第72話:「補給問題:3」

 エドゥアルドはクラウスによって身動きを封じられたまま、ゴクリ、と唾(つば)を飲み込んだ。

 額を、にじんだ冷や汗が伝う。


 ここで物資を融通したら、困ったことになる。

 エドゥアルドは兵士たちへの食糧の配給を大きく絞り込まねばならず、ノルトハーフェン公国軍の士気は他の帝国諸侯と同様に低下してしまう。

 それだけでなく、次の補給を得られる見込みがない以上、下手をすると兵士たちを飢えさせることにもなりかねない。


 せっかく、一国を統治する権利を取り戻したのだ。

 公爵として実権を手にした以上は、エドゥアルドの力によって人々を幸福にしたいし、兵士たちを飢えさせるような事態は、絶対に避けたい。


 しかし、オストヴィーゼ公国との外交関係は重要だった。

 ノルトハーフェン公国にとっての交易の[お得意先]であったし、両国との間に結ばれた盟友関係によって、エドゥアルドは若年でありながらも他の諸侯たちから相応に[重く]あつかわれることができている。


 オストヴィーゼ公国との外交関係がこじれれば、これからエドゥアルドが行おうとしていたノルトハーフェン公国を豊かで強い国にするための計画が、大きく狂ってしまうのだ。


 しかも、クラウスは、エドゥアルドに[領地を渡す]とまで言っている。

 盟約を結ぶのにあたり、エドゥアルドは両公国の間で係争地となっていた地域の領有権問題で全面的な譲歩をし、クラウスに自国の領土を明け渡している。

 それを、クラウスは返すといっている。


 口約束でもあることだし、後になって知らぬ存ぜぬを決め込まれる可能性もあったが、元々エドゥアルドの方から手放したものだったし、それが穏便に返却される可能性が生まれるというのは、魅力的なものだった。


 兵士たちを飢えさせる危険を承知で、物資を融通するか。

 それとも、拒否するか。


 エドゥアルドは迷って、自分1人では結論を出すことができなかった。


 その時、エドゥアルドは、かつてヴィルヘルムから教えられたあることを思い出していた。


 自分がリーダーだからといって、すべての責任を背負い込む必要はない。

 手に負えないことがあれば、周囲の、エドゥアルドのために力を貸してくれる人々を頼ればいい。


 そのヴィルヘルムからの教えを思い出したエドゥアルドは、ヴィルヘルムの方へと視線を向け、真剣に[キュウエンヲコウ]と訴えかけた。


 ヴィルヘルムは、エドゥアルドからの視線に気づいた。

 そして、いつもの柔和な笑みはそのままに、エドゥアルドにうなずいてみせる。


 だが、エドゥアルドに助け舟を出そうとしたヴィルヘルムは、口を開きかけたところでまた、口を閉じてしまった。

 その視線は、エドゥアルドとクラウスの、そのさらに背後へと向けられている。


(いったい、なんだ? )


 エドゥアルドがそう怪訝(けげん)に思った時、気配を消し、いつの間にかクラウスの背後に立っていたシャルロッテが口を開いた。


「クラウス公爵様。

 あまり、我が主をいじめないでいただけませんか? 」

「ひょほぅっ!!? 」


 自身の背後から聞こえてきたシャルロッテの冷ややかな言葉に、クラウスは悲鳴をあげ、身体を跳ねさせて大慌てでエドゥアルドの近くから飛びのいた。

 そしてバランスを崩して転びそうになるが、なんとか杖を突いて踏みとどまる。


「な、なんじゃい、お主(ぬし)は!?

 な、なんで、ここにお主(ぬし)のような、メイドがおるんじゃ!? 」


 そしてクラウスは、自身の心臓のあたりを手で押さえながら、冷や汗をダラダラと顔に浮かべ、杖の先端をシャルロッテへと向けて振り回しながらまくしたてる。

 つい先ほどまで年若いエドゥアルドをその老獪(ろうかい)な手腕でやり込めようとしていたのに、その策略家としての印象がまるで感じられない露骨(ろこつ)な動揺のしかただった。


 どうやらクラウスは、ヴァイスシュネーで囚われの身となっていた時以来、シャルロッテに対して強い苦手意識を持っているらしい。


「公爵殿下のいらっしゃる場所が、私(わたくし)のあるべき場所でございますので」


 そんなクラウスに、シャルロッテは涼しげな表情で、淡々と返答を返す。

 これが当たり前ですが、なにか? とでも言いたそうな態度だった。


「え、エドゥアルド殿、貴殿もなかなか、物好き、じゃのう……。


 そ、それより、気配を消してワシの背後をとるのは、もう二度とやらぬように、しかと言いつけておいてくれんか!?

 ポックリ逝(い)ってしまうかと思ったぞい! 」

「善処させていただきましょう」


 ようやく動悸(どうき)がおさまって来たらしいクラウスのエドゥアルドに対する抗議に、エドゥアルドがなにかいうよりも早くシャルロッテがそう答えていた。


(あ、これ、絶対にまたやるつもりだ)


 エドゥアルドは内心で、シャルロッテがそう考えていることを悟りながら、ようやく自由に動けるようになった身体でシャルロッテの方を振り向いた。


「それで、シャーリー。

 部屋に入って来たっていうことは、また、なにか起こったのか? 」

「はい、公爵殿下。

 また別の、お客さまでございます」


 そのエドゥアルドからの問いかけに、シャルロッテは優雅に一礼してから、彼女が突然入室して来た用件を伝える。


「また、別の来客が?

 ……いったい、どなたなのだ? 」


 嫌な予感がしつつもエドゥアルドがそう確認すると、シャルロッテはチラリと扉の方を見てから、たずねてきた客の名前を告げる。


「アントン・フォン・シュタム伯爵様でございます。


 ただ、此度(こたび)は、帝国軍大将としての、公的な身分でのご訪問であるようです」


 そのシャルロッテの言葉に、エドゥアルドは頭痛を覚え、思わず頭を抱えていた。


 帝国軍大将、皇帝の下で親衛軍を率い、皇帝が帝国軍全体を統率するのを助ける、重要な地位にいる人物。

 そのアントン大将が、その公的な身分でやって来たということは、想定される用件はただ1つだけ。


 アントンもまた、エドゥアルドに、ノルトハーフェン公国軍の物資を帝国軍のために融通せよと、要請をしに来たのに違いなかった。

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