第217話:「メイド、画策する」

 エドゥアルドがまた、戦争に行く。

 皇帝からの招集を告げる使者が訪れ、皇帝からの言葉をエドゥアルドに伝えるのを扉越しに漏れ聞いていたルーシェは、自分の胸がズキンと痛むのを感じていた。


 戦場で目にした、大勢の負傷者たちの姿がルーシェの脳裏によみがえる。

 そして、あんなふうにエドゥアルドが負傷したり、命を失ったりしてしまったらどうしようと、ルーシェは不安でたまらない気持ちになった。


 だが、ルーシェはすぐに、前を向いていた。

 エドゥアルドが戦争に行くというのなら、ルーシェのやることは決まっているからだ。


 エドゥアルドはきっとまた、ルーシェに、安全なノルトハーフェン公国に残るように言うだろう。

 ルーシェのような少女には、戦場はあまりにも過酷な場所だからだ。


 しかしルーシェは、エドゥアルドと離れるくらいならば、自分も戦場に行くことを選ぶ。

 なぜならエドゥアルドの側こそが、自分にとっての居場所、居るべき場所だと、そう思うからだ。


 それがわがままだということは、ルーシェもわかっている。

 わかってはいても、どうしても、それだけは譲れないと思うのだ。


 というか、エドゥアルドと離れて何か月も過ごす間、ルーシェは不安で押しつぶされてしまうのに違いなかった。


 それに、ルーシェにやれることがまったくないわけではない。

 メイドとしてエドゥアルドが公爵としての仕事に集中できるように手伝うことができるし、マーリアから負傷者の治療のしかたを習っているから、手当てだって手伝える。


 エドゥアルドはルーシェについてくるなと言うのに違いなかったが、しかし、前回のように潜り込んでしまえばもう、帰れとは言われないはずだ。

 そう考えたルーシェは、再び、エドゥアルドの出征についていくことを画策した。


 まず用意するのは、大きな旅行鞄だ。

 もちろん、そこに詰め込むのは自分の旅荷物ではなく、ルーシェ自身だ。


 そうして、エドゥアルドが持って行く荷物の中に自分の入った旅行鞄を紛れ込ませ、エドゥアルドの出征についていく。

 前回うまくいったのだから、今回だってうまくいくはずだった。


 幸い、ルーシェはエドゥアルドのおつきのメイドとして、その身の回りのことを世話しているから、エドゥアルドがどんな旅行鞄を持って行くのかは知っている。

 だからエドゥアルドの旅荷物に紛れ込むのにふさわしい旅行鞄がどれなのかは、ルーシェにもわかる。


 ルーシェは、エドゥアルドが出征の準備を進めるのを手伝うかたわら、こっそりと旅行鞄を確保した。

 それだけではなく、前回、旅行鞄に閉じ込められて、危うく人間としての尊厳を失いかけたことがあるので、今回は外から留め具を閉じられても内側から旅行鞄を開いていつでも脱出できるように小細工も施した。


「よし、これで細工はできました。


 ……あとは、一応、中の居心地を確かめておきましょうかね」


 準備を整えたルーシェは、何度も細工の出来栄えを確認し、きちんと動作することを確かめると、旅行鞄の中に入ってその居心地を確かめてみることにした。


 何時間もその中に隠れていることになるのだ。

 エドゥアルドについていくためとはいえ、その窮屈さに耐えるためには、今から覚悟を固めておかなければならなかった。


「あ……、あれ? 」


 旅行鞄に入ろうとしたルーシェだったが、しかし、戸惑ったような声を漏らしていた。

 なぜなら、前の時は苦も無く隠れることができた旅行鞄に、今のルーシェはどう頑張っても、入り込むことができなかったからだ。


────────────────────────────────────────


「大変!

 大変でございます、エドゥアルドさまっ! 」


 ルーシェが大慌てでそう叫びながら、バタバタと駆けてエドゥアルドのところにやってきた時、エドゥアルドはこれから出征する先のズィンゲンガルテン公国周辺の地図を執務室の机に広げて、地理を頭に叩き込んでいる最中だった。


「なっ、なんだ、ルーシェ?

 なにか、急な知らせでもあったのか? 」


 血相を変えて部屋の中に飛び込んで来るなり、エドゥアルドのすぐ近くまで駆けよって来たルーシェの様子に、エドゥアルドも慌ててしまう。

 なにか、サーベト帝国との戦線で重大な出来事でも起こったのかと、そう思ったのだ。


「入らない、何度やっても、入らないのでございますよっ! 」


 そんなエドゥアルドに向かって、ルーシェは涙目になりながら訴えかける。

 その様子は必死そのものだったが、しかし、まったく要領を得なかった。


「ルーシェ、少し落ち着け。

 いったい、なにが、なにに入らないんだ? 」

「ルーが、鞄に、入らないのでございますよ! 」


 事態を理解するためにエドゥアルドが確認の問いかけをすると、ルーシェはブンブンと両手を振り回しながら力説した。


「前は、入ったのに!

 ルー、鞄に入れなくなってしまったのです!


 これでは、エドゥアルドさまについてけませんっ!

 いったい、ルーは、どうすればいいのでしょうかっ!? 」


 ルーシェは、見ていて面白いくらいに動揺していた。

 そしてエドゥアルドの前でジタバタと慌てに慌てている。


(ははぁ、なるほど? )


 エドゥアルドは、ルーシェがどうして慌てているのかを理解して、内心で苦笑するのと同時に、呆れていた。

 ルーシェが以前、アルエット共和国にエドゥアルドが出征した時と同様、旅行鞄に隠れて密航しようとしていたのだと、エドゥアルドにはわかったからだ。


「ルーシェ、お前はまた、僕の出征についてくるつもりだったのか?


 というか、それを僕に言って、どうするんだ? 」


 エドゥアルドは腹の底からクツクツとわきあがってくる笑いを抑え込みながら、心底呆れたような口調でそうルーシェに指摘していた。


「あっ……」


 するとルーシェは、自分が頓珍漢(とんちんか)なことをしていると気がついたのだろう。

 エドゥアルドに隠してこっそりと画策していたことを、エドゥアルドに面と向かって白状してしまっては元も子もないと、冷静さを取り戻した彼女は表情を青ざめさせ、それから、恥ずかしさでしゅんとなって、みるみる顔を赤く染めていく。


 そのルーシェのせわしない変化に、エドゥアルドはたまらず、声を出して笑ってしまっていた。

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