夜明けの星

稲荷ずー

〜序章〜 〈なんでも屋〉のスルナ

一部 山羊追い

「よぉ〜し、良いよぉ〜。さあ、こっちにおいでぇ〜」

 殴りつけるような風が強く吹いている。足を踏み出す位置を間違えれば、深い谷底に真っ逆さまに落ちてしまうだろう。

 相手はもう目と鼻の先。気付かれないよう気配を消し、慎重に、だが確かに距離を詰めていった。

(あと少し………!!)

 少しずつ手を伸ばす。

(あと少し、あと少しで手が届く…!)

 届いた!!

 そう思った瞬間、相手は身をひるがえして岩山を軽々と飛び越え、あっという間に姿が見えなくなった。

「もぉーー!!! あと少しだったのに! いつまでこんなこと続けんだよー!」

 天を仰ぎ、積もり積もった怒りを爆発させるかのように、思いっきり叫んだ。

 雨風にさらされすっかりくたびれた服をまとい、若草色の髪を頭の後ろで一本にっているこの少女・スルナは、金を受け取って依頼をこなす〈なんでも屋〉、という仕事で生計を立てている。

 つい先日、彼女は依頼を受け、タンノ王国の南西にそびえる〈天抱山脈〉の中腹にある高原に来ていた。

「家畜囲いの柵が壊れて山羊やぎが何頭か逃げ出したから、みんな捕まえて来てほしい」

 この程度の簡単な依頼ならすぐに終わるだろう。と思って依頼を受けたのだが、彼女の読みは甘かった。

 山羊たちの捜索を始めてからすでに二ラモ(タンノ王国の時間の単位。約二時間)がっている。

 元々、急な山岳地帯に住んでいた山羊たちは、人間の足では行けないような場所にも行くことができる。ほとんど絶壁のような崖を進むのはとても困難で、すべての山羊を捕まえる頃には、すっかり日が暮れ落ちていた。

 依頼主はとても優しい老夫婦だった。スルナが丸一日かかってようやく山羊やぎを連れ戻してきたとき、夫のオウマが

「ありがとうね、お嬢さん。疲れたろう?良かったら今夜は家で過ごしたらどうだい?」

 とすすめてくれた。

 スルナとしては、まだこなしていない依頼があったので帰りたかったのだが、この老夫婦の好意を無下むげにできず、何よりも一日中走り回って疲れが溜まっていたので、今夜はこの老夫婦の家に泊まらせてもらうことにした。

 沢山動き汗をいたあとの熱い風呂は最高だった。白い湯気の立つ露天風呂に肩までかり、ふうっと息を吐く。熱い湯が触れると冷えきった手足がヒリヒリと痺れるように痛かったが、しばらく我慢していると、手足に血が通いはじめ体が芯から温まってきた。

 ふと、空を見上げると満点の星空が広がっていた。

「あいつが言ってた、一番強く光る星、ってのはあれかな?」

 以前、幼馴染おさななじみのカザンと星空を見上げたときに、星座について教えてもらったことがある。

「どこを繋げば鶏の形になるんだ…」

 ちょうどスルナの真上に青白く輝く一等星と、その周りに輝く二等星、三等星を結ぶと鶏の形になるらしい。が、どれだけ目を細めてみても、スルナの目には、夜空に散らばる星々が、一つの形をなしているようには見えなかった。

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