第152話:「戦訓:1」
帝国が実施した、アルエット共和国に対する侵攻戦争。
その戦訓を、アントンは戦争がどのように進んでいったのかを時系列順にまとめながら、エドゥアルドに説明していった。
まず、開戦に至った経緯。
これは、エドゥアルドもよく知っている。
アルエット共和国が、王制時代の国王とその后(きさき)を処刑したことが、そもそもの原因だ。
自身の妹をアルエット王国の王の后(きさき)として嫁がせていたバ・メール王国の王、アンペール2世がこの仕打ちに激怒し、共和国に対する懲罰戦争を行うと決断したのだ。
帝国は、この懲罰戦争に巻き込まれたと言って良かった。
自国の戦力だけでは目的を達成できないと考えたアンペール2世が、自身と血縁関係にあったタウゼント帝国の被選帝侯の1つ、ズィンゲンガルテン公爵に助けを求め、ズィンゲンガルテン公爵が皇帝に出兵するように要請したことで、帝国が共和国を攻撃するということになったのだ。
それは、甘い見通しで始められた戦争だった。
専制君主制の伝統ある国家の軍隊が、共和制の国家の即席の軍隊に負けるはずがない。
そんな[思い込み]を持ったまま開始された懲罰戦争は、勢いだけで進んでいった。
「しかし、不思議なのは、共和国軍があっさりと国境の要塞を、あの[サン・ルージオン]要塞を王国軍に奪われてしまった、ということです。
今、我が帝国以上の大損害を受けているはずの王国軍がなんとか持ちこたえることができているのは、間違いなく、サン・ルージオン要塞を無傷で占領できたおかげでしょう」
帝国がアルエット共和国の深くにまで侵攻することを決め、諸侯が競うようにグロースフルスを渡河することになるそのきっかけとなったのは、[サン・ルージオン]と名づけられた国境の要塞を、侵攻開始直後にバ・メール王国軍が奪取したという知らせが入ったのが大きかった。
これによって帝国諸侯は[共和国軍、恐れるに足らず]と勇み立ち、熱心に侵攻作戦を主張するようになったのだ。
建設地に著名な教会があったことから、サン・ルージオン、[聖なる信仰]という意味の名を与えられたその要塞は、ヘルデン大陸ではその堅固さと巨大さで知られた存在だった。
防御に適した地形に乏しい北方の防衛の要としてアルエット王国時代から建設が進められた要塞の守りは堅固なものであるのは間違いなく、実際に、数で大きく劣るバ・メール王国軍が善戦していることにつながっている。
アルエット共和国が要塞を堅守していれば。
バ・メール王国はその守りを崩すことができず、共和国内部へと深く侵攻することができなかっただろうし、そもそも帝国はグロースフルスを渡河することなく、じっと勝敗が決するのを待つ、ということになっていたかもしれない。
結果だけを見れば、この要塞の陥落は、アルエット共和国の英雄、ムナール将軍が、帝国と王国を共和国の国内深くにおびきよせて殲滅(せんめつ)するために、罠としてわざと占領させたようにも思えてしまう。
だが、要塞の陥落がムナール将軍の罠だったという考えは、矛盾してもいる。
バ・メール王国軍によって占領される予定の要塞に、共和国軍が多くの大砲と武器弾薬、そして物資を残していったというのは、どうにも不自然だった。
「これは、いろいろ調べてみて判明したことなのですが、どうやら、サン・ルージオン要塞が早期に陥落したことは、ムナール将軍にとっても予定外のことであったようです」
疑問を口にし、腕組みをして首をかしげているエドゥアルドに、アントンは落ち着いた口調で説明を続けた。
どうやらアントンはノルトハーフェン公国に来るまでの間に、多忙でありながらきちんと情報収集を進めていたらしい。
「どうやら、ムナール将軍も最初はサン・ルージオン要塞を活用し、バ・メール王国軍の侵攻を足止めし、我が帝国と王国とが連携することを防ぎ、時間差をもうけて各個に撃破しようと考えていたようです」
「なるほど、確かに、その方がやりやすかっただろう。
ラパン・トルチェの会戦も、共和国軍の増援の到着がズレて足並みがそろわなければ、あそこまでの大敗とはならなかっただろう。
すべてを1度の会戦に賭けるというのは、やはりリスクが大きいように思える。
僕がムナール将軍だったとしても、要塞は活用しようとしただろうな。
しかし、ではどうして、要塞は陥落したのだ? 」
「それがどうやら、要塞の守備を任されていた指揮官が、暴走してしまったようなのです」
アントンはそう言うと、1度コーヒーを口に運んで喉(うるお)をうるおし、きょとんとしているエドゥアルドに説明を再開する。
「要塞の指揮官は、ムナール将軍から、要塞の防衛に徹せよと、そう命じられていたと判明しております。
しかし、要塞の防衛を任されていた指揮官は、[一戦もせずに籠城しては、武人の名折れ]などと申しまして、独断で出撃を決めたようなのです」
現場の独断と暴走が、サン・ルージオン要塞陥落につながったようだった。
籠城するよりも野戦で戦ってバ・メール王国軍と雌雄を決することを望んだ要塞の指揮官は、その指揮下にある兵士たちよりも数で勝るバ・メール王国軍を奇襲して確実に撃破するために、わずかに要塞の守備兵を残し、指揮下のほぼ全軍で出撃した。
しかし、奇襲攻撃はバ・メール王国によって十分に警戒されており、出撃した共和国軍は返り討ちに遭(あ)った。
奇襲を実行に移した指揮官も戦死し、混乱に陥った共和国軍は敗走。
残ったバ・メール王国軍は、逃げて行った共和国軍にかわってサン・ルージオン要塞を占領することができたのだ。
「なるほど……。
共和国軍の将校のすべてムナール将軍のような存在ではない、ということなのか」
エドゥアルドは、複雑そうな表情で腕組みをしながら、そう言っていた。
共和国軍はエドゥアルドから見て強大な存在だったが、共和国軍を強大なものとしているのは間違いなく、ムナール将軍の力量によるところが大きい。
だが、共和国軍も、軍事的な才能があって優秀な指揮官ばかりというわけではない。
いくらムナール将軍が優れた作戦を考えていたとしても、それを現実のものとするために部隊を掌握して動かしている将校の能力が不足していては、どんな作戦も現実のものにはできないだろう。
それは、エドゥアルドにとって朗報でもあった。
ムナール将軍がいくら天才であっても、その指揮下の将校がミスをすれば、エドゥアルドの側も反撃がしやすいからだ。
「しかし、そうだとすると、ムナール将軍は1度自分の作戦が破綻(はたん)した状態から、僕らを罠に引き込んだということになる」
「はい、おっしゃる通りです、殿下。
その点が、ムナール将軍が本当の軍事の天才であることを証明していると、私(わたくし)は思っております」
エドゥアルドの言葉に、アントンは少し表情を険しくしながらうなずいていた。
部下の暴走。
人の感情というコントロールすることの難しい要素によって、自身が描いた作戦が破綻(はたん)したのにも関わらず、ムナール将軍はそこから作戦を立て直し、ラパン・トルチェの会戦で、帝国と王国の連合軍に対して決定的な勝利を得たのだ。
そのことを考えると、やはり、ムナール将軍という存在はおそろしい敵なのだと、エドゥアルドとアントンはそう実感せずにはいられなかった。
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