第61話:「軍議:5」

 テーブルの上に広げられた地図と、その地図の上に並べられた駒を興味深そうに眺めていたフランツは、その顔に優雅な微笑みを浮かべながら発言する。


「アントン殿の作戦は、確かに負けはないでしょうが、時間がかかり過ぎます。


 戦争は、凶事。

 多くの人命が損なわれ、その出費は国庫を潰(つい)えさせるほどにもなりましょう。


 長引かせて良いことなど、なにもございません。

 古来、戦争を長引かせて、なにか良いことがあったなどとは、聞いたこともございません。

 ですから、この際、共和国軍の中枢を一挙に叩き、戦争を早期に決着させるべきでございましょう」


 そのフランツの言葉に、諸侯は口々に賛同の声をあげた。


 ただ、ベネディクトはなにも言わない。

 思わぬ相手からの援護射撃だったが、賛同を受けて嬉しいという気持ちよりも、余計な口出しをされたという気持ちの方が上回っている様子だった。


「アントン大将。

 諸侯の総意はほぼ決したようであるが、なにか、まだ貴官から言っておくべきことはあろうか? 」


 その時、それまで杖の上にあごを乗せ、半ば眠っているような姿勢で軍議の成り行きを聞いていたカール11世が、険しい表情で立っているアントンにそう問いかけた。


 その皇帝の言葉で、再びその場にいた人々の視線がアントンへと集中する。

 いくつもの視線を一身に浴びたアントンは、一瞬、「いえ、私(わたくし)は……」と、諸侯の意志をおもんばかって遠慮しかけたが、しかし、すぐに思い直したように首を左右に振り、姿勢を正して、真っすぐに諸侯たちを見すえながら口を開いた。


「おそれ多いことではございますが、私(わたくし)が思いまするに」

「伝令! 緊急の、報告でございます! 」


 だが、アントンは彼の意見を表明することができなかった。

 伝令の士官が慌てた様子で、叫びながら天幕の中へと駆け込んできたからだ。


「落ち着け。

 ここは、軍議の場であるぞ。


 なにより、皇帝陛下の御前である。

 わきまえよ」


 自身の発言を封じられたアントンがそうたしなめると、伝令の士官は「はっ、失礼いたしました! 」と姿勢を正して、あたふたとひざまずいて頭(こうべ)を垂れる。


「それで、何事が起こったのだ? 」


 深呼吸をして自身の気持ちに整理をつけたアントンがそうたずねると、士官は、この場にいた諸侯の誰もが予想していなかったことを告げた。


「ハッ!

 昨日、バ・メール王国軍8万は、アルエット共和国北部の国境地帯において、その防衛部隊約5万から奇襲を受け、交戦状態に突入!


 しかしながら、反撃に成功し、共和国軍を打ち破ったとの報告でございます! 」


 バ・メール王国軍が、アルエット共和国軍から奇襲を受けた。

 その奇襲という単語を耳にした時、その場にいた誰もが一瞬、最悪の事態を想定したが、伝令の士官の続きの言葉を聞くと、皆、呆けたような顔をしてしまう。


「陛下!

 我らも、ただちに進軍いたしましょうぞ! 」


 バン、と机を強く叩き、そう声をあげたのは、ベネディクトだった。


「ただ今入りました報告では、すでに、バ・メール王国軍は国境のアルエット共和国軍を打ち破ったとのこと!


 ならば、バ・メール王国軍は崩れた敵を追撃し、敵の首都へと向かうはず!

 我らが急ぎ進撃すれば、共和国軍を挟み撃ちにすることができます!


 この機を逃すことはできませぬ! 」

「私(わたくし)も、ただにち、進撃するべきであると思います」


 ベネディクトに続いて声をあげたのは、フランツだった。


「奇襲をしかけておきながら敗北したということは、やはり、共和国軍は烏合の衆、恐れるに足らぬものと思われます。


 だとすれば、この勝利の勢いのまま、バ・メール王国軍によって一撃で粉砕されることもあり得ましょう。


 これを、我が帝国軍が傍観(ぼうかん)していたとあっては、後になって「役に立たない援軍であった」と、アンペール2世にそしられましょう。

 そのようなことにならぬためにも、ただちに進軍し、我が方も少しでも戦果をあげておくべきかと」


 2人の公爵が、口々に進撃をするべきだと述べた。

 バ・メール王国軍からの予想外に早い勝利の報告と、諸侯の中の有力者の意見もあって、勢いづいた他の諸侯も口々に進撃するべきだとの声をあげる。


「陛下!

 すでに、渡河の準備は我が方で進めております!

 数時間もいただければ、渡河を始めることは可能です!


 すでに、機は熟しておりますぞ!

 どうぞ、ご採決を! 」


 だが、そのベネディクトの声で、諸侯は静まり返った。

 誰もが皆、皇帝から下される決断を聞き逃すまいと、耳を澄ませたのだ。


「アントン大将。

 一応、貴官の意見を聞いておこう」


 カール11世は、すぐには結論を出さなかった。

 その代わり、ちらりとアントンの方を見やって、その意見を確認する。


 本心からアントンの意見を聞きたがっているのか、それとも、帝国軍の大将というアントンの立場を立ててやるために、形式上問いかけているだけなのか。

 カール11世の表情からは判断がつかなかったが、少なくともアントンは、その後者の方であると考えたようだった。


「いいえ、陛下。

 こと、ここに至りましては、ヴェストヘルゼン公爵、また、諸侯の皆々様のおっしゃることに従うのが、最良であると存じます」

「ほう、そうか。

 貴官も、そう思うか」


 顔をうつむけながら、絞り出すように発せられたアントンの言葉にうなずいたカール11世は、そこでようやく、軍議に結論を下した。


「帝国軍は、ただちに、グロースフルスを渡河し、共和国を名乗る反逆の輩に懲罰(ちょうばつ)を加えるべく、その首都へと進撃する。


 皆の戦い、期待しておるぞ」


 その皇帝の言葉に、諸侯は沸き立った。

 そして、誰よりも先にグロースフルスを渡河するために、我先にと天幕を後にしていった。

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