第317話:「なにをやってるんだ、お前らは……」

 シャルロッテは、膝を折り、驚愕きょうがく双眸そうぼうを見開いたまま、ピクリとも動かない。

 一方的なものとなった勝負の結果によって敗北感にうちひしがれ、立ちなおることができないのだ。


 そのシャルロッテの様子を、ルーシェもアンネも、呆然と見つめている。

 2人はシャルロッテが高い戦闘力を隠し持っていることを知っていたし、彼女が敗北するなんて想像もしていなかったのだ。


 しかし、シャルロッテは敗北した。

 眼鏡メイドに一方的にしてやられ、その事実によって一時的に自失してしまっている。


 ルーシェとアンネは、恐る恐る、眼鏡メイドのいる方を見上げる。


 すると眼鏡メイドはこちらの方を振り返り、なにを考えているのかわからない無表情で、ルーシェとアンネのことを見おろしていた。


「ひっ……! 」「ぁぅぅっ……! 」


 その、眼鏡メイドから浴びせられる冷たい視線。

 恐怖したルーシェとアンネは小さな悲鳴をらすと、思わず2人して抱き合っていた。


 もう、ダメだ。

 お終いだ。


 そんな絶望感が、2人の心の中で広がっていく。


「なにをやってるんだ、お前らは……」


 戸惑い、呆れたようなエドゥアルドの声が聞こえてきたのは、ルーシェとアンネが頭の中で走馬灯を見ていた時のことだった。


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 びっくりしてルーシェとアンネが振り返ると、そこには、確かにエドゥアルドの姿があった。


 オルリック王国から譲渡じょうとされた馬たちを迎えるために開かれた式典に参加したその足で戻って来たらしい。

 エドゥアルドは正装で、腰には儀礼用のサーベルを身に着けたままだった。


 若き少年公爵は、怪訝けげんそうに顔をしかめている。


 エプロンがほどけたまま、床に膝をついて呆然としているシャルロッテと、これがまさに今生の別れと、互いに抱き合って絶望しているルーシェとアンネ。

 そして、超然とした様子で立っている、眼鏡メイド。


 ぱっと見でなにが起こっているのかを理解できる者は、それはきっと神様くらいのものだろう。


「あれっ、マヤじゃないか」


 ルーシェたちがなにかを答える前にそう言ったのは、オルリック王国の王女、アリツィアだった。

 エドゥアルドと一緒にこの場にやって来たらしいアリツィアはまだ馬丁のような服装のままだ。


 そこにいるのは、エドゥアルドとアリツィアだけではなかった。

 ミヒャエル大尉などの警護の者たちや、フェヒター準男爵、エーアリヒ準伯爵、アントン参謀総長など、ノルトハーフェン公国の要人たちがずらりと並んでいる。


 エドゥアルドが、アリツィア王女が、ノルトハーフェン公国の要人たちが、ここにいる。

 その現実を目の前にしたルーシェたちは、ハッとして我に返った。


「し、失礼をいたしました! 」「ごっ、ごめんなさい、エドゥアルドさまっ! 」「あわわ、大変お見苦しいところをっ! 」


 シャルロッテはエプロンを拾い上げながら、ルーシェはアタフタと手をばたつかせながら、アンネは顔色を青ざめさせながら。

 立ち上がった3人は、エドゥアルドとアリツィアに向かって深々と頭を下げていた。


「謝ってくれるのは、いいんだが……。


 いったい、なにがあったんだ? 」


 メイドたちに謝罪されたエドゥアルドは、困惑したように問いかける。

 確かに公爵家のメイドとしてあるまじき醜態しゅうたいを見せつけられはしたものの、怒るにしてもまずは、なにがあったのかをしっかりと把握してからでないといけない。


 だが、メイドたちは言葉に詰まってしまった。

 自分たちでも、今現在の状況がどういうものなのか、正確に把握できていないからだ。


 頭を下げたまま言葉を失って、ただただ戸惑っているメイドたちの姿に、エドゥアルドたちも困惑している。


 そんな中、アリツィアの方に向かって、眼鏡メイドが進み出ていく。

 この中でただ1人だけ冷静さを保っていた彼女の足取りはしっかりとしたもので、足音ひとつ立てない、メイドとして完璧なものだった。


「ああ、マヤ。

 なにがあったのか、説明してくれるかい? 」


 どうやら眼鏡メイドは、マヤという名前であるらしい。

 そして、アリツィア王女と知り合いのようだった。


 アリツィアに命じられると、マヤはアリツィアに向かってジェスチャーをし始める。


(なんで、声に出して説明しないんだろう……? )


 頭を下げたまま、視線だけを動かしてマヤの様子を観察していたルーシェは、あらためてそんな疑問を持つ。

 口で説明すれば簡単なのに、どうして身振りだけで意思疎通をするのか。


 ルーシェにも、その場にいるほとんどの人間にも、マヤのジェスチャーの意味は理解することができなかった。

 だが、ただ2人だけ、マヤと、アリツィアだけは、その意味を知っている様子だった。


 やがてすべての説明を終えたのか、マヤはジェスチャーをやめ、居住まいを正した。

 そんなマヤの額に向かって、憮然ぶぜんとしたアリツィアが片手をのばす。


 ぱちん、と小気味よい音が響く。

 それは、アリツィアがマヤのおでこをデコピンした音だった。


 それからエドゥアルドの方を振り返ったアリツィアは、ふぅ、とため息を吐くと、少し疲れたような表情で言う。


「とりあえず、なにがあったのか説明するから、どこかに座ってお話をしないかい?


 少し、頭痛がするような話なんだ……」

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