結局、私はあなたがいい

柚ノ木 卯奈

第1話

 雨の中、ありったけの思いを込めて叫んだ。

 しかし、その声で彼が振り返ることは無かった。

 傘など持ち合わせていない。服も鞄もずぶ濡れだ。

「愛してるって、言ったじゃないっ……」

――すべて嘘だったのだ。あの男は自分じゃない誰かを選んだ。


 何分、何時間経っただろうか。雨に打たれていた彼女に影が差す。

「ユシナ。何をしている」

 雨音で消えるのではないかと思うほどの低い、感情を見せない声が耳朶を叩いた。

「そのまま、そこにいるつもりか」

 彼女、ユシナはやっと顔を上げた。

 弱々しく、力ない笑みが彼を迎えた。

「ごめんね、トオル」

「何に対してだ」

 傘をさし、彼女を雨から守る。

「仕事の帰りでしょ?」

「そうだ。久方に家に帰れると思っていたらどこぞの見慣れた阿保が雨にうたれていた」

 皮肉めいた言葉を吐く。

 いつもの彼女ならばここで反抗的な言葉を返してくるのだが。

 今はそれがない。トオルはその理由をどことなく察した。

「フラれたか」

「ハハッ。もうちょっと……オブラートに包もうよ……」

 酷く傷ついた表情を浮かべたユシナに舌打ちをしたくなった。

「見え透いた言葉にホイホイと騙されるからだ」

「ひどい、なぁ……」

「長い付き合いだからな。お前のことはよくわかる」

 相変わらず、トオルは冷たく、感情を見せない声音でしゃべる。

 それでも、トオルの言葉に少しだけ救われた。

「……彼は、トオルとは真逆の性格の人だったの」

 明るくて、素直で、太陽みたいな笑顔を浮かべる人だったの。とユシナは続けた。 

 トオルは表情こそ出さないが、その人物を知っていた。

 遠目ではあったが一度、ユシナに寄り添うように歩いていたのを見ている。

 確かにその時、二人は幸せそうに、楽しそうに笑いあっていた。

「平気で、平気でその笑顔で嘘を吐く人だったの」

 ユシナの表情が歪む。

「あの人は、私じゃない他を選んだのよ」

「……そうか」

 その一言。それしか言えない。

 苦しくて、苦しくて、その苦しみから逃れようともがいている表情。

 雨が一層、それを引き立たせた。

 トオルは思った。これ以上、ココにいれば彼女は立ち直ることができなくなると。

「ユシナ、雨に打たれすぎたな。帰るぞ」

 トオルはユシナの腕を掴む。やはり、冷え切った彼女から人の体温は感じなかった。

 まるで氷の棒を掴んでいるみたいだ。

 このままココにいれば、風邪どころの話ではなくなるだろう。

 トオルは彼女の腕を引き、今だ強く降る雨の中を歩き出した。




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