第111話:「決戦の終わり」
帝国軍の殿(しんがり)を務め、見事、成功させた。
それは、十分に武功として誇ってよいことだった。
共和国軍を、圧倒するはずだった戦い。
しかし、帝国軍はバ・メール王国軍と共にムナール将軍の罠に陥り、大敗することとなった。
その敗北の中で、エドゥアルドとノルトハーフェン公国軍は、大きな戦功を得ることができた。
この戦いを機に、きっと、帝国諸侯の間で、エドゥアルドを若年だからと甘く見るものもいなくなるはずだった。
エドゥアルドが公爵として実権を握ってから実施して来た数々の改革が実を結んだのとドジに、ヴィルヘルムという助言者の存在が大きい。
自身の行ってきたことの成果をようやく手にしたという実感と共に、優秀な人材を得ることの重要性を再確認したエドゥアルドにとって、少なくない実りのある戦いだった。
しかし、帝国が払った代償は、大きい。
共和国軍の追撃を断念させ、隊列を整えて整然と撤退するエドゥアルドたちの周囲には、帝国軍が遺棄(いき)していった様々なものが残されている。
大量の武器・弾薬に、大砲。
アルエット共和国で帝国軍がかき集めた物資の山。
帝国の国旗や、軍旗も数多く捨てられたままになっていた。
なにより痛ましいのは、多くの戦死者や負傷者たちが取り残されていることだった。
なんとか戦場からの脱出に成功したものの、撤退する友軍について行くことができずに倒れた兵士たちが、帝国軍が撤退していった経路に沿って点々と、時にひと塊(かたまり)となって、取り残されている。
エドゥアルドたちも、多くの負傷者、戦死者を、置き去りにしてきた。
共和国軍の追撃を食い止めたとはいえ、彼らを収容しているような余裕はなかったのだ。
だが、できる限り、負傷兵たちは救ってやりたかった。
エドゥアルドは撤退する経路上で負傷兵を見つけると、まだ動く馬車にできるだけ多く乗せた。
馬車を引く馬も残っていなかったが、そこは、騎兵を下馬させ、馬車を引かせることで解決した。
騎兵用の馬は、馬車を引くために品種改良された馬とは種類が異なっているため、本来であればこのような用途には使うべきではないのだが、歩く力の残っていない負傷兵たちをできるだけ多く連れていくためには他に手段がなかったのだ。
(僕たちは、手柄を立てた。
しかし、帝国は、勝利者ではない)
エドゥアルドはこの戦いの中で確かな手ごたえを感じてはいたものの、しかし、晴れやかな気分にはなれなかった。
戦場で戦えば、そこには、勝者と敗者が生まれる。
それは当然のことではあったが、しかし、実際に敗者という身になってみると、惨(みじ)めなものだった。
帝国の国威をあらわすものとして、誇らしく掲(かか)げていた旗が無残に打ち捨てられ、戦塵(せんじん)を共に浴びた戦友の屍(しかばね)を、埋葬(まいそう)することさえできずに置き去りにしなければならないのだ。
エドゥアルドは公爵としてふさわしい力量を身につけるために、多くの書籍(しょせき)を学んできた。
過去に行われた様々な戦争、いくつもの戦いを学んだ。
だが、その書籍の上では、すべてが文字であらわされていた。
どれほど大きく、激しい戦いでも、記されているのは[○○人の損害が生じた]といった、数字でしかなかった。
その数字で見るのと、実際の戦場で犠牲者たちを目にするのとでは、まるで違う。
書籍上で目にするのは、紙の上にインクで印刷された無機質な文字に過ぎなかったが、実際の戦場で目にするのは、ほんの少し前までは生きていた生身の人間なのだ。
今日、犠牲となった人々のことを、決して忘れない。
それは、使い古された陳腐(ちんぷ)な言い回しではあったが、エドゥアルドはそう誓わずにはいられなかった。
ノルトハーフェン公国軍も、少なくない犠牲を払っているのだ。
殿(しんがり)で生じた犠牲は、状況から考えれば最小限であるはずだったが、それでも数百の戦死者・負傷者を、戦場に置き去りにしてきた。
一時、共和国軍の騎兵突撃を許し、包囲攻撃を受けたアントンの皇帝親衛隊が受けた損害は、千を超える。
会戦全体で帝国が受けた打撃がどれほどになるかは、帝国領に撤退してからでないとはっきりとは出せないだろうが、少なくとも数万を数えることは覚悟しなければならない。
たった1日で、それほど多くの人命が失われたのだ。
それは、書籍の上で数字として見るのとは違う、恐ろしい実感をともなった犠牲だった。
その、人的な損失に比べれば些細(ささい)なことかもしれなかったが、物的な損害も大きい。
ノルトハーフェン公国軍は、戦場に持ち込んだ計36門の野戦砲のすべてを喪失(そうしつ)したし、帝国軍全体で見れば、100門以上の火砲を失ったはずだった。
また、小銃などの武器も、数万丁が失われたはずで、それら膨大(ぼうだい)な兵器を補充するには、多額の費用と多くの時間が必要となるはずだった。
エドゥアルドは戦場で戦功をあげたが、頭の痛くなるような問題が山積みだった。
ラパン・トルチェの会戦でタウゼント帝国とバ・メール王国の連合軍を打ち破ったアルエット共和国と、これからどのように相対していくのか。
それは皇帝など帝国の中枢が決めることではあったが、エドゥアルドもまったく無関係だと、我関せずと決め込むことはできない問題だ。
多くの諸侯が大打撃を受けた中で、ノルトハーフェン公国軍は比較するとかなり軽傷な部類であり、アルエット共和国と帝国が対峙していくうえで果たすべき役割は大きくなるはずだからだ。
それだけではなく、帝国を今後、どのように立て直していくかも、重要だ。
それは、失われた軍備を再建するということだけではない。
この会戦で帝国が大敗した最大の原因である、帝国の旧態依然とした体制を改革しなければならないのだ。
自分は、ノルトハーフェン公爵。
だから、自分は、自分の国家のことを第一に考えて行けばいい。
エドゥアルドはそう思っていたのだが、それは、違っていると思い知らされた。
ノルトハーフェン公国は、タウゼント帝国という大きな国家を構成する国家だ。
半ば独立しているような存在とはいえ、エドゥアルドが望もうと望むまいと、タウゼント帝国からノルトハーフェン公国は多大な影響を受ける。
出兵のためにエドゥアルドは鉄道事業を中断しなければならなかったし、出兵のために多額の費用もかけなければならなかったし、なにより、多くの人命を失った。
ノルトハーフェン公国の人々が、豊かに、平穏に暮らして行けるようにする。
それがエドゥアルドの望みであったが、しかし、そのためには、タウゼント帝国そのものが豊かで、平穏でなければならないのだと、気づかされた。
(皇帝、か……)
エドゥアルドは、あの、凡庸な皇帝、カール11世のことを思わずにはいられなかった。
平和な時代であれば、カール11世のような皇帝の方がむしろよいとも言える。
凡庸な皇帝であれば、なにか大きな変化をもたらすようなことはないはずだったし、平穏無事な情勢であれば、なにも問題はないのだ。
しかし、タウゼント帝国はこれから、共和制という、専制君主制を否定したうえで成り立っている、これまで向き合ったことのない異質な存在と向き合うことになる。
そんな状況を、カール11世は切り抜けることができるのか。
難しいだろうとしか、思えない。
ノルトハーフェン公国を豊かで平穏な国家とするためには、タウゼント帝国の旧態依然とした体制を改革し、新しい時代に合わせて適合させなければならない。
しかし、それを指導するべき立場にある者にその力量はない。
かといって、エドゥアルドがどうこうすることもできない。
エドゥアルドには、それがもどかしく思えていた。
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