異世界転生ブス

神澤直子

目覚め

第1話

 ハッと私は目を覚ました。

 ここは一体……どこ?

 さっきまで私はゴミ溜めなような部屋にいたはずだ。そうだ。ゴミ溜めのような部屋で命を捨てようと首を括ったはずだった。

 小さなころからずっと虐められ続けた人生。それもこれも全部がこの容姿のせいだ。極々普通の母親と至極普通な父親から生まれた化け物のような顔面。

 顔の中心部から遥か彼方に離れた目はまるでカエルのように腫れぼったく、しかも潰れていて、横幅のある鼻はぺちゃんこ。下膨れで顎はない。コンプレックスである顔を隠したくて前髪をのばしているのだが、そのせいで常に脂ぎっていて不潔な顔面は沢山のニキビがぶつぶつと出ていて汚らしかった。悪いのが顔面だけだったらまだ救いもあっただろうけど、私はスタイルすら良くない。ガリガリの身体の割にやたらと大きな頭が不自然なのだ。

 ついたあだ名が「巨頭オ」。

 昔、インターネットの掲示板で立てられたオカルト話から取られているらしい。その話自体私はどんな話か知らなかったけど、(調べたとしたらきっともっと傷つくだけなのは知っている)、それでも文字を見るだけで自分の頭が大きいことを揶揄されているのはわかる。

 ずっと死にたかったんだ。やっと死ぬ勇気が手に入ったと思ったのに--。

 私は辺りをぐるりと見廻した。

 私が寝かせられていたのは木製の小さなベッドだった。部屋の中はがらんとしていて、ベッドのほかにテーブルがひとつだけ。煉瓦造りの壁、奥には二つ、側面に一つの扉。扉の作りから見るにおそらく正面の一番大きな扉は廊下につながっていて、その隣の少し小さな扉はバスルーム、側面の扉はクローゼットか押し入れか収納スペースだろう。

 それにしても、古めかしい煉瓦だった。

 ここは、日本?と疑問に思って、私はさっきからワイワイと賑わっている外を見ようと窓を開けた。


 そこに広がっていたのは--。


 全く知らない風景だった。赤煉瓦の建物が所狭しと並んでいて、少しも近代的なビルのようなものは見当たらない。道路の脇に並んでいるテントはきっとバザールか何かなのだろう。昔見たヨーロッパの写真集のような雰囲気だったが、しかしそこはその写真集のどことも違う不思議な雰囲気を持っている。建物を良く見てみると、一つ一つに大きく植物のペイントがしてある。

「異世界……転生……」

 思わず口に出したけど、勿論周りに誰もいないので返答はない。

 そんなはずない。あんなものは現実世界に馴染めないでいる自分のように死にたがってるけど死なない気持ちの悪い人間の、ただの逃避だよ。私みたいな人間は友達がいないから、オタクになるしかなくって、だからみんなしてあんな小説を書いている。

 --でも、今のこの状況をどう説明するつもり?

 その時、バタバタバタと廊下を走る音が聞こえた。

「目が覚めたかにゃ?!」

 バーンと勢い良く扉を開けたのは見たことのない生き物だった。

 なんだ?この生き物は。

 体調はだいたい30cmくらい。身体は黄色い体毛に覆われていて、ピンと立った耳にもふもふとした尻尾、クリクリとした大きな瞳は金色に輝いている。

 猫……のような……。でも、しっかりと服を着ている……?

 その猫のような生き物は起き上がって窓の外を見ている私を見てビクリとした。

「にゃあああああああ!本当に起きてるうううう!!」

 失礼なやつだな、と思っていたら後ろから人間が現れた。猫のような奴は慌ててその人間の後ろへと隠れる。

 後ろから現れた恰幅の良いおばさんが私に向かって微笑んだ。

「やっとお目覚めかい?」

「え……あ……」

 私は混乱していてうまく返事ができなかった。

「突然、あんたが泉の広場に現れた時は大騒ぎで大変だったんだよお。とりあえずお風呂に入ってしまいましょうね。もう少しで城から使者がやってくるからね、そんなに汚い格好じゃ笑われちまう」

 そう言って、おばさんは入り口の小さなドアを開ける。やはりバスルームだったようで、中からもくもくと湯気が立ち込めた。

 私は促されるままバスルームまで向かって、服を脱ぐ。貧相な身体をマジマジ見られるのは少し恥ずかしかったが、なんとなく身体がむず痒かったのだ。

 タオルを用意しながらおばさんが私に聞いた。

「あんた、名前はなんて言うんだい?」

 私は答えようとしたが、普段殆ど誰とも話さないせいかうまく言葉が出てこない。ようやくと言った風になんとか言葉を絞り出す。

「……え……あ……その……マリカ……」

「どうしたんだい?うまく喋れないのかい?」

 おばさんが心配そうに聞く。

「あ……あの……えと……そういうわけ……では」

「そうかい?まさか緊張してるのかい?はっはっはっ、そんなに緊張することはないよお。別にとって食いやしないからね」

 おばさんは豪快に笑うと「じゃあ、お風呂から上がったら呼んでおくれよ。ちゃあんと着替えも用意してあるんだ」と、扉を閉めて行ってしまった。


 バスルームには猫足のバスタブとシャワーのようなものがついていた。シャワーを出そうと思ったが、このシャワーのどこにも水を出すために捻るような箇所がない。もしかしてスイッチなのかな、と思って探してみたがそれも見当たらなかった。感度センサーだろうかと思って、持ち上げてみても無反応。どうしたものか、と思って「お湯よ出ろ〜」と頭の中で念じてみたら、どこか辺なところを触ったのか突然お湯が出てきた。

 頭からお湯をかぶり、置いてあったシャンプー(かどうか怪しいけど、二つ置いてあった瓶のシャンプーっぽい方)を頭につけてワシワシと髪を洗う。髪を洗い終わって、湯船に浸かりながら考えた。

 ––そういえば、夢を見た気がする。

 朧げな記憶を辿る。すると頭の中に綺麗な金髪の女性が現れた。

 女性は隠しているのか隠していないのか、今にも大きなおっぱいがこぼれ落ちそうな雰囲気の、衣服にしては心許ないズルズルとした絹のドレスを着て、頭にはローマの神様たちがしているような木の葉っぱでできた輪っかをつけていた。ズルズルとしたドレスは高級そうで、確かに身につけている装飾品も金ピカだった。この女、きっと金持ちだって思った。

 ああ、そうだ。私はこの女性と夢の中で会話をしたんだった。

「目覚めなさい」

 そうだ、私はこの女に起こされたのだ。

「自ら命を絶った愚かしき者よ、目覚めなさい」

 初対面で失礼な女だ。

 目を覚ました私は、自分が今金色の草原にいることに気がついた。金色の草原に私と女が二人きり。空は青く、草原は果てしなくどこまでも続いている。

「目覚めましたか。愚かしき者よ」

 女は言った。

「……」

 私はその時、今自分は死ぬ間際の夢を見ていると思ったんだ。なんで死ぬ間際にこんなに無礼な女の夢を見るんだ、と少しだけイラッとした覚えがある。

「自ら命を絶つという大罪を犯したあなた。あなたはこのままでは天国へはいけません。かといって、あなたのような人間は地獄でもお断りとのことだったので……」

 何を言っているのか正直わからなかったが、なんとなく地獄からもハブられたということだけは理解できた。

「このままだとあなたは天国にも地獄にもいけず、ただ現界を彷徨う亡者に成り果ててしまう。そんなことはあってはなりません。」

「はあ」

 ペラペラと喋る女性に、何が起こっているのか状況が全くわからない私は曖昧な返事をした。すると、女性が凄まじく恐ろしい顔でこちらを見る。

「あなた、今の状況をわかっているのですか?私があなたのためを思って、こうやって頭を悩ませているというのに。あなたはこのままどこにも居場所のない状態でいいと思っているのですか?」

 突然、母のような口調で話されて私は萎縮した。「そもそも今の自分の状態がわからない」という一言が言えない。私は小さな声で「すみません」と答えた。

「そこでですね。私考えたんです」

 女性が明るい口調で言う。

「あなたに禊として、異世界を救ってもらおうかと思って。ほら、天国だって善行を働けば多少の罪は大目に見てくれるでしょ。自死って結構重い罪だから、きっと世界を救うくらいしないとチャラにはならないと思うのよね」

 なにを言ってるんだこの女は、と思った。天国も地獄も空想上の存在ではないのか。別に天国に行けなくったって--。

 そんなことを考えていたら、突然押されて私はバランスを崩した。さっきまで目の前に延々と広がっていたはずの草原はすっかり姿を消して、いま目の前にあるのは雲。真っ青な中空。グラグラとバランスを崩して、私は空へと落ちた。驚きのあまり声も出ない。

「もしそっちで死んじゃったら、たぶん、もうどうにもできないっていうか、私が処分されちゃうから頑張ってね〜!」

 遥か上空から女の呑気な声が聞こえる。

 ちょっと待って。世界を救うってなにをするの?ていうか、こんな空の上から落ちたら世界を救う前に死んじゃうじゃん!!

 そして、私は恐怖のあまり気を失い、気がついたときにはここのベッドに寝せられていた……というわけか。

 異世界転生……夢じゃなかった!

 いや、まだ夢だと言う可能性もなきにしもあらず。そうだ。これは死ぬ間際に見ている幸せな夢だ。誰からも虐められないし、新しい世界でそれなりにみんな頼られて、きっと容姿だって--……。

 私は期待を込めて湯気で曇った鏡を拭った。きっと中には美少女が映るはず。異世界転生のお約束ではないか。

 鏡に映った自分の姿を恐る恐る見る。

「ぎゃあああああああああああ!!!!!」

 次の瞬間、私は思わず悲鳴を上げていた。

 そこに映っていたのは紛れもない化け物だった。離れた目、ぺちゃんこの鼻、ぶつぶつとニキビだらけの卑屈で陰気な顔。水に濡れた髪の毛が顔にへばりついて、不気味さを余計に引き立たせている。さしづめ日本のホラー映画に出てきそうな幽霊。

 しかし、叫んだ後に自分で気づく。

 --これ、元の私の顔じゃん!

 そうか、元の世界じゃ鏡なんてしばらく見てないな、と思った。自分が不細工なのを知っているから、不細工な自分を再認識させられるのが怖いから。だが、これは、本当にホラーだ。そりゃあ、巨頭オなんてあだ名もつけられる。

 私は未だドキドキしている心臓に鎮まるように言い聞かせて、風呂から出たのだった。

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