第473話:「両公爵の判断:2」
エドゥアルドがその軍の進路を突如として変更し、ズィンゲンガルテン公国へ向かったのは、皇帝軍と正当軍を堅固な防御陣地からおびき出すためである。
どうしてそう言い切ることができるのか。
それは、ベネディクトが以前に検討したことのある作戦の中に、自分自身がズィンゲンガルテン公国へ攻撃をしかけるというものがあったからだ。
それは、ルーイヒ丘陵での戦いが起こる以前のことだった。
もし正当軍がこちらよりも先に帝都・トローンシュタットを抑えた場合にどう応じるかという作戦案の1つとして、ズィンゲンガルテン公国を強襲するというものがあったのだ。
自分の領地を攻撃され、補給が脅かされるとなれば、正当軍は慌てて皇帝軍を追って帝都を出撃してくるかもしれない。
そこを待ち伏せて襲えば、大損害を与えることができるだけではなく、あわよくばフランツを討ち取ることさえできるかもしれない。
そんな作戦を、取れる手段の1つとして考えていたのだ。
(おそらく小僧も、いや、あのアントン殿も、同じような作戦を考えついたのだろう)
憎しみといら立ちをこめ、小僧、青二才と、そうノルトハーフェン公爵のことを呼び捨てているベネディクトだったが、彼はエドゥアルドと、なにより彼に力添えをしているアントン・フォン・シュタムの能力を相応に高く評価していた。
彼らであれば、自分と同様の作戦を思いつくのに違いない。
そういう前提に立って考えてみれば、ここでフランツの主張するように、急いで南に向かった公正軍を追撃することは得策ではなかった。
なぜなら敵は、こちらが出てくることこそを待っているのだから。
わざわざ相手の思惑通りに動いてやる必要などないはずだった。
「おそらく、いや、確実に、敵はこちらが慌てて追って来るのを待ちかまえておるはずだ。
だとすれば、
ここは動かずに、状況を探るのが確実であろう。
もし
いったい、なにを慌てる必要があろうか」
そう言い切ったベネディクトは、自身が注いだブランデーをぐいっと一息で飲み干した。
「確かに、そうであるかも知れぬが……」
フランツはその説明に一定の説得力を感じつつも、未だに疑心を抱いている様子で、自身ために用意されたグラスを手に取り、揺れるブランデーの水面を見つめる。
「しかし、我が公国には今、まともな戦力がいないのだ。
貴殿が根こそぎ兵力をかき集めて動員してきたように、こちらも一切の余力を残さずにすべてをこの場にかき集めている。
小僧の狙いが我々を防御陣地からおびき出すことであったとしても、だ。
こちらがそれに乗ってこないとわかれば、
そうなれば結局はこちらから出て行かざるを得なくなるのではないか?
本国からの補給が途絶えれば、いずれ我が軍は立ち行かなくなるのだ。
早期に決着をつける以外に道はなくなる」
「だが、その場合は、我が方15万と、敵軍10万とで、兵力差が今よりも開くこととなる。
こちらから攻めなければならなくなるとはいえ、勝算は高くなろう」
ベネディクトは泰然としていた。
彼はフランツが口にする不安もどこ吹く風で、空になった自身のグラスにブランデーを注ぎ足していく。
「しかし、そううまくことが運ぶだろうか? 」
それとは対照的に、フランツは落ち着かない。
必ず勝てる、と言われても、自身の本拠地が占領されかねない危機なのだから、とても悠然とかまえていることなどできないのだ。
「我らが出てこないと知って、あの小僧がもし、本当に我が領地を襲ったとしたら、それを阻止できる者は誰もおらぬ。
そしてそうなったら、我が軍はおそらく、いや、確実に、戦わぬうちに瓦解してしまう」
それは深刻な、肌で感じ取っている危機だった。
諸侯の心はそれだけ離れてしまっているし、兵士たちの戦意の低下も著しいのだ。
ズィンゲンガルテン公国が占領され、もはや補給の当てもなくなった、つまりこのまま戦い続けてもフランツが皇帝になることはないと確定してしまえば、諸侯は軍を脱退し、故郷に帰るか、ベネディクトかあるいはエドゥアルドに鞍替えしてしまうだろうし、兵士たちの多くは武器を捨てて逃げて行ってしまうかもしれない。
「もし我が軍が瓦解してしまえば、貴殿が言うように15万対10万での決戦など、できはせぬだろう。
ヘタをすれば、こちらの方が劣勢での決戦、よくても同数となるかもしれぬ」
「ならば、あの小僧が貴殿の領地を占拠できぬよう、時間を稼がせればよい」
「時間を稼ぐ? ……いったい、どうしようというのだ? 」
正当軍が空中分解しかねないという心配などさも何でもないことのような口ぶりのベネディクトに、フランツは怪訝そうな視線を向ける。
すると、ニヤリ、とした不敵な笑みが返って来た。
「フランツ殿。あの小僧は、我らが民衆を徒に苦しめるのをやめさせるなどということを大義として掲げておるらしい。
そこで、だ。
貴殿は、自国の領民たちに公正軍の占領に抵抗するように命じればよいのだ。
それも、武器を持たせずに。……いや、持たせぬ方が良い。
ただ、生身を持って人垣を作り、ヴェーゼンシュタットへの入城を阻止させるのだ。
平民の安寧を心掛ける青二才のことだ。
非武装の民衆に無体なことなどできまいよ。
そうして時間を稼ぐ間に、我が軍は
「な、なるほど……」
民衆を盾に使う。
それは外から見れば悪辣なことでしかなかったが、両公爵にとって、自身の大義のために民衆を犠牲にするのは当然のことであった。
なぜなら自分は、生まれながらに他者を支配する権利を持って生まれた、貴族。
[選ばれた者]であるからだ。
だから当然、臣民の運命を左右する権利が自分にはあると、そう信じている。
「確か、貴殿はモーント準伯爵を解任し、国に返して謹慎処分にしていたな?
民衆を集め、あの小僧を足止めする指揮は、準伯爵にやらせればよかろう。
名誉挽回の機会を与えてやるのだ。
さすれば、モーント準伯爵は喜んで働くだろうよ」
そこまで言って、ベネディクトはまた、グラスに入ったブランデーを一息であおった。
自分の作戦に、悦に入っている様子だ。
アルコールが入って気分が大きくなっているというのもあったが、彼は本心から、こうすればエドゥアルドの公正軍を殲滅できると信じている様子だった。
「……ここは、貴殿の策に従おう」
そしてその堂々とした様子に、どうやらフランツも信用するつもりになったらしい。
彼も、エドゥアルドを打ち倒す瞬間を想像して不敵な笑みを浮かべると、ようやく、自分のために注がれたブランデーの入ったグラスを仮の盟友に向かってかかげて見せ、それを一息で飲み干すのだった。
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