第78話:「活路:2」
エドゥアルドはヴィルヘルムの献策を皇帝・カール11世へと進言する前に、オストヴィーゼ公爵・クラウスや、帝国軍大将・アントンに、事前に話を持ちかけた。
若輩のエドゥアルドが1人で言うよりも、クラウスやアントンのように、すでに帝国軍の諸侯の中で十分な知名度を持っている者の賛同を得ていれば、説得力が強くなるだろうと考えたからだ。
幸い、クラウスもアントンも、エドゥアルドの提案にすぐに賛同してくれた。
クラウスは、エドゥアルドが自国も苦しい中で物資を融通してくれたことに感謝してくれていたし、アントンも、この行き詰った現状を打開するためには、前進か、撤退か、2つに1つしかないと考えていたからだ。
話がまとまると、クラウスとアントンはエドゥアルドのために、カール11世への謁見(えっけん)のおぜん立てを引き受けてくれた。
やはり相応の知名度を持った有力者の力はあなどれず、エドゥアルドは略奪が起こったその日のうちに、まだ火をかけられた家々の火災がおさまらずくすぶっているうちに、謁見(えっけん)を果たすことができた。
そして、皇帝自身も、すんなりとエドゥアルドの提案を受け入れてくれた。
先にアントンがカール11世にエドゥアルドの進言する内容を詳しく説明しており、それが帝国軍にとって唯一の勝機をもたらす手段であると、アントンがそう太鼓判を押してくれていたからだ。
こうして、帝国軍は再び、アルエット共和国の首都へ向かって進撃を再開した。
ただし、その進路はまっすぐ西にではなく、北西へ。
バ・メール王国軍との合流を果たし、ムナール将軍の下にある兵力に対抗できるように力を合わせ、一気に首都へと迫って、勝負を決するためだった。
ソヴァジヌで長く補給を待っていた帝国軍だったが、決して、ただ傍観(ぼうかん)していたわけではない。
交通の便が良いことを利用して偵察の騎兵部隊を盛んに出しており、周囲の情報収集は熱心に行われていた。
騎兵たちの報告により、バ・メール王国軍はすでに、アルエット共和国の首都まで100キロメートルという距離にまで迫っているのだということが判明した。
軍の規模が帝国軍よりもやや小さかったことからバ・メール王国軍は補給事情が多少は良く、その進撃も帝国軍よりも順調だった様子だった。
しかし、バ・メール王国軍を率いる国王、アンペール2世は、帝国軍がソヴァジヌで立ち往生していると聞き、単独での首都への進撃をやめて、様子をうかがっていたのだという。
帝国軍がすんなり進撃を再開したのには、アンペール2世から帝国軍に早く進撃を再開するように催促(さいそく)する伝令が届いたからでもあった。
バ・メール王国軍は、国境付近の防衛は本国からの増援部隊に任せ、アルエット共和国に侵攻を開始した時のまま、およそ8万の軍勢を保っているとのことだった。
ここに帝国軍が合流すれば、総勢で、20万にもなる計算だった。
これに対するアルエット共和国軍は、首都近辺に、ムナール将軍を中心として、10万の軍勢を集結させ、防備を固めているということだった。
帝国とバ・メール王国軍の総力を合わせれば、倍の兵力によってムナール将軍の軍を攻撃することができるはずだった。
もし共和国軍が堅固な要塞にでもこもっているのであれば、そう話は単純ではなかっただろう。
しかし、共和国軍が集結し、ムナール将軍の作戦からか帝国軍とバ・メール王国軍が消耗するのを待っている首都、オルタンシアは、城壁を持たない都市だった。
かつては、そこにも立派な城壁があった。
中世の戦争では、何度か、戦火からオルタンシアの市街地を守ったという歴史も持つ、強固な要塞があったのだ。
しかし、近代に入って従来の石造りの城壁が、大砲などの攻撃に対して脆弱であると判明すると、まだ王政が続いていた時代に、首都をより発展させるための足枷(あしかせ)となっていた城壁を、時の国王が破壊したのだ。
それによってオルタンシアの街は、ヘルデン大陸でも有数の大都市へと発展し、その繁栄ぶりと、市街地の美しさから「華の都」などとも呼ばれている。
だが、今のエドゥアルドたちにとっては、城壁のないことは幸運だった。
もしムナールがオルタンシアを守ろうとすれば、その外に出て、帝国軍とバ・メール王国軍と戦わなければならないからだ。
おそらくは、この戦争の雌雄は、野戦にて決着がつくこととなる。
そして、双方が強固な要塞や陣地に拠って戦うことができない野戦においては、兵力の差が勝敗に大きく関わってきやすい。
つまり、補給不足で万全の状態ではなくとも、帝国軍が勝利できる可能性はあるということだった。
もちろん、ムナール将軍が民衆への被害を無視して市街地戦を挑んで来るという可能性もあった。
そうなれば帝国軍は苦戦するに違いなかったが、その場合は適当に戦って、「首都を攻撃した」という事実を「戦果」とし、早々に撤退を進言すればいいと、エドゥアルドはヴィルヘルムからそう聞かされている。
帝国軍が現状、撤退という選択を選べないのは、「出兵したのにも関わらず、なんの成果もない」からだ。
敵の首都を攻撃したという「理由」があれば、帝国軍はそこでようやく、進退の自由を手にできることになる。
そのためにも、帝国軍は進まなければならなかった。
もし決戦が行われるのならば、早ければ早いほど、いい。
物資不足に悩む帝国軍は、進撃する経路上に残されたわずかな物資をかき集めながら進み続けており、1か所に長くとどまっていることはできない。
だからもし、オルタンシアの前面で共和国軍と長く対峙(たいじ)することにでもなれば、帝国軍はまた、補給不足による困窮(こんきゅう)に直面することとなってしまう。
だから、帝国軍は進撃を急いだ。
略奪が行われたその翌日には諸侯を集めて軍議を開き、その場で準備が整った者から進撃を開始すると、カール11世自身が決定を下すと、帝国軍は慌ただしくソヴァジヌを離れていった。
そして、その進撃の経路も、これまでのように1本の街道に頼ることなく、3本の街道を使って行うこととされた。
これは、単純に1本の街道だけでは帝国軍が短時間で進撃することが不可能であったことと、軍が通過する地域での現地調達を少しでもやりやすくするためだった。
すでに他の部隊が先に通った後だったら、後続の部隊が現地調達できる物資は少なくなるだろう。
ソヴァジヌにたどり着くまでは、勝利はすぐ目前だという高揚感と、帝国から出発する時に持ち出した物資の余裕があったから1本の街道をぞろぞろと進んで行ってもなんとかなったが、今の帝国軍は確実に物資を確保していかなければならない窮状にある。
帝国軍の進撃は、こういった配慮もあって、順調に進んでいった。
それに、相変わらず、アルエット共和国軍からの反撃も、まったくと言っていいほど、ない。
敵将、ムナールの沈黙は、不気味だった。
彼は共和国の首都・オルタンシアで、帝国軍が衰弱していくことをただじっと、待っている。
すべては、[その時]のためであるはずだった。
ムナールは、帝国軍が最も弱体化した瞬間を狙い、一気に決着をつけるつもりでいるのだ。
罠に飛び込んでいく。
エドゥアルドを始めとして、すでに、多くの諸侯がそれに気づきつつある。
しかし、皇帝の勅命で軍を起こしてしまった以上、戦わずに引き下がることもできはしない。
不利と分かっていながらも、わずかな勝機にかけるしかない。
攻めているのは、帝国軍であり、バ・メール王国軍であるはずだった。
しかし、この戦争の主導権は、いつのまにか、アレクサンデル・ムナールという1人の軍事的天才によって、掌握(しょうあく)されてしまっている。
そんな、重苦しい焦燥と不安とを抱きながら、進撃を続けた帝国軍は、とうとう、バ・メール王国軍との合流を果たした。
共和国の首都・オルタンシアは、すでに目前だった。
そして、そこで待ち受けるムナール将軍と10万の共和国軍と、帝国軍との間には、ラパン・トルチェと呼ばれる平原が広がっていた。
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