第76話:「略奪:2」

 無抵抗の民衆が、帝国軍の兵士たちによって一方的に、傷つけられている。


 その現実を目にした瞬間、エドゥアルドは、自身の全身の血液が一度に沸騰(ふっとう)したかのような感覚を覚えていた。


「ペーター!

 ただちに、我が軍の兵士たちを出動させよ! 」


 そしてエドゥアルドは、太っちょな体型のために、せぇはぁと荒い息をしながらようやく見張り台の階段をのぼりきって到着したペーターに向かって、鋭い、断固とした口調でそう命じていた。


「無抵抗の民衆に発砲するなど、同胞であろうと決して許せん!


 ペーター、我がノルトハーフェン公国軍の威力を持って、この略奪を停止させよ!

 従わなければ、我が方も発砲を許可する! 」

「お待ちくださいませ、殿下」


 怒りに身体を震わせながら命じたエドゥアルドにそう言ったのは、ヴィルヘルムだった。


「なぜだ、ヴィルヘルム! 」


 激高(げっこう)しているエドゥアルドは、怒りの表情のまま、ヴィルヘルムのことをそう呼び捨てにして睨みつけていた。


 そんなエドゥアルドに向かって、ヴィルヘルムは、静かな、こんな時でも変わらない柔和な笑みで、進言する。


「殿下のお怒りは、ごもっともなことでございます。


 しかしながら、ここは敵地で、今は戦時でございます。

 そのような場所、そのような時に、友軍同士、相討つことなど、あってはならないことでございます」

「僕は、あれを、友軍とは思わぬ! 」


 しかし、ヴィルヘルムの言葉にも、エドゥアルドの怒りは収まらない。

 それどころか、むしろ、エドゥアルドの怒りは激しく燃え盛っていた。


「これまで、このソヴァジヌの人々は、我が帝国に対し、少しの反抗もしてこなかったではないか!

 我が帝国軍の進軍に対し、無血で開城しただけではなく、彼らの物資を我らに差し出して来たのだ!


 そんな民衆に対し、発砲し、武力でもって弾圧する!


 そこに、いったい、なんの正義があるというのか!?

 それを、僕と同じ、帝国の者が行っていることなど、到底、認められない! 」

「殿下。

 略奪を行っているのは、どうやら、ヴェストヘルゼン公国軍と、ズィンゲンガルテン公国軍であるようでございます」


 いくらヴィルヘルムの言うことでも、受け入れられない。

 エドゥアルドの態度は頑ななものだったが、ヴィルヘルムはそれに気圧されることなく、むしろ1歩前に進んで、さらに言葉を続けてエドゥアルドを説得しようとする。


「おそらくは、両公爵は物資不足に直面し、止むを得ず民衆から徴発しようとしたのでございましょう。

 しかし、民衆といたしましても、すでに多くを差し出しているために、容認できなかった。

 だから両公国の兵士たちは、このような暴挙に及んでいるのでございましょう。


 殿下、どうか、ここが敵地であるということを、思い出してくださいませ。

 もし、ここで物資の欠乏によって軍の力を失えば、たちまち、アルエット共和国軍が反撃して参りましょう。

 そうなっては、現在の帝国軍では、長く防ぐことはできないでしょう。


 そして、私(わたくし)の見るところ、それこそが、敵将、ムナール殿のお考えなのです。


 もし物資不足により軍が弱れば、我が帝国はこの戦争に敗れ、我が軍は敗走し、多くの者が、祖国へ帰ることはできないでしょう。

 そういった事態を招かぬためには、どうしても、物資が必要なのでございます。


 幸いにして我がノルトハーフェン公国軍にはすでに1度補給があり、皇帝陛下を始め、いくつかの諸侯、そしてオストヴィーゼ公国軍にも融通しております。

 しかしながら、ヴェストヘルゼン公国軍、ズィンゲンガルテン公国軍ともに、まともな補給を受けられておりません。


 両公爵としても、兵士たちを飢えさせ、戦わぬうちに軍を潰えさせるよりは、と、やむを得ぬ決断を下したのでございましょう。


 殿下。

 なにとぞ、今が戦時であり、ここが敵地であることを、よくよく、お考え下さいませ。

 そのような場所で、協力するべき友軍同士で戦うなど、あってはならないことでございます」


 ヴィルヘルムの説得は長々としたものであったが、それは、エドゥアルドに落ち着かせる時間を与えるという狙いもあったのだろう。

 実際、少し頭にのぼった血が下がって来たエドゥアルドは、さすがに、同じ帝国軍に向かって発砲せよとの命令は、行き過ぎであったと考え直していた。


 しかし、それでエドゥアルドの怒りが消えたわけではない。


「なら、今から両公爵のところに乗り込んで……。

 いや! 皇帝陛下に直接、言上を申し上げ、略奪をやめさせる! 」

「それも、いけません、殿下」


 皇帝、カール11世の言葉であれば、誰もが従うはずだ。

 そう考えたエドゥアルドだったが、ヴィルヘルムは首を左右に振った。


「もし、万が一、皇帝陛下がこの略奪を容認なされていた場合を、お考え下さいませ。

 そうであるとしたら、殿下は、皇帝陛下のご意志に逆らうことになってしまいます。


 皇帝陛下がこの略奪が行われるのをご存じなかったのだとしても、殿下が略奪を止めるように言上申し上げても、それを受け入れてくださるとも、限りません。


 この軍は、皇帝陛下御自身が起こされたものです。

 そして、我が帝国軍はまだ、なんらの戦果もあげておりません。


 補給不足であっても、容易には撤兵など、できはいたしません。

 ですから、この略奪が突発的なものであり、皇帝陛下がご存じなかったことであっても、すでに起こっていることをあえて止めようとはなさらぬかもしれません。


 そして、もしもそのような判断を皇帝陛下がなされたら、殿下のお立場はきっと、お悪くなりましょう。

 皇帝陛下と殿下のご意見が合わず、また、殿下が諸侯に対して、内心でお怒りを抱いていると、諸侯の知るところとなってしまうからでございます。


 アルエット共和国の民衆は、殿下の民ではございません。

 ですが、皇帝陛下は殿下の皇帝陛下であり、諸侯は、同じ主君をいただく方々でございます。

 どうか、どちらが殿下と、我がノルトハーフェン公国にとって大切なものか、見誤らないでくださいませ。


 殿下のお怒りは、ごもっともでございます。

 ですが、今はなにもなさらず、中立のお立場をとるべきでございます」


 エドゥアルドには、ヴィルヘルムの言っていることが理解できた。

 理解、できてしまうのだ。


 今は、中立、すなわち、傍観者としての立場をとるべきだというのが、ノルトハーフェン公国にとってもっとも良いと、エドゥアルドにもわかってしまった。


「……ならば、僕は、どうすればいい?

 頼む、プロフェート殿。

 どうか、僕に、教えてくれ」


 だが、とても、納得できない。

 エドゥアルドは自身の立場を呪いながら、両手をきつく握りしめ、ヴィルヘルムに絞り出すような悲痛な声でそう問いかけていた。

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