第460話:「分かりやすいメイド」
苦しい現実から逃れるように始まったお茶会は、和やかな雰囲気のまま進んだ。
そこでは、エドゥアルドが今もっとも聞きたくない、皇帝を目指すか否かということや、政治や仕事の話題は一切出ない。
ただ、他愛のないことを。
メイドたちは今、新しい味わいのクッキーを開発することに熱中していて、今日出しているものもその試作品であり、珍しいスパイスを使ってみているのだということ。
それから、犬のカイがこの前庭で蝶々を追いかけていてかわいらしかったということや、ここにはいないが、カイと同じくルーシェの家族である猫のオスカーが、また一晩のネズミ退治の記録を更新したのだということ。
エドゥアルドは意図的に皇帝になることから話題を逸らしたし、ルーシェもそのことに気づいて、話を合わせてくれた。
それは楽しい時間だったが、やがて少年公爵は、メイドがなにか、喉の辺りまで出かかっていることを必死に隠そうとしているということに気がついた。
もう2年以上もの間、毎日顔を合わせているのだ。
そのくらいのことは簡単に分かる。
というか、ルーシェの感情変化は分かりやすかった。
すぐに顔に出るのだ。
それはきっと、エドゥアルドたちの前では自身の感情を偽る必要ないと、この場所にいることに安心しきって、信頼してくれているからなのだろう。
メイドは少年公爵との会話を楽しんではいるのだが、時折、歯になにかが引っかかっているような、こちらの様子をうかがっているような様子を見せる。
それは、なぜなのか。
おそらく、自身の主が今、深く思い悩んでいることを心配している、ということだけではないだろう。
そういう気持ちはあるのに違いなかったが、だとすれば、彼女は困った顔などせず、ただ主のことを励まそうと、ひたすらに明るく無邪気に振る舞うのに違いなかった。
少し考えてみた少年公爵は、やがて理解して、小さく嘆息していた。
それからメイドをジロっと、軽くねめつける。
「な、なんでございますか……? 」
その態度に、ルーシェはたじたじとなり、引きつった笑顔を浮かべた。
そんな彼女に、エドゥアルドはソファの肘掛けに頬杖を突きながら指摘する。
「お前、さっきから様子がおかしいぞ?
さては、僕を説得して来いとでも言われているんだろう? 」
「ぎ、ぎくっ」
自身の動揺を思わず言葉にしてしまうのも珍しい。
そんなメイドの、少し抜けていると言おうか、天然な様子に、エドゥアルドは深々と溜息をついていた。
出て行ってくれと、邪険に追い払う気も起こらない。
ルーシェの[メイド]という立場では、あの広場にいた者たちの誰からでも「エドゥアルドを説得せよ」と命じられたら断ることはできないだろう。
そんな彼女は、今までずっと、主の気持ちをおもんばかってただ励ましてやりたいという気持ちと、皇帝になることを決意してくれるように説得しなければならないという責任感で、板挟みになっていたのだ。
彼女を責める気にはなれず、ただ、こんなメイドさえ利用して少年公爵を皇帝にしようと目論む[オトナ]たちに呆れるばかりだった。
「それで? いったい誰から、僕を説得してくるように言われたんだ? 」
「く、クラウスさまでございます……。私ならできる、って」
エドゥアルドに問われると、ルーシェはあっさりと白状した。
今さら隠すことでもないと思ったのだろう。
(クラウス殿が、か……。いったい、なにを考えておいでなのやら)
少年公爵は憮然とした顔で、クラウスがメイドを[刺客]として放って来た理由を考え込む。
あのオストヴィーゼ公国のご隠居のことは頼みに思っていたし、その知略にはこれまで何度も助けられては来たが、たまにこちらの理解の及ばないことをすることもあり、今回もそのパターンだった。
エドゥアルドと垣根なく話をすることのできるルーシェなら、と、本気で送り出している可能性もある。
あるいは、別の方策を考える間の時間を稼ぐために、試しても別に損はないだろうくらいのつもりでいるのかもしれない。
わかるのは、あの広間にいる人々がみな、エドゥアルドが皇帝になることを支持しており、その意見は、少年公爵が自室に逃げて行った姿を見ても変わっていない、ということだった。
「それで、ルーシェ。お前はどうやって僕を説得するつもりだったんだ? 」
せっかく忘れていた大問題を思い出してしまったエドゥアルドは、少し不機嫌そうに問いかけていた。
するとメイドはしゅんと肩をすぼめて、身体の前で人差し指をつつき合わせながら、心底困った顔をする。
「それが……、その……。
なにも……」
どうやら彼女には、どう少年公爵を説得してよいやら、まったくアイデアがないらしい。
それでも命じられてしまったのでなんとかしようと頑張っていたのが、つい先ほどまで見せていた歯に物が詰まったような様子だったのだろう。
(ルーシェらしいや)
エドゥアルドは思わず苦笑してしまっていた。
なんであろうと、とりあえずは相手の期待に応えようと一生懸命に頑張るのがルーシェなのだ。
明るい気分になったエドゥアルドは、ほんのちょっとだけ、このメイドをからかってやろうと思う。
あまりに素直に感情が表に出て来るので、ルーシェの表情の変化を観察しているといつも楽しいのだ。
「僕を説得する、しないは、ひとまず置いておいて……。
なぁ、ルーシェ。
僕は、皇帝になれると思うかい? 」
それは、本気で皇帝になろうなどとはつゆほども思ってはいない、戯れの言葉に過ぎなかった。
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