第272話:「抜け駆け:5」

 エドゥアルドは、近衛歩兵連隊と共にアリツィア王女を追って、サーベト帝国軍の奥深くへと突撃を続けていた。


 近衛歩兵連隊と言っても、夜間の突撃で、しかも最初から統率を取れないことを前提とした戦いだ。

 すでにエドゥアルドの周囲に確実にいると思われるのは2、3個中隊のみで、エドゥアルドの周囲は司令部つきの士官たちが固めているような状況だった。


「進め、進めェッ!


 サーベト帝国の皇帝の本営まで、突き進め! 」


 しかしエドゥアルドは、青鹿毛の馬を駆けさせながら、そうかけ声を発し、突撃を続ける。


 この夜襲作戦の成否は、サーベト帝国の皇帝の下まで突撃を成功させられるかどうかにかかっている。

 皇帝を捕虜とし、あるいは討ち取るかして、サーベト帝国軍の全体を敗走させなければ、エドゥアルドたちの兵力ではとてもサーベト帝国軍の全軍を相手には戦えないからだ。


 エドゥアルドたちが進んでいるのは、アリツィア王女たちが食い破って行った突破口だ。

 だからここまでは敵の敗残兵を蹴散らすだけでよかったのだが、皇帝の本営に近づくのにつれて、敵の抵抗も激しいものとなり始めて来る。


 燃え盛るサーベト帝国軍の陣営を突き進むエドゥアルドたちの目の前に、敵兵の一団があらわれた。


 その姿に、エドゥアルドは見覚えがある。

 サーベト帝国軍の精鋭軍団、イェニチェリの軍装を身に着けた兵士たちだ。


 彼らは突破補給作戦の際、有翼重騎兵(フサリア)の突撃を受けて大きな損害を出していたはずだったが、その生き残りが、皇帝を守るためにエドゥアルドたちの前に立ちはだかっていた。


「公爵殿下っ! 」


 イェニチェリが、ほとんど先頭を突き進んでいたエドゥアルドに銃口を向けた瞬間、ヴィルヘルムが馬をよせて、自らの身体をエドゥアルドの盾にするように立ちはだかった。


 その、次の瞬間、イェニチェリの歩兵たちが形成した戦列から、一斉にマスケット銃が放たれる。

 その狙いは、エドゥアルドへと向けられていた。


「くっ!? 」


 エドゥアルドは思わず、身をすくめていた。

 ヒュン、と、銃声に混じっていくつもの弾丸が、自身のすぐ近くを飛びぬけていくのを感じ取ったからだ。


 しかし、エドゥアルドは幸いなことに、1発も被弾しなかった。

 直前に、ヴィルヘルムが身をていしてかばってくれたおかげだった。


 エドゥアルドの目の前で、ヴィルヘルムが乗っていた馬が悲痛ないななき声をあげ、後ろ足で立ち上がって暴れる。


 その馬を御しきれなかったヴィルヘルムは、地面へと振り落とされてしまった。

 それに続いて、ヴィルヘルムを振り落とした馬は急激に力を失い、力なくどうっと地面の上に崩れ落ちる。


 どうやら、弾丸はヴィルヘルムの馬に命中し、その命を奪ったようだった。

 倒れた馬の首が、地面に振り落とされて受け身を取ったヴィルヘルムの身体に覆いかぶさる。


「ヴィルヘルムッ! 」


 エドゥアルドは自分をかばったためにヴィルヘルムが負傷したと気づくと、慌てて馬から飛び降りていた。


 そのエドゥアルドのかたわらでは、その太った体で懸命に馬を走らせ、エドゥアルドになんとか追従してきていたペーター大佐が、「奴らを蹴散らして、公爵殿下をお守りしろっ! 」と部下に命じ、自らイェニチェリに向かって突っ込んで行った。


「ああ、公爵殿下、ご心配なく。

 どうやら、私(わたくし)はかすり傷で済んだようでございます」


 エドゥアルドが駆けよって顔をのぞき込むと、ヴィルヘルムは馬の首の下から抜け出そうとするのをいったん止め、エドゥアルド安心させるようにその柔和な笑みを向けて来る。


 そのいつも通りのヴィルヘルムの表情にエドゥアルドは安心したが、すぐにまた、表情を険しくする。

 ヴィルヘルムはかすり傷だ、などと言ったが、その左腕には明らかな銃創があり、服にあいた穴からは相当な量の出血があったのだ。


「ヴィルヘルム殿、今、馬をどけます! 」


 その出血の多さに思わず表情を青ざめさせ、言葉を失っているエドゥアルドの代わりに、馬から降りて駆けよって来たミヒャエル大尉がヴィルヘルムの上に倒れこんだ馬の首をどかす。

 その行動を見て我に返ったエドゥアルドは、急いでヴィルヘルムの両肩に手を回し、ミヒャエルが馬の首を離してもヴィルヘルムの上に倒れこまないよう、引きずって救出した。


「ミヒャエル大尉、すまないが、ヴィルヘルム殿を後送してくれ」


「いえ、お待ちください、公爵殿下」


 致命傷ではないが、できるだけ早く適切な治療を施さなければ危険だと判断したエドゥアルドは、ミヒャエルに命じてヴィルヘルムを後送させようとするが、ミヒャエルがなにかを言うよりも先にヴィルヘルムが首を振った。


「戦いはまだ、これからでございます。

 公爵殿下が戦場におられるのに、私(わたくし)だけ下がるわけには……」


「ばかなことを言うな、ヴィルヘルム」


 意地を張るヴィルヘルムに、エドゥアルドは微笑んで見せる。


「貴殿は、その知略によって僕を助けてくれているではないか。

 そして今は、僕の命まで救ってくれた。


 ここで下がっても、誰が貴殿を責めるだろうか?


 それに、僕としては一足先に後退して、この作戦がうまくいった後のことを考えておいて欲しい」


 ヴィルヘルムはエドゥアルドにそう言われても、納得しなかった様子だった。


 だが、彼がなにかを言おうと、口を開きかけた時。

 少し離れた前方から、大きな歓声が沸き起こった。


 いったい、なにごとが起こったのか。

 エドゥアルドとヴィルヘルム、そしてミヒャエルが顔を歓声が起こった方へと向けると、そこには、混乱に陥ったイェニチェリの兵士たちが、悲鳴をあげながら逃げ散っていく光景があった。


 精強な兵士たちが動転し、武器を投げ捨てて、我先にと逃げ出していく。

 その姿に拍子抜けしたような顔になっていたエドゥアルドたちの前に、素早く状況を確認して来たアントン参謀総長がやってきて、馬から降り、エドゥアルド向かって報告をしてくれる。


 その表情は、嬉しそうに、そして安心したように、笑っている。


「どうやら、有翼重騎兵(フサリア)がサーベト帝国の皇帝、サリフ8世を捕らえたようでございます」

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