第99話:「殿(しんがり):3」

 アントンは、この敗戦を自らの責任とし、命を絶つつもりだった。

 しかし、エドゥアルドはそれを、なんとしてでも阻止したかった。


 アントンは、現在のタウゼント帝国で、もっともすぐれた軍事指揮官だ。

 確かに彼には大きな責任があったが、だからと言ってアントンを失ってしまえば、帝国は相当、弱体化する。


 ラパン・トルチェ会戦で敗北した以上、アルエット共和国はそのまま、このヘルデン大陸上に存在し続けるだろう。

 古くから存在していた帝国の軍とは異なった、新しい、異質な軍である共和国軍が、アレクサンデル・ムナールという型破りな軍事的天才によって、指揮され続けるのだ。


 そして、それは帝国もまた、同様だ。

 このヘルデン大陸に、共和制の国家と、専制君主制の国家が同時に存在することになる。


 きっと、帝国と共和国の間では、新たな衝突(しょうとつ)が起こるだろう。

 そしてそうなった時に、いったい誰が、ムナール将軍に対して対抗できるのか。


 その有力候補、というか、今のところ唯一の候補が、アントンだった。


「アントン殿。

 貴殿の覚悟は、僕は、立派だと思う。


 しかし、そこを曲げて、考え直してもらいたい。


 今、帝国の将校たちや、諸侯たちを僕なりに見てみると、貴殿に勝る軍事指揮官は他にはいない。

 貴殿は確かにムナール将軍の後手に回りはしたが、貴殿は常に、ムナール将軍の考えていることを、ほとんど誤りなく想定できていた。


 貴殿以外に、ムナール将軍に対処できる者は、帝国にはきっと、いない。


 この戦いが帝国の敗北となったということは、今後も、このヘルデン大陸上に、ムナール将軍と、彼に率いられたアルエット共和国軍が存在し続けることになるということだ。


 必ず、新たに衝突が起こる。

 その時、貴殿を欠いた我が帝国は、ムナール将軍にどうやって対抗できるだろうか?


 責任、というのであれば、我が帝国に今回の敗戦の雪辱(せつじょく)を果たさせるのが、貴殿の責任、いや、義務であるのではないか? 」


 エドゥアルドの説得を、アントンはやや顔をうつむけて、両目を閉じてじっと聞いていた。

 死をすでに決意しているアントンだったが、エドゥアルドの言葉を受けて、あらためて考えざるを得ないのだろう。


「エドゥアルド公爵殿下。

 殿下のご温情、身に染みわたるようでございます」


 やがてアントンは、感情を抑えるように少し声を震わせながら、そう言った。

 だが、顔をあげ、エドゥアルドを正面から見つめ返すアントンの顔に、彼の決意が揺らいだ様子はなかった。


「もし、アルエット共和国軍に対して今日の雪辱(せつじょく)を果たせるのであれば、それは、私(わたくし)にとっての本望でございます。


 しかしながら、私(わたくし)はこの戦いで多くの将兵を失うこととなり、皇帝陛下のご期待に応えることができませんでした。


 死をもって、その罪を償う。

 そうしなければ、後々、我が帝国の人々の言葉は、羽毛のように軽くなりましょう。

 帝国には欺瞞(ぎまん)と無責任とがはびこり、誰も真摯(しんし)になにかをしようという者は、いなくなりましょう。


 それは、私(わたくし)の望むことではございません」


 エドゥアルドは、アントンにそれ以上、翻意(ほんい)をうながすことができなくなってしまった。


 アントンを死なせたくない。

 ますますそう思うようになりはしたものの、エドゥアルドの言葉では、アントンを説得しきることは難しいと、そう思い知らされたからだ。


「……すまなかった、アントン殿。

 僕が貴殿の覚悟に、とやかく言うべきではなかった」


 エドゥアルドがそう言って謝罪すると、アントンはかすかに微笑んだ。


「いえ、エドゥアルド公爵殿下のお言葉、大変、ありがたく存じます。


 ですが、今は、見事に殿を努めねばなりません。

 さっそく、ご命令をいただければと存じます」

「む……。

 わかった」


 そして、言外に「自分に見事な死に場所を与えてくれ」とアントンに言われたエドゥアルドは、表情を険しくして考え込む。


 やはり、アントンを死なせるわけにはいかないと、そう思う。

 自分の行いにこれだけの責任をもって臨める人物は、それだけで貴重だからだ。


「プロフェートという者が、僕の陣営にいる。

 その者は、相当な知恵者だ。


 きっと、この状況にも、なにか策を考えているはずだ。

 僕は、その者の意見を聞くべきだと思う。


 アントン殿、同行していただけないか? 」

「……かしこまりました」


 少しだけ考えたエドゥアルドは、アントンにそう言うと、彼の返事を聞く前にノルトハーフェン公国軍の陣営に向かい始めていた。


 そうしながら、エドゥアルドは自身の思考を切り替える。

 死を決意しているアントンを、どうやって翻意(ほんい)させるか。

 それはエドゥアルドにとってあきらめきれないことではあったが、今はどうやって殿を成功させ、生きて帰還するかが問題だった。


 まだまだ、やり残したことがたくさんあるのだ。

 ようやく芽吹き始めたエドゥアルドの改革の成果を自分自身の目で確かめたかったし、ノルトハーフェン公国を平和で豊かな国にするというエドゥアルドの夢は、まだ叶えられていない。


 それに、今もエドゥアルドのことを案じてくれているはずの少女との約束も、ある。


(うまく、逃げてくれればいいのだが)


 ちらりとルーシェしゃシャルロッテ、マーリアやゲオルクたちの顔を思い浮かべたエドゥアルドは、愛用している青鹿毛の馬にまたがり、同じく馬にまたがったアントンと共に、この状況の打開策を知っているかもしれないヴィルヘルムに会うために、ノルトハーフェン公国軍の陣営に向かって馬を駆けさせた。

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