第303話:「長期戦の備え:2」
アントンの提案は、エドゥアルドにもその必要性が理解できるものだった。
将来起こるかもしれない、アルエット共和国との全面対決。
それはきっと、多大な消耗を伴うだけではなく、長期戦となるのに違いない。
その長期戦を戦い抜くための、備えをする。
それは、アントンに指摘をされてみれば、行っておいて当然と思えることだった。
しかし、問題もある。
なぜ、タウゼント帝国ではこれまで、平民に士官教育を受けさせず、下士官や兵といった階級にとどめ置いたのか。
長く続いて来た封建制と身分制度に基づく厚い壁が、平民に士官への道を開くという改革の前に立ちはだかっているのだ。
「アントン殿のおっしゃることは、理解できたと思う。
僕も、平民たちに士官への道を用意することに賛成だ」
エドゥアルドはそう言ってアントンの意見に賛同を示したが、「しかし」と言葉を続ける。
「今まで平民が士官になれなかったのは、この国に身分制度があるからだ。
平民の階級があがり、貴族に対して命令を下すようになってはならないということを前提として、平民を士官にはしないという不文律が働いている。
それを改めることは、大きな反発を伴ってしまう……。
まして、軍の階級は、帝国全体で共通だ。
果たして、皇帝陛下がお許しくださるだろうか? 」
すると、アントンはやや難しそうに、表情を険しくする。
彼のことだから、こうしてエドゥアルドの下に提案をしにやってくる前に十分に思慮を深め、当然、平民に士官の道を開こうとする際に直面する課題についても検討しているはずなのだが、やはりアントンにとってもこの問題は解決が難しいものである様子だった。
「
アントンは、険しい表情のままうなずく。
「皇帝陛下がどのようにお考えになるか……、この点につきましては、困難ではありますが打破可能な問題であるかと思われます。
陛下は、以前より公爵殿下に対し、好意的に見てくださっています。
ラパン・トルチェの会戦、そしてヴェーゼンシュタットの攻防戦。
いずれの戦いでも殿下は功績をあげられ、陛下はそのことを喜んでおられます。
また、陛下は平民を士官とすることの意義をご説明申し上げれば、必ず、その必要なことをご理解いただけるはずです。
これまでも、そうでした。
きちんと説明を申し上げれば、陛下は
(それは、アントン殿の説明が的確であったからだろうな……)
アントンの言葉を、エドゥアルドは疑わなかった。
エドゥアルドはかつて陸軍大将であったアントンの経験と器量にほれ込んで彼をノルトハーフェン公国に迎え入れ、初代参謀総長という重職につけたのだ。
そしてアントンは、その職責を期待以上に果たしてくれている。
そのアントンの能力の高さを、カール11世も知っているはずだった。
だからこそ、ラパン・トルチェの会戦での大敗の責任をとり、自決まで考えていたアントンを生かすようにエドゥアルドに命じ、エドゥアルドがノルトハーフェン公国にアントンを受け入れることを許可してくれたのだ。
アントンは思慮深い人物だった。
それは見ようにとっては慎重さ、臆病とさえとられることだったが、大軍の兵站を万全にして自在に進退させるためには、アントンのような繊細な思考は大きく役立っている。
カール11世も、そのことをよく知っているだろう。
「しかしながら、他の諸侯の方々がどのようにお考えになるのか。
こればかりは、
そんな思慮深いアントンだから、エドゥアルドは彼が完璧な解決策を持っているのではないかと、そう期待していた。
皇帝は説得できたとしても、諸侯が反発すれば意味はない。
なぜならタウゼント帝国の軍隊の階級は帝国内すべてで共通のモノであり、ノルトハーフェン公国の士官学校を卒業して士官となった平民が高い階級にのぼれば、他の諸侯の軍隊に属する者であろうと、貴族階級出身の士官たちは平民出身の士官の命令に服従しなければならなくなる。
タウゼント帝国には、数百の諸侯が存在し、それと同数の小国が乱立している。
その内のいくらかは、平民に士官への道を開くことの必要性を理解し、支持してくれるダルが、そうではない諸侯もいる。
そういった諸侯からの反発に対し、それを鎮静化する特効薬はなかった。
(これは、僕が考えていくべきことなのだろうな……)
申し訳なさそうに頭を下げるアントンの姿を見ながら、エドゥアルドは苦笑していた。
そもそもアントンは、軍人であった。
高い能力を有し、先見の明があり、誠実で、思慮深く物事を考えることに長けている。
だが、諸侯からの反発をどうするかといった、[政治]の領域に踏み込んだことは職責の範囲から外れるし、苦手としているようだった。
「わかった、アントン殿。
皇帝陛下へのご説明や、諸侯への根回しなどは、僕の方で考えておこう。
エーアリヒ準伯爵や、ヴィルヘルムなどにも相談して、なんとかやってみるさ」
「感謝いたします、公爵殿下」
エドゥアルドの言葉で顔をあげたアントンに、エドゥアルドはニヤリ、と不敵な笑みを浮かべる。
「もちろん、アントン殿にも働いてもらいたい。
アントン殿は、士官学校に平民を受け入れるために必要な制度設計と、平民の下士官や兵の中から有望な者を見つけ出す仕事をしてもらえないだろうか。
おそらく、これはアントン殿にしか頼めない仕事だろうから」
すると、アントンは嬉しそうに微笑んだ。
エドゥアルドが真剣に、具体的にアントンの提案について考えてくれているのだと理解できただけではなく、エドゥアルドが自分の得意分野をきちんと把握してくれていると感じたからだった。
だからアントンは、エドゥアルドに向かって力強くうなずいてみせていた。
「お任せください、公爵殿下」
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