだ。偉そうなこと言える立場じゃねえって言ってんの」

「お前もガキなら何でお前の意見だけ通そうとしてるんだっ」

「そりゃ俺がそうしたいからだ」

「……~~~ふざけるな!」

「いちいち怒鳴るなよ、うるせえったらねえ」

そう言うそいつの語尾も徐々に荒くなり苛立ちを露わにさせている。一体何なんだこの茶番は。俺たちはただコンビニで冷たい飲み物でも買おうと思っていただけのことだったのではないか。

「おい、雪彦!お前もこのバカに何とか言ってやれ!このままじゃ埒が明かねえ!」

「は?」

 青筋を立ててそいつを指差し俺に話を振ってくる礼音と、そんな俺を睨む指を差された男、そして先ほどから二人の言い争いを最早他人事のような顔をしている少年を見渡し、俺は心底下らない、と思いながら答えた。

「別に……俺はどうでもいいよ。そいつを突き出そうが、見逃して金払おうが。そいつがどうなろうが知ったこっちゃないし。何ならこのまま警察に連れてってもいいんじゃないの?今呼んじゃおうか」

ス、とポケットからスマホを取り出した俺に、その少年は初めてびく、と震え、心からおびえたような顔をした。

「やっ、やめっ、」

しぼるように出された声に、俺は仕方なく嘲笑ってやる。

「……何?嫌なの?警察に連れてかれたくないの?」

「……やめ、て、ください、」

「でもお前がやったことってそういうことだよ?分かっててやったんじゃないの?このまま警察つれてかれて、親にも先生にも友達にもバレて、それでどんなに怒られても何も文句言えないんだよ?ああ、でももしかしたらお前の友達がお前と同じくらい馬鹿な奴らだったら英雄扱いしてくれるかもね?」

「………~~~っ、」

「ま、さっきも言ったように俺はお前のことどうでもいいから。お前のこの先は俺よりお前のことをよーく考えてくれてるその二人に任せるさ。で?どっちにすんの?」

俺と少年のやり取りを見ていた二人は、いつのまにか同じような顔でぽかん、と口を開けている。

「あー……いや、まあ、……とにかく、こいつは絶対店に連れて行く」

 そこは曲げられん、と言うと、礼音はちらりと言い合っていた男子に目配せをした。

「……分かった。じゃあとりあえず連れていった上で、こっちで金払って今回は見逃してくれるように頼むってことでいいんじゃないか』

そいつの意見に、礼音も納得したように「そうだな」、と頷いた。二人ともさっきまであんなにいきり立っていたのにあっさりと妥協案を挙げて乗る。何なんだこいつら。

「あそこ俺の兄貴が前バイトしてたコンビニで、俺も顔見知りだから口利いてもらえる」

「なんだ、そうなのか?」

「ああ。だから、俺がこいつ連れてって金払うよ。大丈夫、もう逃がしたりしねーから」

な、とそいつが笑ってやれば、少年は神妙に頷いた。気がつけば、掴まれていない方の手はぎゅ、とそいつの制服の裾を握っていた。礼音もそれに気がついたのか、ぱ、と少年の反対側の腕をやっとのこと放してやった。

「じゃーな。色々悪かったな」

「お、おお。頼んだぞ」

行くぞ、と少年の肩を抱きコンビニに戻っていく二人の背を、礼音は角を曲がるまでじっと見つめていた。俺が「帰るか」、と言うと礼音はようやく「ああ」、と呟き踵を返した。

全く、突然の嵐だったな。呑気にそう言う俺の声に、礼音は「そうだな」、と心ここにあらずといったように答えた。


「あいつ、工作部だったのか」

 生徒会室を出て放課後の廊下を並んで歩きながら話している俺たちを、文化祭の準備にてんやわんやしている生徒たちは横目でちらちらと見てくる。その中には自分たちの企画が通ったかどうか、期待と不安を混じらせたものも勿論あるだろう。

「あの後、調べた。名前は森谷隆、三年六組だ」

 六組、ということは美術科だ。一応芸術科の美術コース、音楽コース、というのが正式名称だが、生徒達も教師陣も略して美術科・音楽科と呼ぶのが当たり前になっている。

「へえ、美術科で工作部って珍しいな。てか、よく調べられたな」

「特徴的な奴だったからな」

そうだったか、と奴の顔を思い出そうとするが、なるほど、わからん。どんな顔だったかなどさっぱり思い出せない。

「そんな変な顔だったか?」

「変というか……ちょっとお前に似てただろう。細いつり目で、きつそうな感じで。だがお前と違って妙に間抜けた雰囲気があった」

「それだけでよくもまあ分かったもんだな」

「全クラス聞きまわったからな」

このクソ忙しい時にいつのまにそんなことを。俺はほう、と感心とも呆れとも思われる息を吐く。

「……で?あいつの名前やクラス調べてどうするつもりなんだ?今更またあの話蒸し返すつもりか?」

「そんなんじゃねーよ。そんなんじゃねーけど……なんつーか、まあ、……まあいいや。この話は後でな」

ちょうど目的地に着いたようで、礼音は勢いよくガラリとそのドアを開けた。一年三組というプレートが掲げられた教室内では、さっきまでざわついていただろう雰囲気が一瞬にして凍りついた。

「生徒会長の相馬だ。橋本楠実は残っているか?」

ざわ、とその名前に教室内が揺れる。それは決して良い意味合いのものじゃないと俺にも、そして礼音にもきっと分かった。

「あ、えっと、橋本さんなら残ってはいると思うんですけど、教室には……」

クラス委員だろうか、眼鏡をかけたいかにも真面目そうな男子生徒がおずおずと答える。

「どこに行ったか知らないか?」

「し、知りません」

「そうか……じゃあ、明日の休み時間にまたくる。本人にはそう言っておいてくれ」

「わ、分かりました」

邪魔したな、と言って出て行く礼音の背に俺も続く。背後からいっせいに「うわー」、だの「びびったー」、だの声が聞こえた。下級生のクラスに上級生が、しかも堅物でいつも仏頂面の生徒会長が赴けばまあ当然の反応だろう。

「どう思う?」

「何が」

再び一年の廊下を並んで歩きながら、俺は礼音に問う。

「橋本って女生徒、だいぶクラスでも持て余されてるような感じだったな」

「あんなふざけたこと書いてくる時点でまともな奴だとは思ってない」

「まあそりゃそうだ」

俺たちがまず最初に片付けようと思ったのは勿論あのふざけた希望書の提出者だ。一年であんな希望書を出すなんて、一体どんな奴かと会うのが少々楽しみだったのだが。

「どこにでもいるだろ。場の空気に馴染めず浮いてしまう奴なんて」

「まあね」

「俺もそうだしな」

「は?」

 礼音の思いもよらぬ言葉に、俺はらしくもなく間抜けな声を上げた。俺の記憶をたどる限り、礼音がクラスで疎まれたりハブられたりなんてことは一度もない。確かにクソ真面目でとっつきにくい奴ではあるが、それを弱みではなく強みに変えられる奴だし、実際クラスでも礼音は「クソ真面目だが頼りになるいい奴」という位置に上手く収まっている。

 いや、そもそもあの礼音がそんな己を卑下するような物言いをすること自体が、酷くらしくない。俺がそんなことをかいつまんで言うと、礼音は「違う」、とどこか神妙な様子で首を振った。

「俺が小学校から今まで大きなトラブルもなく上手くやってこれたのは、お前がいたからだ。お前が俺を上手に扱って、クラスで浮かないようにしてくれた」

「んなこと……大体、違うクラスの時だってあっただろ」

「違うクラスの時だって、結局は前のクラスで同じだった奴がお前と同じように俺を扱っていたから自然と出来上がっていっただけだ。俺は直接的にも間接的にも、常にお前に助けられている」

一体いきなり何を言い出すのやら。俺はわずかに足を早めて前を歩いていた礼音の横にならび、その横顔を凝視する。そんな誉めたところで何も出ないぞ、という茶化しは、そのいつもの真面目くさった顔の中に垣間見える影に気付いた時点で飲み込んだ。

「だから……俺はあいつが気になるんだと思う」

「あいつ?」

「森谷隆」

「ああ、あいつ」

「あいつのクラス突き止めた後、一回話したんだ。そしたら……あの万引きした中学生、クラスメイトに命令されてあんなことしたらしい」

「……あー、」

 何となく、そんな予感はあった。あの少年は万引きをするにはあまりにも臆病で無気力な雰囲気があり、自主的に自らの身を危険にさらすタイプには見えなかった。

「気付いてたのか」

「気付いてたとまではいかないけど。まあ、それでも不思議ではない感じだったな」

「そうか……」

 俺は、全く気付かなかった。

 礼音をそう零すと、いつもまっすぐ前だけを見ている視線を動く足元に落とした。

「あいつ……森谷に、言われた。あの時俺が無理矢理連れてこうとしてるの見て、ガキ相手に事情も聞かずに、目の前で起こったことしか見えてないのに腹が立った、って」


 ───でも、俺がやろうとしてたことは、実際何の解決にもならないんだよな。

 ───見逃して何もなかったことにしたって、結局また同じことの繰り返しにしかならない。

 ───目の前のことしか見えてないのは、俺も同じだった。


「結局あの後家まで送って行って、両親に万引きのことと、その理由も話したらしい。幸い話の分かる人たちで、真剣に聞いてくれたって」

「ふうん」

「興味なさそうだな」

「まあ、別に。中学生のイジメとか万引きとか、ぶっちゃけどうでもいいな」

「お前らしいな」

「何だ、軽蔑したか?」

 俺がこんな奴だってことなんて今更だろ、と言うと、礼音はいいや、と首を振った。

「確かにお前は淡白な奴だけど——そんなお前が、いざって時に多分一番正しい判断を下せるんだと思う」

 俺やあいつと違って、と。礼音はらしくなく自嘲気味に笑った。

「あいつと俺は、同じなんだ。方向性はまるで違うが」

「……どっちなんだよ。同じなのか違うのか」

「違うが、同じなんだ。俺は人に厳しくすることしかできない。あいつは多分、優しくすることしかできない。どっちにしろ、放っておけないんだ。自分とは関係ないことであっても。目の前の相手のことを真剣に考えて、自分の気持ちや考えを押し付けてしまう」

「別に悪いことじゃないだろ。まあ行き過ぎはよくないけど」

「ああ、悪いことだとは思っていない。だが、大抵の奴にとってはそんな人間疎ましいだけってことくらい、いくら俺だって分かる。そしてそれが時に人を傷つけてしまうことも。俺は面倒くさくて、暑苦しくて、ウザったい部類の人間なんだ」

「れ、」

「多分、俺は初めて、俺と同じくらい馬鹿な奴に会ったんだと思う」

 俺の呼ぶ声を待たずして小さく零された礼音の言葉に、俺は何だか知らないがガツン、と鈍器で後頭部を殴られたような感覚に陥った。しかしそれを表に出すことはなく——いや、出したところで今の礼音は気付かないだろうが——冷静に的確な返事をした。

「……それが、森谷隆?」

「ああ」

 礼音は頷くと、でも、と。ずっと伏せていた目をようやく上げて、少しばかり距離を置いて歩いていた俺へと視線を向け、ぴたり、とその足を止めた。

「だからって別に、仲良くしたいとは思わないんだ。ただ……」

「……ただ?」

いつのまにか、俺たちは教室の連なる廊下を抜けて、階段脇にある図書室の前まで来ていた。皆が文化祭の準備でざわついているこの時期、放課後の図書室には誰もいない。だからこそ、礼音は言う気になったのだろう。

「……あいつを、思いきり殴りたい。そして、同じように殴られたい、と思うんだ」

——そうして放たれた、この上なく物騒で、唐突な脈絡のない言葉は、しかし、存外爽やかな音を持って、誰もいない廊下に響いた。

「……お前、それ、誰にも言わない方がいいぞ」

「ああ。分かってる。それこそ確実に引かれるからな」

くく、と笑う礼音の顔は、自虐的な台詞とは裏腹に、どこかさっぱりとしていた。

きっと、世界中の人間に引かれようと。

『あいつ』はきっと分かってくれる、と、分かっているような、笑みだった。

「——今日はもう帰るか。明日から本格的に各団体と交渉だ。頼むぞ、〝副会長〟」

外の夕日の力が徐々に弱まり始めているのを感じたのか、そう言う礼音に俺はに、と笑ってみせる。

「……ああ、任せとけ。ここからが俺の仕事だからな」

そんな俺に、礼音は満足げに笑い返して踵を返し、四階の生徒会室へと続く階段を上がっていった。

俺は図書室の前から動かず、その背中を見つめる。この背中を、俺は十年近く見てきた。こいつはいつも先陣を切ってあらゆることに立ち向かい、俺はその後ろで冷静に、物事の経緯を見つめていた。それは、これからも変わらない。俺たちはこの耀坂高校史上最大規模の文化祭を、きっと成功させられる。一緒に、大きな花火を打ち上げられる。

そのまま受験生になり、大学生になり、社会人になって、今のように毎日顔を合わせることはなくなっても。

俺たちの関係は、……むずがゆい言い方をすれば『友情』は、きっとずっと続いていく。

しかし、何十年か後に、礼音が高校時代を振り返り、一番に思い出すのは。

生徒会長であったことや、この大きな文化祭のことや、勿論その時隣にいた俺のことではなくて。あの春の日の、日が陰り始めた空の下。汗まみれになった身体で怒鳴りあった、ほんのわずか接しただけの『森谷隆』のことなのだろう、と。

それは推測ではなく、最早確信だった。

「明日は忙しくなりそうだな」

「……そうだな」

階段を上りきった踊り場で、俺を待つ礼音の顔を見上げる。

たとえば、俺が今お前を殴っても。

お前は決して殴り返すことはなく、きっと、ただ理由を聞いてくる。俺がお前を殴るには、きっと何かしら、正当な理由があると信じて疑わず。

そのことが、俺はなんだか無性に寂しくて。

 今すぐ夕日に向かって走り出し、「馬鹿野郎」、と叫びたい───そんな知らない自分を、何食わぬ顔で抑えたのだった。

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