第85話:「天命」

 共和制。

 それは、エドゥアルドをはじめ、今現在、ヘルデン大陸に暮らす人々を統治しているひと握りの特権階級である貴族たちにとって、未知の存在であった。


 そして、明日の決戦の結果によっては、エドゥアルドたち貴族階級は、この未知に、否も応もなく向き合わなければならなくなる。


 ムナール将軍率いる共和国軍に、本当に、勝てるのか。

 アントン大将が危惧していたような、情報の不確実性からだけではなく、もし敗北することになれば、途方もないことが起こるのではないかという、不安。


「公爵殿下。


 私(わたくし)は、明日の決戦の勝敗について、これと言って、断言はいたしかねます」


 ヴィルヘルムは、普段と何も変わらない表情で、口調で、エドゥアルドの質問にそう言って答える。

 そのヴィルヘルムの言葉に、エドゥアルドは不満そうな表情を浮かべた。


 確か、ヴィルヘルムはソヴァジヌから帝国軍を進軍させるようにエドゥアルドに述べた時も、決戦の勝敗については明確な言を出してはいない。

 その時からヴィルヘルムの言っていることは変わっておらず、矛盾はない。


 しかし、エドゥアルドには、ヴィルヘルムが自らの立場を守るために、はぐらかしているのではないかと思えたのだ。


 この場でなにか断言してしまってそれが外れれば、責任を負わされるのではないか。

 ヴィルヘルムがそんな不安から、保身のためにはぐらかすようなことを言ったのではないかと、そうエドゥアルドには思えた。


「もしも、殿下が、明日の勝敗そのものではなく、その後についてご懸念でしたら、そのご心配は、無用であると存じます。


 なぜなら、明日の決戦がどうであろうと、殿下がなさるべきことは、なにも変わらないからでございます」


 しかし、ヴィルヘルムはそんなエドゥアルドの不審そうな様子にも表情一つ変えずに、さらにそう言葉を続けた。


「たとえ、共和制というものが、このヘルデン大陸上で大きく光り輝くのだといたしましても、殿下のなされるべきこと、それは、良き公爵となり、殿下の公国を良き国に、その民を豊かにし、平和に、誰もが安心して暮らすことのできるものとすることでございます。


 元よりそれは、殿下が、すでに熱心に取り組まれておりますところでございます。


 そして、殿下の改革はまだまだ始まったばかりであり、その本当の真価は、これから見えてくるものでございましょう。


 ですが、今、ノルトハーフェン公国の民に、「誰がその統治者としてふさわしいか」を問いましたのなら、そのほとんどの者が、「それはエドゥアルド公爵殿下である」と答えるでしょう。


 他の者はいざしらず、私(わたくし)も、ノルトハーフェンの民草も、殿下の行われようとしていることを心から歓迎し、そして、その果実が実ることを、心待ちにしております。


 いったい、明日の決戦の勝敗の行方を、殿下が深刻にご心配になる必要が、どこにございましょう。

 たとえ、共和制によって、民衆が自らの手で統治者を選ぶことを望むのだとしても、殿下はご自身のご器量と行いによって、殿下こそがもっともその地位と責務にふさわしいのだと、お示しになればよろしいのです。


 そして殿下は、私(わたくし)からすれば、すでにもっともノルトハーフェン公爵としてふさわしいお方でございます」


 エドゥアルドはそのヴィルヘルムの言葉に、なるほど、と思うのと同時に、こそばゆい感覚を覚えていた。


 たしかに、ヴィルヘルムの言うとおりだった。

 明日の決戦の勝敗がどうであろうと、エドゥアルドがやるべきことは、なにも変わらないのだ。


 ノルトハーフェン公爵として、ノルトハーフェン公国を強く、豊かな国にする。

 ルーシェのように、今日のことさえわからないほど、追い詰められている暮らしをしている人々に救済の手を差し伸べ、エドゥアルドの統治の下で、ノルトハーフェン公国に暮らすすべての人々が、安心し、幸せに暮らすことができるようにする。


 そのための、富国強兵。

 そのための、ノルトハーフェン公爵。

 そのための、エドゥアルドなのだ。


 たとえ共和制がこの世界に根づき、これまで旧態依然としたまま続いて来た専制君主制が揺らぐのだとしても、エドゥアルドが行うべきこと、行いたいことは、なにも変わらない。


 そして、ヴィルヘルムが言うとおり、エドゥアルドがそうやって、良き公爵として歩み続ける限り、少なくともノルトハーフェン公国に暮らす人々は、その統治者としてエドゥアルドを選び続け、支持し続けるだろう。


「殿下は、[天命]という言葉を、ご存じでしょうか? 」

「……それは、遥か東の方にあるという国家の思想であったな? 」


 野営地に向かって進み続けるエドゥアルドの隣に並び、エドゥアルドと近い距離で問いかけてくるヴィルヘルムに、エドゥアルドは少し視線を泳がせてからそう言ってうなずく。

 ヴィルヘルムの講義で、そういった思想のことを教えられた記憶がある。


「確か、遥か東の方にある国家では、君主が統治を行う権利は、天、つまり、神のような存在によって、与えられるものである、というのが、天命であったな?


 しかし、もしも君主が[徳]を、民衆を安泰に統治していくための態度や努力を怠れば、天命は失われ、その君主も、その君主の王朝も、倒されることとなる」

「左様でございます、殿下。


 そして、その、天命を失った君主を滅ぼすのは、天、神のようなものでは、ございません。


 いつも、民衆が、圧政者を倒すのでございます」

「……なるほど。


 似ている、な」


 エドゥアルドは、感慨深い気持ちになっていた。


 人々を安泰に統治していくための努力を怠れば、その君主は天命を失い、滅ぼされる。

 そしてそれは、民衆の手によって行われる。


 今日の、アルエット共和国の状況に、よく似ている。


 そして、もしもエドゥアルドが[天命]を失うようなことがあれば、きっと、同じように滅びの道をたどることになるだろう。


「わかった。


 感謝する、プロフェート殿。

 おかげで、僕のやるべきことが、はっきりとしたような気がする」

「もったいないお言葉でございます」


 短く、だが、率直に述べられたエドゥアルドの感謝の言葉に、プロフェートは、少しだけ満足そうな様子でうなずいていた。

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