第188話:「仇敵:4」

 アンネ・シュティ。

 エドゥアルドがその名を口にしても、フェヒターは、不思議そうな顔をしただけだった。


「アンネ……?

 アンネ・シュティ? 」


 フェヒターはその名前を、すぐには思い出せない様子だった。


 怪訝(けげん)そうに眉をひそめながらしばらく悩んでいたフェヒターだったが、やがてアンネのことを思い出したのか、驚きをあらわにした。


「アンネって……、アンのことかっ!?

 あの、貧相な身体つきで、やたらと騒がしい、メイドのことか!? 」

「そうだ。

その、アンのことだ。


 実はな、アンは今、僕のところで働いているんだ。

 なぜかと言えば、僕がお前を幽閉していることを知って、きっとお前がヴァイスシュネーにいるだろうと思って、探し出して救出するために、僕のところに潜り込んだのだそうだ。


 正直、僕はとても驚かされた。

 お前に、まさかこんな忠義な臣下がいたとは思っていなかったからな。


 だから、帝国貴族として、忠義者のアンに、お前という褒美(ほうび)をやろうかと考えている。

 そのために、今日、僕はお前をたずねてきたのだ」


 そのエドゥアルドの言葉を聞いたフェヒターは、呆気にとられたような顔をしていた。

 フェヒター自身、アンネのように、フェヒターのことを探そう、救い出そうと考え、実行してくれる者がいるなどとは、まったく思っていなかったようだった。


「フェヒター。

 お前も、自分の現状を理解できているようだから、はっきりと言わせてもらおう。


 正直なところ、今の僕には、お前はもう、脅威ではなくなった。

 エーアリヒ準伯爵を始めとする臣下たちも、公国の国民たちも、僕の統治を受け入れ、信頼してくれている。

 だから、お前を解放したところで、ノルトハーフェン国内を見れば、僕には痛くもかゆくもないんだ。

 今さらお前がノルトハーフェン公爵位を狙ったところで、国内にはもう、お前に同調するような者は1人もいない。


 そして、僕はお前という存在を、持て余している。

 エーアリヒ準伯爵にこれからも働いてもらうためには、お前の罪を深く問うこともできない。

 お前は僕と同じ、ノルトハーフェン公爵家の血を引いているというのもある。


 そこへ、アンという、世にも珍しい、お前に忠義を誓っている者があらわれた。


 僕としては、この際、アンの忠義に免じて、お前を解放してやってもいいと思っている。

 このままお前を幽閉していてもかまわないが、せっかくの機会だし、お前も、その方がいいだろう?


 だが、その前に1つだけ、フェヒター、お前に確認しておかなければならないことがある」


 フェヒターは、エドゥアルドの言葉をしかめっ面をしながら聞いていた。

 かつての仇敵から直接、フェヒターは敗者であり、もはやなんの脅威にもならないほど落ちぶれたのだと、そう宣告されているのだ。


 それはフェヒター自身もよくわかっていることだったが、しかし、こうして面と向かって言われるのはやはり、悔しくてたまらない様子だった。


「……今さら、ノルトハーフェン公爵のお前が、オレに聞かなければならないことというのは、いったいなんだ? 」


 言葉を区切ったエドゥアルドに、フェヒターはしかめっ面をしたまま、そうたずねていた。

 エドゥアルドに勝ち誇られているのは不愉快極まりないことではあるものの、それでもフェヒターがエドゥアルドに話を続けるようにうながしたのは、幽閉を解いてもらえるというのならそれに越したことなどないからだ。


「一番問題なのは、お前が、僕と同じく、ノルトハーフェン公爵家の血を引いている、ということだ」


 エドゥアルドはコンラートが用意し直してくれたコーヒーをひとくちすすり、喉をうるおしてから、フェヒターに今日たずねてきた本題を切り出した。


「国内的には、もう、お前を幽閉しておこうが自由に身としておこうが、僕にとってはなんの問題もないというのは、さっきも言った通りだ。


 しかし、国外的には、問題になる恐れがある。


 たとえば、外国の何者かが、僕という存在を邪魔だと考え、ノルトハーフェン公爵を自分にとって都合のいい存在に置き変えようと画策するような場合。

 その時、ノルトハーフェン公爵家の血を引いているお前という存在は、そういう陰謀を目論む輩にとっては利用価値の大きいものになる。


 これは、たとえば、本当の外国だけではなく、我がタウゼント帝国の他の諸侯が同じような陰謀を企んだ時にも、問題となってくることだ。


 僕が、お前がなんの力も失った存在であるにもかかわらず、幽閉し続けてきたのは、そういう恐れがあったからだ。


 だから僕はお前に、聞いておかなければならない。


 フェヒター。

 お前は、今でも自分でノルトハーフェン公爵になろうと考えているのか?


 もし自由の身になれたら、どんな手段を用いても、それが外国勢力の陰謀に加担し、名ばかりの公爵になれるだけというものでも、その陰謀に加担するつもりなのか?


 今、この場で、はっきりと否定すれば、僕はお前を解放しようと思う。

 無論、お前はノルトハーフェン公爵家の血を引く者だから、このまま公国に留まる場合はこれまで通りの準男爵の地位を与える。

 お前の父親が失ったという領地も、僕の名において取り戻し、お前に与えてやる。


 仇敵といえど、血縁だ。

 それ相応の待遇は約束する。


 だが、もし、お前がどうあっても公爵位をあきらめきれないというのなら、この話はナシ、だ」


 長々と話すと、エドゥアルドはフェヒターの返答を待った。


 フェヒターがまだ、ノルトハーフェン公爵位を欲しがっているのか、どうか。

 フェヒターをアンネの願いに応じて自由の身とするか、それとも、このまま幽閉し続けるかは、すべて、フェヒターの考え次第だった。

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