第301話:「アントンの提案」

 丁寧なノックの音を聞き、エドゥアルドが「どうぞ」と少し荒っぽい口調で許可を出したその後。

執務室に入って来たのは、ノルトハーフェン公国軍の参謀総長、アントン・フォン・シュタムだった。


「突然参りまして、申し訳ございません、エドゥアルド公爵」


 部屋に入ってすぐのところでいったん立ち止まったアントンはまずそうエドゥアルドに謝罪すると、深々と頭を下げた。


「いや、いいさ。

 ちょうど暇をしていたところだからな」


 実際、エドゥアルドは暇を持て余していた。

 なかなかアルエット共和国の情勢が判明せず、なにも行動することができなくて、執務室をうろうろと何往復もしていただけなのだ。


「それより、アントン殿。

 どうぞ、近くにいらして、どのような用件でおいでになったのかを教えて欲しい」


「でしたら、お言葉に甘えまして」


 エドゥアルドの言葉で顔をあげたアントンはうなずいてみせると、落ち着いた足取りでエドゥアルドの前まで進み出て来る。


 そんなアントンに向かって、エドゥアルドは机の上に両肘を突きながら身を乗り出していた。

 アルエット共和国の情勢について、なにか新しい、それも重大な情報がもたらされたのではないかと、そんなふうに期待したからだ。


「アントン殿。

 アルエット共和国の情勢について、なにか新しい情報でも手に入ったのか? 」


「いいえ……、残念ならが、まだ十分な情報は集まっておりませぬ」


 しかし、期待と共にたずねてくるエドゥアルドに、アントンは冷静な様子で首を左右に振って見せるだけだった。


「ただ、アルエット共和国の情勢にまったく無関係なお話というわけではございません」


 自分の期待とは違った用件だとわかり、落胆して視線を落としかけたエドゥアルドだったが、そのアントンの言葉で再び顔をあげる。


「実は、公爵殿下。

 ノルトハーフェン公国の士官学校に、平民出身の者たちの入学をご許可いただきたいのです」


 単刀直入という言葉があるが、その表現がぴったりな率直さでアントンはそう言った。


「平民を、士官学校へ? 」


 そのアントンの言葉を予想していなかったエドゥアルドは、驚いてきょとんとしたような表情で、少し首をかしげる。

 なぜ唐突にアントンがそんなことを言い出したのか、想像がつかなかったからだ。


 そんなエドゥアルドに、アントンははっきりとうなずいてみせていた。


「左様です、公爵殿下」


「しかし、アントン殿。

 現状で、我がノルトハーフェン公国軍の士官が不足しているということは、ないのだろう? 」


「おっしゃる通りです、殿下。


 ノルトハーフェン公国軍では徴兵制を実施しており、そのため、兵員の数が従来よりも拡大しております。

 しかしながら、現状では士官の数に不足は生じておりません。

 元々軍に在籍していた者たちの昇進や新規登用、退役していた者の減益への復帰だけで、十分に軍は機能しております」


「人手不足でもないというのなら……、なぜ、平民を? 」


「今は問題なくとも、将来は必ず、さらに多くの数の士官が必要となるからでございます」


 ノルトハーフェン公国には以前から軍の中枢を担う士官を育成するための士官学校が存在し、機能している。


 士官について念のために説明しておくと、准尉以上の階級にある将校たちのことだ。

 実際に戦場でマスケット銃を使用して戦闘を実施するのは兵士たちだったが、士官たちはその兵士たちを指揮し、再装填に時間がかかり無暗に連発できないマスケット銃を最適なタイミングで発砲させたり、兵士たちの規律や統率を維持させ、部隊として十分に戦闘力を発揮できるようにしたり、と、軍隊を軍隊たらしめる重要な働きをする者たちだ。


 士官の中でも優秀な者はさらに高い階級へとのぼり、大隊や連隊などを指揮する指揮官へと抜擢(ばってき)され、兵士たちを進退させる指揮権を与えられる。

 兵士たちの練度やその兵装の質も戦争に勝利するためには重要だったが、彼らを実際にどのように戦わせるか、その指揮をとる士官たちの質も、勝利するためには必要だった。


 そういった重要な役割を果たさなければならない士官たちを育成するためには、専門の教育が必要だった。

 その教育に要する期間は通常、数年はかかる


 そして今さら言うまでもないことかもしれないが、その専門の教育を行う機関が、士官学校だった。


 現状、その士官学校へは、貴族階級に連なる者のみが入校できることとされている。

 これは、タウゼント帝国に古くから存在する貴族制度に根づいた、特権があるためだ。


 士官になって階級があがれば、当然、より下位の士官に対して命令を下すような事態も生じて来る。

 つまり、もしも士官への門戸を平民にも開けば、平民が貴族に対して命令を下すということも起こり得る。


 そんなことは、絶対に認められない。

 生まれながらにして民衆を支配する権利を保有していると(そう自認している)貴族たちにとって、平民たちから指図を受けることは耐えがたい屈辱(くつじょく)であり、絶対にあってはならないことだった。


 だから伝統的に、タウゼント帝国では士官学校への平民の入校を認めてこなかった。

 ノルトハーフェン公国だけではなく、タウゼント帝国の全体で、そのような制度となっているのだ。


 その、古くからあらためられることもなくずっと続いて来た制度。

 それをアントンはあらため、平民にも士官となる道を開こうと、そうエドゥアルドに提案しているのだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る