都会育ちの私はA列車に乗って地方で働く

兎園八雲

第1話 辞表を投げつけてやる

 辞表を投げつけてやる。

 そう心に決めたのは、早乙女先輩の一言であった。


「来月から鳥取県の子会社に行くことになった」


 最初、それを聞いたとき私は喜んだ。


「早乙女さん、来月から鳥取に行くのですか。可哀想に」


 プッ。心の中では大笑い。

 可哀想になどと思うはずがない。仮に早乙女さんが公開処刑されそうになっても心の中で腹を抱えて笑っていると思う。

 これでとうとう私は早乙女さんとオサラバ出来る嬉しさがあった。悪魔の契約が打ち切られる嬉しさがあった。


「寂しいですね。いや、寂しいですね」


 本当に寂しい。こんなパワハラ上司からバイバイするだなんて。


 休日だろうが、仕事終わった後だろうが関係なしに私に電話。その内容は今から出社をしろ。自分の仕事が多いからそれを手伝え。

 そんな無茶苦茶なものであった。時代錯誤の先輩である。


 それを断ったら断ったで


「私が新入りの時は、休みの日でも出社していたわよ」


 とパワハラ先輩の常套句。第一、私とあなた歳が1つしか違わないじゃないか。


 さらに休日が被っていると


「今から仙台で牛タン食べにいくわよ」

 とか

「静岡の日本平の夜景を見に行くよ」

 とかそんなことばかり。因みに私は埼玉住みである。当然、埼玉から仙台、静岡は遠い。

 車の運転は後輩である私がすることになる。


 そんなことばかりやられているせいで、私の自由時間というものがない。

 私の20代という貴重な時間が彼女によって奪われてしまうのだ。


 それ以外にもこんなことがあった。


「そういえば、明日あなた、婚活パーティーの予約入っていたから取り消ししておいたよ」


 最大級のありがた迷惑である。

 どうして私が婚活パーティー行くことを知っているのか、甚だ疑問だしなおかつ私の携帯を勝手に使って予約をキャンセルしているし。


「勝手にそんなことをするのをやめて下さい!」


 至極真っ当な主張である。これ以上の正論はないというぐらいの正論である。弁護士をつける必要などないぐらいの正論である。

 それなのに彼女は首を傾げる。はて、一体どこに首を傾げる要素があったのか。教えて欲しい。ぜひ懇切丁寧にOJTをしてもらいたいものだ。


「だってあなた、そんなところ行っても彼氏出来ないでしょ?」


 思わず口をパクパク。エサを欲している魚かよ自分。

 それぐらい驚いた。


 ごめんとか、そんな謝罪があったのならまだ許した。一応言うけど、他人の携帯を見てなおかつその行為を許すなんてどう考えても自分優しすぎる気がする。


「なっ! 私だって彼氏できるもん!」


「無理無理。そんなところに行く人なんて看護師とか、幼稚園の先生とか男子受けのいい職種の人がたくさんいるのだから。それに比べて私たちはどう? 何の仕事をしている?」


「駅ナカとかにあるお土産屋さんの店員」


「そうでしょ? 駅ナカにあるお土産屋さんの仕事をしていますといって誰が、わー凄いという反応をするわけ? こんなアルバイトと区別がつかないような仕事」


「うう。そうですけど。そうですけど。私だって元々そんなつもりで入社したわけじゃないし」


 そう。

 母父、ともに都心で有名な百貨店の店長。そこは日本、世界中の超高級ブランド店がズラリ。都心住みなら誰もがそこで買い物をすることに憧れを持つ。そんな大手百貨店会社に勤務している。


 そして私も2人の後を追うようにそこに就職が決まる。喜ぶ。勝ち組だと思った。そう思ったのに……


 上司から言われたのはまさかの、埼玉県内、それも山奥のお土産屋さんで働け。

 どういうことですか?


 流石にそれは反抗期を迎えたことのない私も反抗した。

 そもそも、どうして百貨店なのにそんなこともやっているのですか?


 それに対しての上司の回答はこうだ。

 まず、どうしてお土産屋さんもやっているのか。


 この業界は、1904年にデパートメント宣言が行われた。その時は百貨店というものが大いに盛り上がった。

 デパートにあるエスカレータ。それすらもまるで遊園地の遊具かのような珍しさがあった。中にはそれを乗りに来る人もいるレベルだったらしい。

 何よりも、海外の製品、日本の珍しい製品が一箇所に集まってそれも掛け売りではない。実売価で商品が買えるという面白さがあった。それ以前は、珍しい物を買うということは、値段交渉から始まったからな。つまり庶民がブランド物を買うなんて到底できないしそれどころか見ることすらもできなかった。

 時代がすすみ、ショーウィンドウ展示というものが出来る。珍しいものが無料で見れるようになる。するとお客さんはそれをみるためだけに来るようになる。


 さらに時代が進むと……現代、珍しいものが珍しくなくなる。

 今なら海外の商品なんて郊外のショピングセンターですらも買えるし、ネットでも購入することも出来る。

 昔のように、物を置いているだけで売れると言う時代ではなくなる。そうなると当社は百貨店だけで生きていくのは非常に困難になる。

 だから今こうやってお土産屋さんとかの会社をM&Aなどで取得し経営をしている。今後百貨店以外の道を模索しようとしている。


 君も将来のために取り敢えずそのような経験を積んで欲しいと思う。


 まだ若いし、経験だよ。経験。上司はただそれだけを言った。その時は納得した。


 納得して子会社のお土産屋さんで働くことに。いつかまた都心のあの世界に戻れることを祈りながら。


 早くこの最悪な先輩からオサラバ出来るように。


 そして本日、その最悪な先輩からさようならをするチャンスが来た!

 あとは埼玉から抜け出すだけだ!


「先輩遠くへ行くんですね」


 ニヤニヤ。笑顔が止まらない。

 しかし、しかしだ。

 どうも不気味なことがある。


 どうして彼女は未だに余裕な表情なんだろうか。キョトンとしているのか。


 と思ったら急に不敵な笑みを浮かべる。

 妖怪か。怖いわ。


 そしてゆっくりと口を開いた。


「何を言っているの? あなたも私と一緒に鳥取に行くのよ」


「はい?」


 心からの声。

 そして決めた。

 この先輩に辞表を投げつけてやると。


 


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