第325話:「それは、戦い:4」
アリツィアの目の前で、強力な蒸気機関によって駆動する掘削機械が、鉄塊をゴリゴリと削っていく。
鉄が削り取られていく、思わず耳を塞ぎたくなるほどの轟音が、工場の建物の中で反響している。
それは、75ミリ口径の野戦砲の砲身を作る作業だった。
以前は粘土で砲腔の型を取り、鋳型に溶けた鉄を流し込んで砲身を作っていたのだが、その方法には、粘土の型が使い捨てで、そして、その形状が必ずしも一致しないという問題があった。
まったく同じ形に粘土を成型することが難しかったのだ。
その問題を、先に砲身の形の鉄塊を作り、砲腔をあらためて機械で掘削するということで解消したのだ、現在の大砲の生産工程だった。
鉄を削り出すのは、容易なことではない。
掘削するためには削られる側の鉄よりもより硬度と強度の高い材料が必要であったし、ガリガリと鉄を掘り進んでいくための動力を供給する必要がある。
水力を使うという方法もあったが、オズヴァルトの工場では、蒸気機関を使用していた。
水力を使用するためには強い水流が必要で、ただ水があるだけでは成立しないという厳しい立地条件があるのだが、蒸気機関ではその制約が小さかった。
理想は石炭などの燃料が簡単に手に入り、真水が豊富に得られることだったが、燃料は薪などでも代用可能だったし、水さえあれば使えるのだ。
そして、蒸気機関は適切に設計と製造が行われてさえいれば、どこで使用しても望む通りのパワーを発揮させることができる。
水力では強い力を出そうと思えばそれだけ強い水流のある場所を探し出さなければならなかったが、蒸気機関ではそういった水力につきまとう諸問題がない。
まったく場所を選ばない、というわけでもなかったが、その使い勝手、そして効率は、大きく上回っている。
かまの中で、
その灼熱にあぶられ、汗まみれになりながら燃料となる石炭を投入し続ける労働者たち。
そうして生み出された蒸気は激しくピストンを上下させ、鋼鉄の塊を強力なパワーで動かし続ける。
それによって、今までに見たこともないような速度で大砲ができあがって行くのだ。
オルリック王国にも大砲を製造する工場はあったが、そこではまだ、旧来の、粘土で砲腔の型を作り、鋳型に溶けた鉄を流し込むという方法が取られていた。
そのせいでオルリック王国が使用する大砲は、その口径を最大限に活用することができていない。
どの大砲も微妙に砲腔の形状が違っているため、砲の口径にぴったり合わせた砲弾を作ってしまうと、互換性がなくなってしまうのだ。
だから、砲弾は大砲の実際の口径よりも小さい直径のモノとなっている。
これでは射撃する際、砲弾と砲腔の間にできた隙間から、より多くの火薬の爆発力が逃げて行ってしまって非効率だ。
であるだけではなく、砲弾のサイズを制限せざるを得ないために、本来発射できるはずの大きさの砲弾を使うことができず、大砲の規模に対して低威力の砲弾しか使えないということでもあった。
だが、ノルトハーフェン公国の最新式の大砲は、砲腔の形状が均一であるために、その口径を最大限活用した砲弾を使用することができる。
砲弾はより砲腔と密着するサイズにでき、発射時に火薬の爆発力を隙間から逃さずに効率的に受けることができるし、砲の威力も射程も向上している。
同じ口径の、同じ重量の野戦砲でも、オルリック王国のモノよりもノルトハーフェン公国のモノの方が高性能なのだ。
その事実は、アリツィア王女にとって衝撃的なものだった。
時代が急速に変化しているということを、目の前に実体化させて見せつけられたような気がしたからだ。
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アリツィアのノルトハーフェン公国で初めての本格的な視察は、滞りなく終了した。
エドゥアルドに命じられた宰相のエーアリヒが万事、根回しをしており、視察先では手抜かりのない準備が整えられていたからだ。
見たいもの見て、聞きたいことを質問し、帰路につく。
だが、その馬車の中でアリツィアは、少し憂鬱そうだった。
ノルトハーフェン公国と、祖国、オルリック王国の友好を取り持たなければならない。
自身のその使命が、より重いモノとして感じられるようになったからだった。
このまま、エドゥアルドが大きな誤りを犯さずに富国強兵政策を推し進めていけば。
ノルトハーフェン公国は、タウゼント帝国の中で大きな発言力を有する強力な国家に成長することだろう。
エドゥアルドが作った安定した通商関係により多くの実業家たちがノルトハーフェン公国を自身の事業の中心として定めつつあり、集まった投資は徐々に形となって表れ始めている。
人、モノ、金が、集まってきているのだ。
エドゥアルドはまだ若年であるために、カール11世の次の皇帝になるという可能性は、おそらくは小さい。
だが、その次となれば……。
国力を増大させ、強力な軍隊を有するエドゥアルドは、その影響力によってタウゼント帝国の皇帝へと上り詰めるかもしれない。
それは、絵空事ではなく、現実に起きうることだと、アリツィアにはそう思えるのだ。
そのエドゥアルドと婚姻関係を結んでおけば、オルリック王国は自動的に、タウゼント帝国という強力な同盟者を得ることになる。
それは、オルリック王国に安定と平和をもたらすだろう。
それだけではない。
ノルトハーフェン公国の発達した産業技術を輸入すれば、オルリック王国でも富国強兵政策を達成することができるのだ。
おそらく、ヘルデン大陸の諸国家はこれから先、こぞって産業化を進め、自国の力を強めようとするだろう。
だから、オルリック王国が産業化を推し進め、富国強兵政策を達成したとしても、大きくパワーバランスが崩れるわけではない。
だが、もしもそれを実行しなかったら、オルリック王国は他の諸国家に大きく後れを取ることとなるだろう。
そして、もしもそうなれば。
オルリック王国は、現実に存在する国家ではなく、「かつて存在した」と、歴史の中の存在として語られるのみになってしまうかもしれないのだ。
そう思うと、アリツィアは、自身の身に背負わされた責任の重さを実感せずにはいられなかった。
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